五章最終話 ねじ伏せるには

第七ラウンド、ゴングが鳴った直後から開戦。


王者は先ほどまでのノーガードは止め、サウスポー構えに戻してのデトロイトスタイル。


しかしパンチをガードする気は一切感じられず、全てをボディワークで避けるつもりらしい超攻撃的ボクシングを展開してくる。


体をグイングインと鞭のようにしならせ、攻防一体の動きで力を乗せ放ってくるそれらは、もしもらえば即座にひっくり返るほどの威力がある筈だ。


ならばとこちらはボディを中心に攻め立てるが、まるでお構いなしにガードの上から強打を叩きつけてくる。


ダメージで言えば間違いなく向こうの方が蓄積している筈、なのにまるで勝っている気分にならないのはその瞳のせいだろう。


狂気を宿し、常に俺の奥を覗き込むような不気味な光を放っているのだ。


(何なんだよこいつ…当たっても倒れる気がしない…。)


完全なインファイトと言うよりは中間寄りの距離を維持したまま、両者力の籠ったパンチの応酬。


俺は細かくステップを刻みコンビネーションで攻め、王者は一発に力を乗せて来るスリリングなやり取りが続く。


そんな状況の中、去来する思いは意外にも自信。


(でも俺も結構やるじゃないか…金メダリストと互角にやりあえてる。)


王者の動きは結構無駄が多く、このまま行けばいずれは体力も限界がこよう。


そう思っていたのだが、限界が来る所か、ラウンドも半分を過ぎた頃には寧ろ動きの切れが増している。


王者の打ち終わりを狙い撃つのだが、それにさえもカウンターを合わせようとしてくる始末だ。


これは技術云々ではなく、単純に身体能力の差。


そしてこちらが強気に出られないのは、一発の力の差も大きい。


相打ちを繰り返せば先に参るのは俺の方、ならばどうしても打たせずに打つを実践する必要がある。


しかし現実は中々に難しい状況。


(…なん…だ、疲れる所かどんどん早くなっていくじゃねえかっ!)


体をしならせ右を叩きつけてきたかと思えば、その直後には反対側から強打が襲い来る。


(…こんなに動いてんのに…何でこんなに返しが早いっ!?)


デンプシーロールという、漫画で有名になった技がある、しかしそれとも違う。


何故ならこの王者の動きは前後の出入りを基本にしており、大きく横に身を傾けたりはしない。


俺の動きに連動しているのだろう、常に距離が一定で、自分が一番強く放てる距離を維持しているのだ。


「…っ!?」

(…コンビネーションが変則なんだよな…。)


例えるなら、全てのパンチが本命であり誘いでもある。


隙ありと我が物顔で手を出せば、気付かないうちにマットに転がっているのはこちらになるだろう。


「…ちっ!?」

(…これっ!何でそんなにはええんだよっ!?)


強い右ストレートから更に強い右ストレート、本来コンビネーションとは言えない連撃。


なのにもかかわらず、打ち終わりを狙うには厳しいほど隙が無い。


デトロイトスタイルだったのも最初だけで、今ではもう顔面はがら空き状態、打てば当たる。


「…シィッ!…ぅっ!?」


確かに当たる、だがタイミングを合わせて向こうも打ってくる為きわどい交差、芯を外していてもダメージは蓄積していく。


お互いさまと信じたいがどうだろうか。


そして段々と、その狂気を宿した瞳に押される様に、ロープを背負う展開が多くなっていく。


嬉々として迫り来るその表情は、決して笑っている訳でないが喜びを称えていた。


このままでは呑み込まれてしまうと己に喝を入れ、ロープに背を預けながらコンパクトな一撃を叩き込んでいく。


すると王者はそれがどうしたと言わんばかりに、もらいながら力強い一発を返してくる。


だがその瞬間、一瞬だけふらりと体幹が揺らいだのを見逃さなかった。


「…シッシッシィ!…シュッ!!シッシィ!」

(…倒れろ倒れろ倒れろ倒れろっ!!)


既に呑み込まれていたと言われればそれまで、王者の狂気に引き摺られ足を止めての激しい打ち合い。


呼吸が苦しくなってきて、それが鼻血のせいであると認識した瞬間、


「…っ…ぁっ!?」


死角から飛んできた右で側頭部を叩かれ視界が揺らぐ。


不味い所にもらってしまったらしく、地面に吸い込まれる様に体が落ちていきそうになった。


「「「…左っ!!」」」


その時、大歓声で聞こえる筈のない三人の声が、何故か綺麗に重なって聞こえグラリと上体が傾きながらも懸命に左を伸ばす、


力など籠っていない、ただいつもミット打ちの最後に、意識朦朧のなか要求されるパンチを打っただけ。


手応えは無かった。


しかし眼前にある王者の体は、今まで見せなかったほど揺らぎ、ふら~っと後方へ下がっていく。


左腕が伸びている所を見るに、ストレートへのカウンターになっていたらしい。


「…統一郎っ!!勝負ぅっ!!」


それは誰の声だっただろう、会長だったかもしれないし牛山さんだったかもしれない。


俺は足に力を籠め猛然と襲い掛かり、体に染み込んだ形通り力一杯叩きつける。


だがそう上手くいくものではなく、またも死角から飛んでくる右の強襲をもらい、景色がドロリと歪んだ。


同時に王者と視線が重なり、相変わらずの狂気を宿している瞳を見つめ確信する。


(…意識を刈り取らないと駄目だ…。)


先ほどの右は効いたが、足に力が入らないほどではない。


それでも俺はふらり体を揺らめかせ下がる素振り、これは誘いだ。


王者の顔は血にまみれ、ダメージもありありと浮かんでおり、冷静な判断が出来る状態ではない筈。


(…乗ってきたっ!)


案の定、弱った獲物を前に嬉々として襲い掛かる。


狙うのは王者の左ストレート。


(…死角から来るっ!ガードっ!)


再三もらっている大きな右フックをガード、ガツンという衝撃にふらりと上体が揺れる、これは演技ではない。


だがそのことが功を奏したか、ギラギラとした瞳から放たれるのは、殺意すら感じる強烈な左ストレート。


次の一発を考えている打ち方ではない。


(…ここっ!!)


勝負の時、流れに逆らわず、そっと淀みなく優しく右を添え受け流す。


王者の芯が崩れたのを確認すると同時、体は無意識に反転、力を溜めながら左構えへシフト。


そこから放たれるのは、今の俺が放てる最強の一撃…左コークスクリューブロー。

















肩がジンジンと痺れるほどの衝撃が伝わった。


渾身の…勝負の一発が完全に王者の顎を打ち抜いたのだ。


思わず両腕を天に掲げ、大きな雄たけびを上げてしまうほどの会心の一撃。


そしてニュートラルコーナーに背を預け向けた視線の先にいるのは、慣れ親しんだ顔ぶれ。


TKОではない、正真正銘のKО勝利。


劉選手はダウンしてからピクリとも動かず、そのままテンカウントとなった。


会場は何が起こったか分からないという雰囲気で、先ほどまでの歓声は完全に鳴りを潜めている。


俺の手が上がり腰にベルトが巻かれると、事態を呑み込んだ観客達はまばらな拍手を送ってくれた。


暴動とかになるんじゃないかと内心思ったが、意外に冷静で一安心。


「激闘だったね、統一郎君。」


会長に苦笑をもって返す。


「世界見えてきたんじゃねえか?」


それはどちらかと言えばそっち側の仕事、牛山さんにも苦笑で返す。


「感動したよ。いつかはもっと大きな舞台に立とうね。」


女性が一人いるだけで、雰囲気が柔らかくなるのは何故だろう。


いや、これは及川さんだからなのかもしれない。


あまり歓迎されていない戴冠だが、それでも構わない。


俺はどこのリングにでも上がり、このメンバーで世界へ行く、今まさにそう誓ったのだから。

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