第十八話 試合後の喧騒
翌日のスポーツ紙、その一面には俺の名前が躍った。
完全な知名度を確立できたことは良いのだが、世の中いい事ばかりではない。
歴史に残る名勝負などと謳い文句が付けられ、これから俺を見に来るお客さんはああいう試合を求めるだろう。
だが、あれは相手が市ヶ谷選手だったからこその展開であり、他のどの選手が相手でもあのような試合展開にはならなかったはず。
つまり、これからはガッカリさせてしまう事も想像に難くない。
叔父に試合後の検診を受ける為病院に来る途中も、今までとは比べ物にならないほど声を掛けられた。
「お、来たなスーパースター。へへっ。」
診察に掛かるや否や、叔父もこの調子で揶揄ってくる始末。
「流石にすげえ顔だな。青あざだらけで良く切れなかったもんだ。」
目にライトを当てながら叔父は語る。
体質的な問題なのだろうか、パンチで切れたというのは殆ど経験がない。
加え早々腫れ上がる事も無いので、そう言う意味では本当に恵まれている。
まあ、流石に時間が経過すると腫れてきて、今は結構酷い有様になっているのだが。
「で?世界戦はどこでやんだ?決まってねえのか?」
試合前の約束通り、俺はWBAの次期挑戦者に決まった。
会長は八月辺りに組みたいと言っているが、実際どうなるかは分からない。
「エルヴィン・コーク…だっけか。滅茶苦茶強えよな。人気は全くねえけど。」
実はこれ、こちらにとっては大きな交渉材料。
何せ無敗の王者であるにもかかわらず、エルヴィン選手は五千人規模の会場さえ埋められないらしい。
当然スポンサーなどからも敬遠され、ファイトマネーも安い。
「市ヶ谷よりもかなり安く済むんじゃねえか?一億も出せば来てくれるかもな。」
この間の興行は大成功で、収益もかなり出たらしく先へと繋げやすい土台になった。
そして検診を終えると、次に向かう先は銀行。
うちのファイトマネーは銀行振込、今回は高額なので通帳記入してしっかり額を確認しておいてくれと言われたのだ。
明細は今日ジムで会長に貰う予定なので、まだ詳しい金額は分かっていない。
銀行に足を踏み入れると、今日に限ってATMに人が並んでいる。
凄い顔をしているので、当然周りは俺をチラチラ。
そんな羞恥に耐えながらやっと順番がやってきて、開いた通帳を機械に呑み込ませる。
暫くやっていなかったせいか、結構時間がかかり後ろの人を待たせてしまった。
「……おう。」
記帳が終わり出てきたそれを眺め、思わず声が漏れる。
それに反応してか、周りの視線が一斉に俺に向けられ、一度咳払いしてから場を後にした。
今日の俺は歩き、瞼がはれ上がっているので車の運転は少々危険だと判断したのだ。
快晴だが二月の寒空、そこまで深くはない雪を踏みしめ歩く。
途中の定食屋で昼食を済ませ、店主と談笑をしてから後にすると、散歩がてら川沿いを眺め一息。
息が白く吐き出されるほどに気温は低いが、色々なものが充実しているので寒く感じない。
そして十分に満喫してから一旦家に帰る事にした。
咲は喫茶店、亜香里は学校なので迎えてくれる人はいないがスイがいる。
居間に置かれたケージの中では、もうすっかり大人になった白猫が大人しく眠っていた。
眠りを妨げるのは悪いなと横に腰を下ろすと、目覚め構ってくれと一鳴き。
今ではもう俺の事も家族として認識してくれており、抱き抱えても逃げる事はない。
「よ~しよし、お前は本当に毛並み良いよな。」
毎日亜香里が手入れしているお陰か、スイの毛並みはどこぞの血統書付きと見まがわんばかり。
そうして戯れているといつの間にか夕刻、ジムに向かう事にした。
▽▽
歩きでジムまでやってくると、何人かの記者たちと話している会長の姿。
態々こんな地方までご苦労な事だ。
「…そうですね……それはまだ交渉中なので何とも……」
やはり話題は世界戦の事ばかり、会長の手が空かないので練習生を見るのは牛山さんの仕事になるのだが、練習生が五人ほど増えており中々きつそうだ。
「ん?おお、来たか坊主。」
その声に反応し記者たちの視線が向くのは当然俺の方。
だが彼らの知りたい情報を持っているのは俺ではなく飽くまで会長、あちらを優先した様だ。
「今日は流石に練習しねえだろ?何しに来たんだ?」
牛山さんに明細をもらいに来たと告げると、顔を寄せ呟く。
「…へへ……凄かっただろ?」
その言葉通り、今回のファイトマネーは諸々込みで前回の十倍以上に跳ね上がった。
正に桁違いという奴だ。
まあ、最初から知ってはいたが直に見るとやはり違う。
確定申告等もありそのまま残る訳では無いが、それでも十分な収入だ。
「あ、遠宮選手少々お時間宜しいですか?」
会長との話が終わったのだろうか、記者たちの標的は俺へシフト。
まあ、特に急ぐ用事も無い為受け入れると、次々に質問が飛んでくる。
「遠宮選手、今交際している女性などは?」
こういう質問には濁さずはっきりと答えるべきだろう。
「はい。結婚を前提にお付き合いしている女性がいます。でも取材に行ったりはしないでくださいね。」
咲に迷惑が掛かったら嫌だなと思ったが、週刊誌の記者という訳では無さそうで、余りそっち方面は突っ込んで聞く気はない模様。
「市ヶ谷選手と実際に試合してみての印象お聞かせください。」
言われ思い返す。
「…そう…ですね。気持ちのいい選手、あんなに楽しいと思った試合は初めてでした。」
「では再戦の可能性もあると?」
「その可能性は捨てきれませんね。まあ、自分が次の試合に勝てばと言う話ですが。」
その応えを受け、違う記者からも質問。
「ではその次の相手、WBAの正規王者エルヴィン選手ですが、実力だけなら同階級トップクラスだと言われています。勝算は?」
「…ありますよ。無くてもそう答えるしかないじゃないですかぁ~。」
俺の冗談交じりの言葉に記者たちからも笑いが漏れる。
次の質問者は見知った人物、お馴染みの松本さんだ。
「さっき会長さんが言ってたんだけど、出来れば日本…ここでやりたいって話だよ。遠宮君としてはどっちがいい?アメリカでやるのとこっちでやるの。」
「ああ~それは…やはりこっちでやるのが良いですね。向こうでやるとなってもお客さん集められないでしょうし。」
俺も看板選手として考えなければならない、どこでやるのがジムの収益に繋がるのかを。
アメリカでやるとしても、人気のない王者と知名度の無い俺の試合、正直厳しいなんてものじゃない。
そして一通り聞き終わった記者たちは場を後にし、俺は会長の元へ向かう。
「あ、統一郎君、これ明細ね。振り込まれた金額とあってるか確認してね。」
渡された明細に目を通すと、どうやら間違ってはいない模様。
この辺の地価なら一軒家を立てられる金額が表記されてある。
「ん?やっぱり跳ね上がっててびっくりした?ん~でもファイトマネーってそういうものじゃない?」
言われればそんな気もするししない気もする。
取り敢えず礼を告げ、俺は隣の清水トレーナーとも一言二言話してから帰路に就くのだった。
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