第二十五,五話 サイドビュー3

【赤コーナーサイド】


「珍しくむきになったように見えたぞ。どうした?」


むきになったのではなく、あのままでは不味いと判断したから動いたまで。


もしあのまま後手を引いていたら、取り返しのつかないダメージを負っていた可能性すらある。


「…相手の戦力を上方修正したよ。」


「…左か?」


「ああ…あのリードブローは中々に厳しい。」


数では無く質で来られると、私でも捌くので手一杯になりそうな雰囲気だ。


今まで相対したどの選手のリードブローとも違う、独特で厄介な左。


「だが問題ない。厄介なだけでどうにもならないほどではないからな。」


私の試合には珍しく、会場の盛り上がりは相当なものだ。


恐らくあの青年は、少なくともこの地ではスター選手なのだろうな。


とは言え、私の勝利が求められない環境と言うのはいつもの事、何も変わらない。


だから私は今までと同じように立ち回り、同じように勝利し帰るだけだ。


残念な事にここからは、今響いている歓声も鳴りを潜めるだろう。


そう思えばやはり視線はリング下に向かってしまう。


妻と息子が、どんな顔で私を眺めているのだろうかと。


決して余裕がある訳では無い…にもかかわらず、心とは本当に思い通りにならないものだ。


己の心である筈なのに…心底嫌になるよ。







【二階関係者スペース】


「清水さん、今の動きって近くで見るとどんな風に見えるんでしょうか?」


ここは立ち見専用の所謂関係者にのみ許された空間。


基本ジム関係者であれば誰でも立ち入り可能だ。


隣で試合を眺める木本は中々真面目な奴で勉強家。


今日の試合でも何とか勝利を掴み、自信を深めた様だ。


世界レベルの技術を盗もうと見つめる中、さっきの高速移動には目を皿の様にして驚いていた。


「視線で追いかけないで下がったのは流石の判断だな。追っかけてたら終わってた可能性もある。」


木本は試合後の腫れた顔で頷く。


「消えたように見えますか?」


「かもな。俺もあそこまでの動きされた事ねえから分かんねえけど。」


見回せば、一生懸命声を出して応援する高校生三人組と練習生達。


高校生三人組は全員が勝ち星を掴んで、陣営に良い空気をもたらしてくれた。


佐藤君と菊池君は下、氷などの補充要因としてスタンバイしている。


彼らも勝ち星を掴み、特に佐藤君の方は話さえまとまればタイトル挑戦を考えても良い位置。


彼らの受け持った役割は当初俺と練習生がやる予定だったが、自分達がやりたいと言い出したので任せる事になった。


佐藤君はセミファイナルが終わってすぐ準部を始める気合の入れよう。


「やっぱ凄いっすねあのチャンピオン、こうすれば正解っていう立ち回りが見えないっす。」


多少の痣が残る顔で川辺が語る。


こいつは才能と言う意味では木本よりずっと上だが、正直運が悪い。


当たる相手が何故か四回戦とは思えない強豪ばかりで、戦績は一勝一敗一分け。


「それでも何とかしなきゃなんねえ。そして何とかしてくれそうな雰囲気もある。」


そう、遠宮統一郎と言う選手は不思議だ。


どんなに劣勢でも、もしかしたらと思わせる独特な空気を纏っている。


試合を一発で引っ繰り返す強打者という訳でもないのにだ。


彼の様なジャブ主体のアウトボクサーでしかもカウンターパンチャーでもなく、会場をこういう雰囲気にさせる選手は稀ではなかろうか。


少なくとも俺は知らない。


だからこの試合もきっと、俺らと周囲をあっと驚かせる結果をもたらしてくれるはずだ。


頼むぜ、我がジムのエース。

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