第三十四話 病室にて
無機質な天井が見える。
耳に聞こえるのは一定間隔の機械音。
腕からは上方に向けて透明な管が伸びている。
「目を開けた!成瀬君!遠宮君起きたよ!」
上体を起こすと、激しい頭痛がして思わず顔を歪めた。
(ここは、どこだ?)
状況が分からず周りを見渡すと、どうやら病室であるようだ。
「坊主っ!この野郎っ、心配かけやがって!」
牛山さんが俺の背中を叩こうしたのを見て、及川さんが慌てて止める。
「統一郎君、良かったよ。ドクターからは大丈夫だって言われてたけど、やっぱりね。」
俺に視線を向ける面々が、心底安堵しているのを感じ、少しずつ状況が掴めてきた。
「試合…は、どうなりましたか?俺は…。」
口を開くたびに、言葉を紡ぐたび頭部へ激しい痛みが走る。
すると、これ以上口を開かせまいと遮ったのは及川さん。
「これな~~んだ?」
及川さんが黒いケースから出したそれは、見まごう事なき日本チャンピオンベルト。
朧気にリングでの最後の光景を思い出す。
タオルが舞っていた。
(あれは、会長が投げたものではなかったのか…。)
思考を纏める為、しばし頭を巡らせていると、
「統一郎目を覚ましたって?…おお、本当に起きてやがる。」
慌ただしく病室に入って来たのは叔父だった。
「あ、叔父さんもいたんだ。ところでさ、今何時?」
意識が落ち着いてきて一番に気に掛かったのは、どれくらい寝ていたかということ。
それほど長い時間でなかったのは雰囲気から察する事が出来るが、外は真っ暗だ。
「今は…夜の10時半くらいだね。」
ということは、試合が終わってまだ数時間くらいしか経っていないという事か。
「何だ、試合が終わってすぐって事ですね。」
俺の言葉に一同顔を見合わせ少し苦笑する。
「何ボケたこと言ってんだ坊主。一日以上眠りこけてたんだよ。」
ん?っと、霧の掛かったような頭で考える。
(一日以上……つまり、次の日って事か。)
なるほどと思った。
なら先ほどの陣営全員の反応も頷けるというもの。
「お友達もさっきまでいてくれたんだよ。でもいつ目を覚ますか分からないから帰った方がいいって言ったんだ。ゴメンね。後、佐藤君も明君と一緒に帰したから。」
及川さんが申し訳なさそうに語るが、寧ろ気遣いをしてもらって有難いくらいだ。
「いえ、有難う御座いました。あいつらには俺からメールしとくんで大丈夫です。佐藤さんたちは帰れば顔を合わせますしね。」
俺の言葉を聞いた後、目の前に命懸けで勝ち取ったものが置かれる。
緊張からか、感動からか、震える手でそれを持ち上げた。
「へへ、本当にチャンピオンになりやがるとはよ。大した奴だよ、お前は。」
叔父が優しい笑みでそう語り、少しずつ実感が沸いてくる。
自分が日本王者になったのだと。
「……でも、殆ど負けてたから…。」
試合の事は朧気にしか思い出せないが、その記憶の断片は全て劣勢の場面。
とても自分が勝者であると誇れる内容ではない。
「そんな事は無いよ。」
項垂れる俺の言葉を会長が遮る。
「この結果は、諦めない君の精神力がもたらした、まごう事無き君の勝利の結晶だ。」
そして歩み寄り、肩に軽く手を置いた。
「君が日本チャンピオンだ。」
そんな事を言われると、思わず涙がこぼれそうになる。
その後、担当医らしき人がやってきて、明日精密検査をやると告げられた。
自分としては帰って叔父に診てもらいたかったのだが、
「アホ、こっちの方がいい設備揃ってんだからこっちでやってけ。」
そう言われ、渋々こちらで診てもらう事になった。
「じゃあ、俺は帰るからな。仕事は休みもらえるよう伝えておくからゆっくり休めよ。」
そして俺の身を案じた言葉を掛けた後、深夜にも関わらず車を走らせ返っていった。
「じゃあ坊主、俺らもホテルに戻るからよ。ベルトはどうする?」
胸に抱えているベルトを見ながら思案し、結果、預かってもらう事にした。
室内に誰もいなくなった後、一人しかいない部屋は静寂が満ちる。
(あれ?そう言えばここって個室なんだな。)
周りを見渡しても他の入院患者は見えず、貸し切りの様な贅沢感があった。
メールのチェックをしようかと思うが、スマホは預けた荷物の中。
(そもそも病院でスマホって使っちゃだめだよな。)
三十時間近く眠っていたせいか、眠気もなくやる事もない。
正直困ってしまった。
(ああそうだ。帰ったら、葵さんのぬいぐるみにサインする約束してたなぁ。)
仕方ないので、大人しくベッドに横になりながら帰ってからの事を考える。
(明日未さんも心配してるかな?あいつらは…まぁ、その後でいいか。)
親友たちに対してぞんざいな扱いに思えるが、それだけ心を許しているともいえるだろう。
(御子柴選手はどうなってたんだろうな、やっぱり、折れてたのかな?会長たちに聞いておけばよかったな。)
日本ボクシング界の至宝になりうる存在。
その男をもし再起不能にでもしてしまっていたらと思うと気が気でない。
(しっかし強かったな~。あれは化け物だよ、本当。)
徐々にではあるが、記憶の混濁が収まってきた。
それと同時に、試合の情景も思い出す事が出来るようになってくる。
(情けない話だけど、もう戦りたくないな。勝ち逃げも悪くないだろ。)
あの男と互角に張り合うには命を捨てる覚悟が必要になる。
何度もそんな事をしていては、いくつ命があっても足りないというものだ。
だが、あの男が国内タイトルに拘る事などないだろう。
そう言う観点で考えれば、必然的にもう当たる事も無いはずだ。
(でも、世界チャンピオンにはなるよな…。それって、いや、でも…。)
もし自分がこのまま勝ち上がっていき、世界タイトル挑戦を考える時期が来たとする。
その時、タイトルを持っているのは誰だろうかと想像した。
(いや、別の団体狙えば…。そもそも…きっと…直ぐに階級上げて次を狙うはずだし、大丈夫。もう当たらないさ。うん。)
逃げの一手しか考えられない自分に情けなさも感じるが、同時に仕方ないとも納得できる。
そんな悶々とした夜を過ごしながら、気付けば眠りに落ちていた。
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