第五話 闘争心
五月初旬の週末、俺は県を一つ跨ぎ遠方まで足を延ばしていた。
何の為かと問われれば、今日行われる試合を生で見る為と答える。
メインイベントは相沢君の東洋タイトル二度目の防衛戦、前座の三試合目に明君も上がる興行だ。
会場は市民文化会館という県でも一二を争う大きな箱。
試合はその大ホールで行われ、席数は11000。
それを九割近く埋めると言うのだから大したものだ。
実は彼には現段階で既に世界戦の話が持ち上がっており、県民の期待度も跳ね上がっている。
というのも、相沢君は現在二つの団体で一桁の世界ランクを保持しているのだが、一方の王者からコンタクトがあったらしい。
これは本人に直接確認した事なので間違いないだろう。
俺は駐車場に車を停めると、ワクワクしながらチケットを握り締め会場へと向かった。
因みに、チケットは自腹で最前列を確保している。
受付を通り、まず向かうのは明君の控室。
青コーナー側であり、いくつか並んである部屋のB室だと言っていた。
だが、いざその部屋の前に立つと、入りにくい事この上ない。
何だろうか、室内から聞こえるシャドーの音や静かな話声が、二の足を踏ませる。
「…失礼しま~す…。」
まるで忍び足の様な感じでそろりそろりと扉を開け覗き込む。
中は結構広く、入り口近くでバンテージを巻いてもらっていた選手と目が合ってしまった。
どうやら俺の事を知っているらしく、軽く会釈しあい室内を更に見回す。
すると、目当ての人物は奥の方でウォームアップ真っ最中。
「あ、来たね遠宮君。一緒の車で来ればいいのに。」
「いや、なんか気を遣うって言うか…。」
及川さんが着る上下のスウェットの背にはジム名が明記されており、実は最近作ったものだ。
会長は自分達が纏うものにはあまり拘りが無いのか、人に指摘されて初めて気づいたらしい。
「おい坊主、せっかく来たんだから何か声掛けてやれ。」
無言でシャドーを眺める俺に痺れを切らしたか、牛山さんが告げる。
「そう…ですね。えっと、明君ガンバレっ!」
一応考えたが何も浮かばなかった。
だがそれでも力強く頷いてくれたのを見て、俺も期待を込めて頷き返す。
そして会長と一言二言言葉を交わし、場を後にした。
次に向かうのは反対側の通路にある控室、その奥のメインイベンターがいる個室だ。
また入りにくいのかなと思っていると、扉が開け放たれており中から普通に話声が聞こえる。
俺はそろりそろりと顔半分だけで中を覗き込む、すると椅子に座る相沢君を確認出来た。
纏うガウンは赤一色で、金の龍が刺繍された派手めなもの、目を奪われそのまま覗いていると、
「はっはっはっ!何やってんだよお前っ!笑わせんなっ!」
椅子に座り会長にバンテージを巻いてもらっていた相沢君が、俺を見てゲラゲラ笑いだす。
そんなに面白い行動をとってしまっただろうか。
少し赤面しながらも入室すると、鈴木会長にトレーナーらしき人、サポート要員だろうか同門の人達が数人。
同じ室内には今日のセミファイナルを務める吉村さんの姿もあり、かなり気合が入っている様だ。
因みに吉村さんとは新人王戦の時にスパーをしてもらった経験がある。
現在日本フェザー級の四位、今日勝てばいよいよタイトル挑戦も視野に入る大事な試合だ。
鈴木ジムは地方ではそれなりの部類だが、トレーナーも一人しかおらず内情はうちと変わらないように見える。
それでも大きな試合をバンバン組めるのは、スポンサーの力が大きいだろう。
トランクスに燦然と輝く国内最大手スポーツメーカーのロゴ。
「お前は復帰戦まだか?」
「え?あ~うん。諸事情あってね、本格的なスパーも中々出来なくて、他から人呼ぶのもお金掛かるし…無理は言えないよ。」
「ふぅ~ん、じゃあ時間ある時にでもうちくればいんじゃね?会長、いいっすよね?」
丁度バンテージを巻き終わったらしい鈴木会長は、笑顔を浮かべ語る。
「ああ勿論だ。前日本王者がただでスパーやってくれるんだろ?有難い限りだよ…金取らないよね?」
「あ、はいっ!勿論勿論。会長に了解取ってからですけど。」
こうしたやり取りをしていて思うのだが、相沢君には緊張という感覚が無いのだろうか。
俺もそこまで緊張する質ではないが、彼は自然体過ぎる。
「そう言えばよ、この間お前がやった高橋、あれバケモンだな。俺もそのうちやってみてぇ。」
「止めといたほういいよ…割に合わないから。」
「いや、お前よりは相性良いと思うぞ俺。元々ガードで受けるタイプじゃねえし。ま、それでも勝てるかどうかは微妙だけどな。」
嬉々とした表情で語る相沢君とは逆に、鈴木会長は眉を顰めている。
まあ、これが普通の反応だ。
世界戦を見据えたジムの看板選手を、二階級上の怪物に当てる経営者などいるわけない。
もしかしたら可能性の話として、世界の舞台で当たる事はあるかもしれないが。
試合は順調に消化され、三試合目に入っていた。
俺の席は最前列、リングを間近に拝める場所だ。
「明君!相手ボディ嫌がってるよ!」
試合は序盤から明君ペース、しっかりガードを固めウィービングで的を散らしながら踏み込み、ボディを執拗に攻め立てる。
そして二ラウンド終盤フックが相打ち気味に入り、乱戦模様に。
「そのまま押し切れる!行け行け行け行けっ!!」
ロープ際、互いに被弾は多いが、パワーで明君が圧倒しそのままレフェリーストップ。
「よっしゃぁ~~っ!!」
そういえば、純粋に観客としてボクシングを見るのは何時以来だっただろう。
その時、興奮している俺に声を掛けてくる人がいて振り返ると、
「いつも明がお世話になっております。」
「どうもご無沙汰しております。」
当たり前だが明君の両親も来ており、お母さんの手は少し震えていた。
もしかしたら、俺の試合を眺める誰かもこんな風に震えていたのかもしれない。
例えば葵さんであったり、明日未さんであったり、亜香里は…セコンドの三人はどうだろう?
そんな事を考えながら試合を眺めていると、セミファイナルの吉村さんが僅差の判定勝ち。
派手な音楽と共に入場してきた相沢君は、ランキング二位の相手を三ラウンドKО。
余裕しゃくしゃくと言った感じでマイクを手に取った。
『え~~皆さんも知っての通り、今回で東洋タイトルは返上し世界を取りに行きます!』
会場から大歓声が上がり、軽快なトークで更に場を盛り上げる姿はまさにスター。
正直に言えば、悔しいと思った。
近しいと、ライバルと思っていた相沢君が遠くに行ってしまう事に。
最近少し、闘争の炎が弱く小さくなっていたかもしれない。
眩しいライトを浴びリングに立つ彼を見て、再び心に炎が燃え上がっていくのを感じていた。
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