第二十一話 モニターの向こう側
公開スパーを終え、シャワー室を借り汗を流してから外に出ると、記者の松本さんから驚きの事実を伝えられる。
「あ、遠宮君、チャンピオンサイドがね、パートナーとして残れないかって成瀬会長に交渉してたよ。」
「え、マジですかっ!?」
「うん、本当本当。それくらい良い手ごたえを感じたって事だろうね。」
パートとは言え仕事を休むわけにはいかないので無理だが、これは心から嬉しい申し出。
「統一郎君、松本さんから聞いた?」
「あ、はい。」
「本人に聞く前で悪かったけど、断っておいたからね。」
もしかしたらこれを機に、マスコミの扱いも変わるだろうか。
地方選手である俺の所まで取材に来るのは、地元の記者さんを抜きにすれば松本さんだけ。
当然全国的な知名度は無く、地元以外では興行を打ってもお客さんが集まらないだろう。
だが世界的な評価を受けるアレックス選手のひと押しがあれば、何かのきっかけになりうる。
少なくとも、コアなボクシングファンの中では俺を見る目も変わる筈。
軽量級と違い海外の選手層が厚いクラスになると、日本人が世界戦を組むのは難しくなるのが事実。
加えうちは地方ジムで、億単位のお金を簡単に動かせる様な大所帯ではない。
それらを鑑みれば会長だけに頼りきりになるのではなく、一人の選手として出来る事を考えながらやっていかなければならないだろう。
十二月の中旬には、明君の試合が地方の興行内で組まれた。
この試合は、会長曰く今までで最高の出来だったと語る。
結果は四ラウンドKО勝利。
こうしてみると、うちのジムに在籍しているのは才能豊かな子が多いなと感じる。
まあ、地方からでも這い上がれるという自信があってやっているのだろう。
そうでなければ、デメリットがあまりに大きすぎる。
だが本気で上を目指すのなら、そのうち移籍などの話も考えるべき時が訪れるかもしれない。
俺はちょっと特殊で参考にならないが、明君やほかの若い子たちは、大きなジムに行った方が道が開ける可能性は大きくなる。
佐藤さんなどは仕事の都合もあり難しいだろうが、まだ学生という段階ならそういう選択肢も考えるべきだ。
実の所、これは会長の受け売り。
以前二人だけでこれからの展望を話していた時、こういう事も言っていた。
自分の選手を手放すというのは言う程簡単な事では無いと思うが、会長もちょっと特殊な人だと思う。
とは言え情が薄い訳では無く、本当に当人の事を考えているのだ。
職業ボクサーなどと言うのは、成り立つ人間の方が稀なのだから。
十二月三十一日大晦日、何度もCMで流されているビッグイベント当日。
挑戦者御子柴裕也選手と、王者アレックス・モラン選手の世界タイトルマッチである。
会場は収容人数二万人を超える大きな施設だが、チケットは完売、プロモーターも大喜びだろう。
このアレックス選手、アメリカでもかなりの人気選手でありよく呼べたものだ。
各社の戦前予想では、六対四で王者側が有利の予想。
だがこれは飽くまで国内予想、世界では御子柴選手の名前を知る者さえ殆どいない。
それを表す様に、某ブックメーカーの賭け率は五倍以上の差があるという。
「クラスの女の子達も何か凄く関心あるみたいだったよ。兄さんの試合は関心ないのにね…。」
夕飯を囲む亜香里がそんな事を言う。
「あはは…まあ、元々作ってきた土台が違うからね。」
世間一般の御子柴選手の扱いは、ボクシングをする芸能人と言う方がしっくりくる。
実はこの試合、そういう意味での盛り上がりもある様だ。
何せ王者のアレックス選手、こちらもかなりのイケメン。
まさに男のダンディズムを感じる雰囲気、こちらの方がカッコいいと思う人も多いだろう。
ボクシングファンではない御子柴ファンの女性にも、この人なら負けても受け入れられるという声もあるとかないとか。
戦績は王者が二十六戦二十六勝十八KО、挑戦者が十戦九勝九KО一敗。
「どっちが強いの?」
これまた難しい事を聞く。
総合力とか地力を比べたら、それはやはり王者。
以前の俺とやった時のような余裕を見せるなら、挑戦者側に勝ち目は薄いだろう。
「う~ん、御子柴選手が堅実な組み立てを出来れば、良い勝負になると思うけど…どうかな?」
俺は本当の意味で彼の性格を知らないが、実際に手を合わせた感触では良い印象を受けなかった。
一言でいえば、相手への敬意を感じなかったのだ。
「じゃあ、この外国の人が勝つ?」
「アレックス選手ね…まあ…普通に考えたらそうなると思うけど。」
眼前では長々と御子柴選手の苦難の道とかいう映像が流れている。
これ見よがしにモニター前で汗を流す素振りは、少し嘘くさいと感じてしまったが、本人もやりたくてやっている訳では無いだろう。
「正直ね、何でわざわざこの選手を呼んだのかが分からないんだよ。」
「どういう意味?」
「日本公認の団体って四つあるんだ。つまり場合によっては王者が四人以上いたりする。」
「え?チャンピオンって一人じゃないの?」
「それが理想だけどね。現実は中々…でさ、このアレックス選手は今この階級で一番強いって言われてる王者なんだ。」
「なんかよく分かんない。チャンピオンなのに強いとか弱いとかあるの?」
「いや、皆強いんだけどさ。その中でもって事。だから他の王者の方が、勝てる可能性は高くなるはずなんだよ。」
モニターでは、漸く赤コーナー側から王者が入場してくる所、無駄に長い。
「補足するとさ、呼ぶ選手って有名であればあるほどお金も掛かるんだ。それこそ億単位で。」
呼ぼうと思って呼べる時点でかなり凄いし運も良いのだが、それは今関係ないだろう。
「じゃあ、負けたら凄い損だね。」
大手のジムの内情など俺には分からない、元は取れていそうな感じではあるが、そこが最大目標ではなく勝って初めて成功。
そう言う観点から見て、余り分の良い勝負とは思えない。
派手なスモークが焚かれた向こう側から、純白のガウンを纏い進む御子柴選手、その顔に笑みは無く見ているだけで緊張感が伝わってくるようだ。
今までなら、入場時いつも笑顔を浮かべていたはず。
選手紹介の間も、静かに小さなシャドーを繰り返し準備に余念がない。
以前の奢り高ぶりが消え去り、本気で自分を試したいという意思を感じる。
それでももう少し段階を踏むべきだと思うのは、小さな地方ジムの内情しか知らないからだろうか。
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