第三十一話 妄執
「…良いよ。あれで良いんだ。」
会長が窺うように語り掛けて来る。
確かにブーイングは酷いが、こちらのやっている事も酷いので特にどうとも思わない。
そんな飄々とした俺に少々驚きつつも、会長は一言二言アドバイスを続ける。
「多分、いよいよ追い詰められたとなれば、激しく打ち合いを望んでくるはずだ。絶対に乗ったらダメだよ。統一郎君、僕たちは勝つ為に来たんだからね。」
分かっていますと頷き横を見ると、俺の顔を拭いている及川さんと視線が合った。
しかし特に何も言う事は無く、互いに何度か頷き合うだけ。
「こっちは最初っから悪役だ。何言われても気にすんな。」
首筋に氷嚢を当てている牛山さんからは、らしい言葉も掛けられる。
俺は頷き立ち上がると、体の状態を確認。
(スタミナはまだ余裕がある。でもダメージも多少あるかな…だけどやるべき事は明白だし、もう一踏ん張りだ。)
そして前ラウンドを踏襲する様にゴングを聞くや否や駆け出した。
「…シィッ!…シィッ!シィッ!!」
ガードを固め突っ込み強引に距離を詰めると、上下に打ち分け狙いを分散する。
「…っ!?」
だが向こうから返って来る反撃も激しい。
相手の瞼を見やれば、まだ一二発、それもガードの上から叩かれただけでもう血が滲み出している。
誰が見ても分かるほど深い傷、戦況など関係なくもう終幕までは幾分も無いだろう。
「…正面に立たないっ!」
会長の声が響き気付く、さっき言われたばかりだというのに、いつの間にか気が逸り打ち合いに応じそうになっている自分に。
どうやら情けなくも、目の前に転がってきたチャンスに目がくらんでいたらしい。
「…シッシッ…」
俺は細かいステップワークで左右に動きつつ、左を小さく伸ばし牽制。
一度冷静になり、自分を落ち着けてから勝負といこう。
だがその時覗き込んだ相手の目は、冷たいなどと言う言葉で言い表せないほどの狂気を宿していた。
そして右目を覆っていた腕を下げると、殆どノーガードで直進。
敵陣セコンドからは制止を告げているのだろう檄も響くが、当人は全く意に介さず動きを止めないまま、腰までだらりと下げた腕を素早く前に突き出して来る。
「…くぅっ!?」
どう表現すればいいのだろう、一言でいえばパンチの質が変わった。
これまでも力の籠ったパンチはいくつも放って来ていたが、どれもズシンと骨に響くような強打。
しかしこれは、ガード越しに貫かれるような印象を抱くパンチ。
だが俺に動揺は無かった、今まで蓄積した経験がこのパンチは知っていると告げていたから。
そう、感覚的にそっくりなんだ、あの御子柴裕也の切れ味鋭いパンチと。
「…っ…ちっ…つぅっ!」
どうやら向こうはもうガードを上げるつもりがないらしく、足を止めたまま放たれる速射砲が間髪入れず襲い来る。
構えはサウスポーともオーソドックスとも言えない、例えるなら只正面に敵を見据える形。
スタミナにも自信があるのだろう、一切間断なく打ち込まれ続け、至る所に鋭い痛みと共にミミズ腫れが出来ていく。
動揺は無いが、正直攻撃のみに力を注いだ時の能力を見誤っていた。
(それでもチャンスが来てるのは俺だっ!ここで無理しなきゃいつするんだよっ!)
地力の違いを否応なしに痛感している…が、それと勝敗は全く別の話。
俺が正面から挑もうとしても会長が釘をさす素振りも無い。
恐らくこのまま後手に回れば倒される可能性すらあると、そう思っているのではないだろうか。
「…っ…っ!?」
(…くっそっ…重いのと切れるのと混じってやがる。)
無理矢理距離を詰めようと試みるが、今度は体ごとズレる様な重いパンチの連打。
細かくサイドステップを繰り返しても、しっかり正面に見据えられ眼前を覆う程の弾幕を張られてしまう。
その一発一発が肌に突き刺さる度、王者の内に宿る強い意志が体の芯を侵してくる様な感覚に襲われた。
声が聞こえるんだ、お前をぶちのめしてやると。
出血によるTKОを狙うなど、甘い考えであったかもしれない。
(会長…俺も覚悟を決めないと、呑み込まれてしまいますっ…。)
一瞬だけ視線を向ける、三人共が拳をグッと握り締め全面戦争を支持してくれた。
そして意を決し踏み込み、いざ最終決戦の火蓋が切って落とされる。
「…っ…シィッ!!」
どんなタイミングで放とうが必ず食らいついて来る為、殆どが相打ちに近い形となる中、それでも互いが首でいなし激しくウィービングを繰り返し、決して倒れる様な…言ってしまえば芯を崩される貰い方はしていない。
「…はぁっ…はぁっ…シュッ!!シィッ!!ヂィッ!!」
左ボディから左アッパー、右ストレートの流れ、全て渾身の力を籠め放った。
ボディは入ったがアッパーは首の動きだけで躱され、三発目にカウンターを合わせられ相打ち、しかし際どい貰い方をしたのはお互い様、結果一瞬だけ同時に腰が落ちる。
(…なんだ?…笑ってやがる…のか。)
がくりと腰を落ちる瞬間覗いた王者の表情は、少し口元が歪んでいた。
そして互いが踏ん張ると、またも強い意志を乗せた拳をぶつけ合い、際どいやり取りが続く中レフェリーが割って入った所でラウンド終了。
天上を見上げ大きく息を吐くと、地鳴りのような大歓声が大気を伝い肌を震わせる。
先ほどまでは聞こえていなかったが、集中が途切れたのだろうか。
▽
「…見誤ってたね。能力の底が思ってた以上に深かった。」
ラウンドの途中から気付いていたのだが、王者の出血が止まっている。
元々そんなに傷が深くなかったのか…いやそれはない、まさか意思の力が傷を塞いだとでもいうのか。
「何かがスイッチになっちゃったんだろうね。向こうはもう止まらないよ。だから…」
それも分かっている。
あの人の内に宿る狂気は、俺が今まで感じた事も無いほど異質なものだ。
まるで負ける事と死ぬ事を同義と捉えているかのような、そんな雰囲気…圧を感じる。
そしてその意思は対するこちらの心まで侵し、判定勝ちでもいいとかそんな生ぬるい覚悟でいれば、為すすべなく呑み込まれてしまうだろう。
だが現状、俺の命である中間距離の打ち合いで分が悪い。
一つ息を吐き対角線上に視線を向けると、ギラギラとした獣染みた瞳で常に俺を見定める王者。
セコンドが何かを喚き散らしているが、まるで聞いている素振りもない。
「…ここからは近い距離での戦いが増える。でも大丈夫、君はインファイトも強いよ。」
上下を打ち分けろとか、小さく打てとか、そんなアドバイスはしてこない。
何故なら、それらは既に本能レベルで刷り込まれているから。
何よりここからは殺るか殺られるかになる、いいさ…ねじ伏せてやろうじゃないか。
彼の内に宿る狂気…そして妄執ごと、その全てをへし折る…俺が放てる最高の一撃をもって。
会場の喧騒は止む事無くリングに注がれ、今まさにゴングが鳴ろうとしていた。
王者は少し早めに立ち上がり、邪魔だと言わんばかりにセコンドを除けると、その獰猛な瞳を向けてくる。
こちらも視線は外さない、この戦いはもうポイント云々の勝負では無い事を知っているから。
どちらかが力尽きた時終わる、そういう空気になってしまったのだから。
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