第二十七話 冷たい瞳

二月十日、計量日当日。


目が覚めたら元のホテルに戻り会長と合流、時間まで横になってから会場へ。


計量は高級ホテルの大広間を借り切って行われるらしい。


メインイベントに世界戦が用意されているわけでもない興行、それだけ相手選手が注目されているという証拠か。


聞けば次戦かその次に世界戦を見据えているという話だし、強さを見せつける為の余興と言う意味合いも強いだろう。


だがしかし、ボクシングは番狂わせこそが魅力という者もいる。


俺もそれには同意、勝負事は最後まで結果が分からないからこそ面白いのだ。


昨日と同じくテレビ局の用意してくれた車が待ってくれており、心遣いに甘えて乗らせてもらう。


そして国道らしき道を走り程なくして着いたのは、見上げんばかりの威容を誇る高級ホテル。


車から降り向かう際、当然ながら報道陣に囲まれるなどと言うことはない。


しかし広間に入ると流石に報道陣も大勢おり、大げさな舞台に用意された秤が見える。


大きな液晶モニターに選手達の表情がでかでかと映る光景は、中国らしく派手で大袈裟。


しかも一々アナウンサーらしき人の紹介付きだ。


何人かの選手は既に計量を終わらせているようだが、帰らずその場に残っている。


場を包む雰囲気が俺の知る計量会場とはかけ離れており、まるで何かのセレモニー会場に迷い込んでしまったかのようだ。


いや、そういえば御子柴戦はこんな感じだった気がしないでもない。


だがそんな風に呆けている暇などなく、会長たちに促され後に続き、検診を済ませてから照明に照らされた秤へ上着を脱ぎ足を乗せる。


よく聞き取れなかったが、取り敢えず一発OK。


水分を補給していると、主役である劉選手が到着し歓声が上がる。


初めて直に見たが、公表データと体格の相違は無さそう。


身長は百七十三、リーチ百七十六、サウスポーでどちらかと言えばアウトボクシングを好む。


顔立ちは標準的なアジア人と言うよりは、それに中東系が少し混じった雰囲気。


今までの六戦は全て綺麗なボクシングでの完勝であり、まだまだ底を見せていないので対策も難しい。


「…眼光、鋭いね。」


及川さんがぼそり呟く。


それは俺も思った。


車から街行く人たちを眺めたが、豊かな生活を送れているせいか、こういった瞳を持つ者は見かけなかった。


何と言うか、スラム街にでもいそうな感じの雰囲気、もっと言えば、競技者ではなく軍属とかにいそう。


高そうな服に身を包んでいるので、余計にそれが浮き彫りになる印象だ。


その劉選手も計量を一発で通過、会場から拍手が降り注ぐ。


体付きはそこまで筋肉質と言う感じを受けないので、減量も俺より楽なのかもしれない。


「統一郎君、フェイスオフってやつをやるんだって。カッコつけてくるんだよ。」


フェイスオフとは、対戦相手と顔を突きあわせ睨み合ったりするあれだ。


正直な事を言えば、嫌だなぁと思った。


どうやらメインだけではなく試合順に全ての選手がやるらしく、気が立っているのか若しくは演技か一悶着眺めながら待つと漸く俺の番。


(まあ、普通にやればいいか…。)


劉選手と向き合い視線を合わせる。


体格がほとんど変わらないので、普通に立っていれば眼前に相手の目がある状態。


にこりともしない無表情、背筋がぞくっとするほど冷たい目をしている。


俺が思う中国人のイメージは、感情を素直に表に出し声が大きく我が強い、良くも悪くも賑やかという感じだった。


(何だろうなこれ…何か……怖い。)


しかしこの人は根本的な何かが違う、そんな気がした。


(俺なんかに興味無いんだろうな…。)


彼が俺に向ける目を例えるなら、何気なく眺める道端の草といった所か。


そして何事もなくフェイスオフなる行事が終わると、今度は両陣営が別室でグローブチェック。


いつもの試合で使っているものよりも幾分か薄いものだが、特に問題は感じず直ぐに終わった。





「はぁ~っ、緊張した。」


ここからは自由行動なので、用意してくれた車ではなく四人で街を歩き、良さそうなお店を探す。


「…何か凄い空気纏った人だったね、劉選手。」


及川さんの表情が物語る様に、あの人の持つ空気はボクサーのそれじゃない。


「…ありゃちょっと…堅気な感じの空気じゃねえな。」


牛山さんがそんな事を言うと、シャレにならない重みを感じるのは何故か。


「でもまあボクシング自体は非常に綺麗な選手だから、玄人好みの展開になると思うよ。」


確かに過去六戦を見る限り、相手が俺では派手な試合になりそうもない。


だが以前タイで痛い目を見た、ある程度は明確に優勢を示しておくことも必要だろう。


そして四人が足を向けたのは、ちょっと高級そうな中華料理のお店。


今は通訳の人もいないのでどうするのかと思えば、会長がポケットから小さな機械を取り出す。


それに語り掛けると、中国語に翻訳され相手に伝わるらしい、便利な時代になったものだ。


同様に相手の言葉も日本語に翻訳してくれるので、これなら最初から通訳要らなかったのではと思ってしまう。


「俺の奢りだ。遠慮なく食え。」


牛山さんのお言葉に甘え、俺は蒸し料理を中心に頼んだ。


脂っぽい揚げ物などを欲していたのだが、流石に試合を控えた段階で食べるものではないだろう。


蒸し餃子にシュウマイ、小籠包に加え何かあっさりした中華っぽいスープ。


それを腹八分目になるまで無心で頬張った。


味は流石本場の中華と言った感じで、非常に美味い。


その後はタクシーでホテルまで戻り、一応マスクをして街を走る。


一昔前は大気汚染が凄かったと聞くが、今は思ったほど酷いとは感じなかった。


そして夜になると、またあの安宿に向かい休む、これに何か意味があるのだろうか。


まあ、転ばぬ先の杖ともいうし、念には念を入れてという事か。





翌日、昨日と同じく朝早くに起き立派な方のホテルへ戻る。


そしてスウェットに着替え、軽く走ってから食事。


向かったのは何故かうどん屋、中国にもこういうお店がある事には驚きだ。


朝食が済むと、喫茶店に立ち寄りケーキを頬張る、滅茶苦茶うまい。


「お昼過ぎになったら会場へ向かおうか。当日検診と計量も早めに済ませちゃおう。」


俺は頷きながら今日の自分の体調を確認する。


結構調子は良いと思うがどうだろう、地力で言えば相手が上である事は確か。


ちょっと良い程度では勝ち負けの段階に持ち込む事すら難しいだろう。


それでもここまで来てしまったのならやる事は一つ、開き直るべきだ。


この試合を取れば、本当に世界も夢ではなくなるのだから。

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