第三話 遠き世界、近き世界
季節は四月の中頃、ボクシング界は二つの話題で盛り上がっている。
一つは御子柴裕也選手の世界前哨戦、これは来月五月の中旬ごろにやる予定らしい。
そしてもう一つは、ある男のボクシング界への参戦。
リングネームはアンファン・市ヶ谷。
現在二十六歳、小柄で坊主頭、腕と背中にタトゥーを入れた、町であったら目を合わせたくない外見。
日本国内でデビューする訳では無く、アメリカを主戦場にするとの事。
既に【ゴールデンナックル・プロモーションズ】という有名プロモーターと契約が決まっており、後は試合を待つだけという状況のようだ。
この男が何故注目を浴びるかと言えば、世界最高峰と呼ばれるアメリカの総合格闘技団体で、日本人初の王者になったから。
どの階級でやるのかなど詳しい内部事情は知らないが、総合格闘技の階級をそのまま当てはめれば丁度ライト級辺りになる。
と言っても、俺とは住む世界が違いすぎてどうにも危機感など涌きようも無いが。
しかし先に上げた御子柴選手は多階級制覇を目標に公言しているので、当たるなら危険な相手だ。
そしてこの市ヶ谷選手の総合の試合を見てみたが、大体がパンチで倒しパウンドポジションから更にパンチを降らせて勝つというスタイル。
余り関節技に持ち込むイメージは無い。
これは本人の信念にも繋がるらしく、常々同じことを言っている。
『俺は誰が見ても面白いと思える試合がしたいっ!蹴りも良いけど、やっぱ殴り合いが見てて面白いっしょっ!!』
有言実行を地で行く様なスタイルで、向こうでもかなりの人気選手。
実は結構負けも多いが、結果がどう転んでも観客が楽しめる試合をするのは流石の一言。
こういうタイプが高橋選手と当たったらどういう試合になるのか、かなり興味はある。
仕事を終えジムに赴くと三人の練習生が既におり、二人は姿見の前でシャドー、一人はサンドバックを叩いている。
明君は隣町の大学に通う都合上、少し来るのが遅くなった印象。
佐藤さんは仕事で出向している先のジムに会長が話を付け、練習をさせてもらっている様だ。
牛山さんは当然既にいて、もうひと汗流し終えたのか汗を拭いている所。
「あ、来たね統一郎君。今日さ、リハビリも兼ねてこの子たちのパンチ受けてもらっていい?」
「はい、構いませんよ。三人共ですよね?」
「うん。彼らには本気でやってもらうけど、統一郎君は軽いリードブローくらいで頼むよ。あ、二ラウンドずつね。」
俺が視線を向けると、三人共がお願いしますと少し緊張気味。
そんなに緊張するほどの相手かなと、少し苦笑してしまう。
「何を不思議そうな顔してんだよ坊主。傍から見るとお前ってかなりごついぞ?肩回りとか背中とか特にな。」
貴方の顔には負けますよと思いながら、バンテージを取り出し巻き始める。
「そういやよ、お前の体重って今いくつくらいだ?」
「昨日の練習終わりに量った時は…七十一キロ前後でしたね。」
「ライト級だと大体十キロくらいか。やっぱりきついな。もう一つ上げても良いんじゃねえか?」
それは叔父にも言われている事だが、どうなんだろうか。
階級を上げた事でどのくらい変わるのかは、実際やってみないと分からない。
そうこう言っている内に柔軟も済み、シャドーを開始する。
練習を再開した始めこそスタミナ不足を感じたが、不思議と今はそれほど感じなくなった。
ギリギリを要求されるメニューをまだ課されていないというのが大きいが、それでも思ったよりは動けているのではないだろうか。
「統一郎君、そろそろいい?」
シャドーを三ラウンドほどこなした頃、練習生相手のスパーリング。
「おねがいしゃすっ!」
一人目は茶髪で長髪の吉田君、身長は俺より幾分か高く、結構イケメン。
フェイントに素早く反応するので反射神経は良いのだろうが、少し反応しすぎなくらい。
まあ、これはやっていくうちに慣れもあり徐々に矯正されていくだろう。
やはりと言うべきか一ラウンドが二分を過ぎる頃には、もう肩で息をしパンチにも力が無くなってきた。
(うんうん。分かるなぁ~。最初は緊張とデカいグローブで構えてるだけでも疲れるんだ。ヘッドギアも圧迫感あって拍車掛かるんだよね。)
ガードが下がったことを伝えるべく、軽くトントンと左を当てる。
そして二ラウンドを終えると、頑張ったねと声を掛け次の子の番。
次に上がってきたのは髪を短く刈り揃えた、如何にもスポーツマンと言った風貌の少年。
身長は俺より少し低いくらいでがっしりとした体型、名前は古川君。
その見た目通り力強く積極的に振り回して来るが、俺は敢えて避ける事はせず全てガードで受け止める。
(強気だなぁ~。物怖じしないって言うか、目に力があるな。)
軽くとは言え、左を鼻の頭に当てられても構わず振り回して来るのは凄い。
(パンチを受ける時、瞬きしてないなこの子。)
普通、特にやり始めだとパンチを受ける瞬間は思わず目を瞑ってしまいがち。
良いものは持っているが、カウンター狙いの相手にあたるとこのままでは格好の的だ。
成長は会長の手腕次第といった所か。
最後はガードを上げる力が無くなっても、なお振り回してきた所を受けて終了。
「よ~し、頑張った!有り難う!」
足が覚束ない古川君を支え言葉を掛けると、元気のいい声で挨拶を返してくれた。
丁度明君もやってきたようで、スパーを眺めながら準備を始めた様だ。
次に上がってきたのは三人の中で一番小柄な子、名前は奥山君。
身長は多分百六十くらいだろうか、天然パーマがちょっとかわいい印象を受ける。
「おねがいしゃ~っす!!」
声は三人の中で一番大きく、意外に低音で男らしい。
動きが早くサウスポースタイル、運動神経の良さをこれでもかと言う程感じる。
開始直後に放たれたジャブからのフック、この右のコンビネーションには正直驚いた。
というか、二発目のフックはまともにもらってしまった。
体重差やヘッドギアもあるので効きはしないが、同階級ならこうはいくまい。
しかも中距離の陸上選手だったらしく、二ラウンド後半になっても手数が落ちない。
勿論、これには俺が手を出さないからという理由もあるが、それでも大したものだ。
これは明君にとってもいい刺激になるだろう。
同門であったとしても、ライバルはいないよりいる方が断然良いに決まっているのだから。
それでもラウンド終了まであと十秒という頃になれば、両腕がだらりと下がり、俺がトンと鼻先を叩いて終了。
こうして六ラウンドこなしたわけだが、殆ど手を出していないので余り疲れは無い。
その時、ジム内に賑やかな声が響いた。
「あっ!!丁度やってんじゃないすかっ!!会長、ついでにこいつも頼んます。」
声のする方を見ると、清水トレーナーが木本さんを連れやってきていた。
彼はもうすぐ中央でデビュー戦を控えている。
階級はミドル級だが減量中であり、今の俺との体重差はそれ程ないだろう。
会長に了承の旨を伝えると、先ほどとは違い緊張感のあるスパーをこなすことが出来た。
因みにその後、明君の相手も三ラウンドこなし流石に疲れ果て、否応なくスタミナの衰えを感じてしまった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます