第十八話 いつもと違う試合前

「亜香里ぃ~ご飯食べに行くぞ~。」


玄関から呼びかけると妹はひょこッと顔を出し、少し眉をひそめた。


「ほら、何してんの。早く行くよ。」


「…なんか…急に元気になったね…。」


言う通り元気になった俺は、妹を助手席に押し込むとハンドルを握っていざ出発。


その間も腹はぐぅ~ぐぅ~鳴りっぱなしだった。











「で?亜香里は何食いたい?」


「…何でもいい。」


そうかと返し、目についた定食屋に入る。


見た感じそこまで混んでいる訳ではなさそうで、入り口近くのテーブル席に向かい合わせで座った。


「えっと…このセットと…これと…後これも下さい。亜香里はカツ丼でいい?」


「え?…うん。」


何でも良いと言われたら俺は迷わない。


俺が良いと思ったものを押し付けるだけだ。


そして待ち時間の十数分がまさに地獄。


だが、だからこそ時が訪れた時の喜びも大きい。


「いただきますっ!」


目の前に並ぶ大量の料理。


うどんとカツ丼のセット、そばと炊き込みご飯のセット、ミックスフライに餃子。


流石にこれだけ並ぶと周りの客の視線を浴びる。


俺は何とも思わないが、亜香里は少し恥ずかしそう。


「美味い…美味い。」


このレベルの空腹感というのは、普通に生きていたらまず味わえない。


だが、そこから満たされていく感覚もまた、味わう事は出来ないだろう。


「亜香里…冷める前に食べなさい。」


「え…あ…うん。いただきます…。」


そして十分に堪能してから帰路に着いた。








家に帰ると少し横になり消化を促した後、夕方になったのを見計らい少しロードワークに出る。


流石に夕食からは、明日の試合を考えて暴食する訳にはいかない。


今日は簡単にパスタと果物にした。


「亜香里、明日の試合終わったら一緒に帰ろう。」


「いいけど…帰れるの?負けたりとかしたら…あ…ご、ごめん。」


それでも一緒に帰りたい。


帰りは結構電車も混み合うだろうし、一人では少々不安だ。


「大丈夫。試合終わったら赤コーナー側の控室においで。案内板見るか係員の人に聞けば分かるからさ。」


「分かった…。」


「ナンパとかされても絶対に付いて行ったら駄目だぞ?」


「分かったって…。」


何とも頼りない返事だが、その時に連絡すればいいだろう。















十月二十日試合当日、朝食はおにぎり、亜香里の昼食を考え冷蔵庫にある物でおかずも作ってから出発と相成った。


「じゃあ、俺もう出るから、電車の時間遅れないようにね。」


「うん…………頑張って。」


「…ああ。」


体を解しながら、緩やかなペースで走りジムへ。


すると駐車スペースに大勢の姿が見える。


陣営が揃っているのも確認し車に乗り込むと、後援会の方々の見送りを背に一路会場へ。


今回も車二台での出発だ。


「顔色良いね。何だかんだこの間は初防衛戦だったから、意識しない緊張があったのかも。」


及川さんは朝食を食べ損ねたのか、車内でおにぎりを頬張っている。


「そうかもしれません。もしくは、環境の変化もありますかね。」


変化とは良い面にも悪い面にも転ぶもの、今回は果たしてどちらだろうか。












会場に着くと早速当日計量を終え、荷物は皆に任せ佐藤さんと共に赤コーナー側控室へ足を向ける。


向こう陣営は一足先に着き、もうスタンバイしているとの事。


時刻は二時前、第一試合の開始まで後一時間ほどだ。


とは言え俺はメインイベンター、まだまだ時間の余裕がある。


及川さんが佐藤さんのバンテージを巻いているのを確認し、Tシャツ姿のまま少し外の空気を吸いに出る事にした。


控室を出て通路を歩くと、今日のセミファイナルを務める成瀬ジムの選手とすれ違い会釈しあう。


会長はいないのかと見やるが、どうやら俺と同じく外の空気を吸いに来ただけらしい。


それからも天井を見上げ歩いていると、気付けばアリーナの入口まで来てしまっていた。


直ぐには戻らず、良い天気だなとベンチに座り気を落ち着ける。


試合開始まで三十分を切り、続々と会場入りするお客さんたちが俺に気付いては激励の声を掛けてくれた。


そしてどうせここまで来てしまったのならと、目当ての人物を探す。


電車の時間から考えて、まっすぐ歩けば大体このくらいに着く筈だ。


「あ、来た来た。お~い亜香里、二階席はあの階段を上がってすぐだよ。」


「え?…何でいるの!?わ、分かったから戻ってよっ!」


邪険にされてしまえば戻らざるをえまい。


その途中、少し緊張した面持ちの三人娘とも出くわす。


綺麗に化粧しており、リングを華やかに彩ってくれるだろう。


時間も迫り何となく会場の空気も張りつめてきたのを確認し、控室へと入った。


「お、やっと戻ってきたか坊主。バンテージ巻くから、座れ。」


室内にはシャドーをこなす佐藤さん、会長から何か指示を受けている練習生達と明君、更に清水さんもおり中々の密度だ。


こういう雰囲気、テレビで見た事がある。


大手のジムだと、大体こんな感じで一杯人がいた。


うちも漸くそれなりになってきたらしい。


そんな事を思いながら、視線は何となく鏡台前に置かれているパンフレットに向かった。



十月二十日火曜日 会場泉岡アリーナ 十五時開始予定


第一試合スーパーフライ級四回戦

桜井正彦さくらいまさひこ(東北フィットネス)対 大村和彦おおむらかずひこ(宮野拳闘倶楽部)


第二試合バンタム級四回戦

山井義弘やまいよしひろ(鈴木ボクシング)対 ピストン佐々木ささき(鶴巻拳闘会)


第三試合ウエルター級六回戦

吉田忠人よしだただひと(成瀬ボクシング)対 木下武夫きのしたたけお(オグラ)


第四試合スーパーバンタム級八回戦

佐藤幸弘さとうゆきひろ(森平ボクシング)対 泉田恭平いずみだきょうへい(北野ボクシング)


第五試合ミニマム級八回戦 セミファイナル

日本ミニマム級五位 新実義孝にいみよしたか(成瀬ボクシング)対 OPBF東洋太平洋ミニマム級六位 ピーター・マルケス(フィリピン)


第六試合 日本スーパーフェザー級タイトルマッチ十回戦 メインイベント

日本スーパーフェザー級王者 遠宮統一郎とおみやとういちろう(森平ボクシング)対 同級六位 デビット外間ほかま(琉球拳闘会)

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