第二十二話 その実力は?
試合から一週間ほど経った土曜の夜、練習を終えた俺は葵さんの部屋へ転がり込んでいた。
「この間の試合はどうなる事かと思ったよ。あ、勿論一郎君が勝つって信じてたけどね。」
そう言われ、最前列に座る彼女の心配そうな顔が思い浮かんだ。
「俺もどうなる事かと思ったよ。今度は安心して見ていられる試合しないとね。」
そんな会話を重ねつつ、二人で少し遅くなった食卓を囲んだ。
そして風呂から上がると、どちらから誘うでもなく二人でベッドに潜り込む。
快楽に溺れる時間を過ごした後、秒針の音に耳を澄ませる様な静かな時を過ごしていた。
「お髭が生える様になってきたね。」
彼女は俺の腕を枕に、顔を覗き込みながらそんな事を語りかける。
「急にどうしたの?そりゃ、男だからね。髭くらい生えるでしょ。」
生えるとは言っても、今までは産毛の様な物しか生えず、少なくとも大人の男といえるような風貌ではなかった。
「ふふっ、大人になっていくんだな~って思ってさ。」
彼女は何がそんなに嬉しいのか、頬を撫でては微笑みを浮かべている。
そんなまったりとした時を過ごしながら、目に止まったリモコンに手を伸ばし、何気なくテレビをつけると、
「今日の特集は、来月行われるボクシング日本スーパーフェザー級タイトルマッチです。注目は皆さん知っての通り、挑戦者御子柴裕也選手で~す。」
モニターに映し出されたのは、端正なマスクとさわやかな笑顔を振りまくイケメン。
インタビューしている女性アナウンサーも、気持ち距離が近い気がした。
VTRは彼の紹介映像と、その女性人気などを詳しく取り上げている。
俺は少し妬みも入りつつ、フンっと鼻を鳴らす様な反応をしていると、
「うわぁ…。何か、凄い完成された笑顔だね…。」
初めて聞いたかもしれない、葵さんの少し拒絶の混じった声。
その声色が冗談などではなく、本当の感情から来るものだと物語っている。
以前、ボクシング雑誌で見た時はこんな反応をしていなかったので、俺は不思議に思いつつもただ見つめてしまっていた。
「そういえば、お母さんもどうでもいい男の人と話す時はこんな顔してたなぁ…。」
俺が戸惑っていると、彼女にしては珍しく甘えるような仕草を見せ胸に顔を埋めると、何も言わなくなってしまった。
よく分からないが、彼女にとってのトラウマみたいなものを思い出してしまったのだろうか。
俺は取り敢えず安心させる為、包み込むように抱きしめるとその頭を撫でておく。
「この人と戦うんなら気を付けた方がいいかもよ?ボクシング如何こうっていうよりも、何か怖い感じするんだよね…。」
その口振りは、これから行われるタイトルマッチに於いて、この男の勝利が当然の事であると思っているかの様に聞こえた。
「怖いって何が?…見た感じ性格も良さそうだけどな。」
「う~ん、どうだろうね。私の人を見る目もそんなに確かなもんじゃ無いかもしれないしね~。」
「まあ、才能って意味じゃ確かに天と地ほども差があるとは思うけど…。」
「そういう意味じゃないんだよね。それに、一郎君は勝てると思うよ?私はそう信じてる。」
信じてくれるのは嬉しいが、まだ挑戦権自体ないので何とも言えないし、その時向き合う相手がこの男であるとも限らない。
だが、安心させる意味も込めて必ず勝つからと伝えた。
ここまで言ってたどり着く事も出来なかったらお笑い種でしかないので、死に物狂いで突き進むよりないだろう。
モニターからは相変わらず無駄にテンションの高い女性の声と、落ち着いたイケメンボイスが流れていた。
容姿とは財産である。
この男を見ていると、否応なくそれを感じてしまう。
この男、
帰ってから、この選手について自分なりに調べてみた。
気になった理由は、インターハイ三連覇と言うのが少しおかしいと感じたからだ。
おかしいと言うのは別に不正がどうこうではなく、やる気になれば五冠でも六冠でも取れたのではないかと言う意味だ。
調べてみると、中々に興味深い人生を歩んでいる。
小学三年の時に両親が離婚、小学六年の時に父親が詐欺罪で逮捕。
これだけでも結構波乱万丈なのだが、中学に入ってからは若者向けのファッション誌にてモデルなどもやり始める。
これが若い女性などの知名度が高い理由らしい。
その割には葵さんは知らなかったようだが、そこは人それぞれといった所か。
話は戻るが、何故インターハイしか取れていないかと言うと、簡単な話、その大会しか出ていないと言うだけの事だった。
モデル業などの方もそれなりに忙しかった様で、雑誌の表紙を飾る事さえ多々あったという。
芸能関係には全く疎い為、当然俺は知らないが。
頭脳明晰でもあるらしく、我が国最高峰である帝国大学に現役合格を果たした後、何故か一度も通う事無くそれを辞退したらしい。
正直それを知った時は実に舐めた男だと思った。
しかし、本人曰くボクシングの世界に全てを賭ける為とか何とか。
まあとにかく、凄いやつである事は認めざるを得ないという感じだ。
二月十三日、チャンピオンカーニバル日本スーパーフェザー級タイトルマッチ。
国内タイトル戦をゴールデンタイムで生放送するというのは、スポーツ専門チャンネルでもあまり例の無い事だというのに、中継するのは国内最大手の帝都テレビ。
チャンピオン
それはやはり年齢の問題も大きいのだろう。
チャンピオンがもうすぐ三十四歳になるのに比べ、挑戦者は俺と同じ十九歳。
体力的な面ではどうしても劣るのは否めない。
だが、チャンピオンにはそれを補って余りある経験が蓄積している筈だ。
正確に言えば、自分がそう信じたいというのが本当の所なのだが。
「統一郎、覚えてるか?この備前って選手、大二郎と試合した事あるんだぞ。」
珍しく速い時間に帰宅した叔父が、モニターから視線を外す事無く語り掛ける。
「勿論覚えてるよ。八回戦の試合だったけど、ちゃんと判定まで行ったからね。」
ジャッジ全員が備前選手にポイントを付ける大差の判定だったが、正直そこまで行けると思ってもいなかった当時の俺は、とても興奮したのを覚えている。
「そうか。俺は見に行けなかったが、会う度にあいつ自慢してたっけな~。俺は世界チャンピオンになる男と互角に渡り合ったんだって。ははっ。」
叔父は懐かしむ様に、優しい視線をモニターに映る選手に向けていた。
モニターでは、挑戦者の生い立ちなどがドラマチックに語られており、見る者の感情に訴えかける作りに仕上がっている。
何でも、父の借金の為に一時期ボクシングから離れなければならなかったとか、親戚の支援でようやくもう一度ボクシングの世界に戻ってこられた、等々。
語られる生い立ちは、俺でさえも思わずウルッとしてしまいそうになるほどだ。
この演出を見てしまったら、王者に特別な思い入れでもない限りはどちらを応援するかなど決まっている。
「でも、結局こいつも届かなかったな。で、お前はこの試合どう見るんだ?」
流れているVTRから目を離し、お涙頂戴のドラマには興味が無いと言わんばかりの口振りで叔父が問い掛けてくる。
正直勝ってほしいのはチャンピオンだが、そんな希望が通じるほど甘い世界でも無い事は重々承知だ。
「多分、解説の人達が言う通り挑戦者有利だと思うよ?でも、絶対なんてないから。」
俺も叔父と同じく、モニターから視線を外す事無く答える。
その視線の先には、通常ボクシングの試合ではあまり聞く事の出来ない黄色い歓声が響いていた。
青コーナー側の観客席には普段は見られない若い女性が多数おり、その尋常ではない人気振りが伺える。
そしてそのトランクスには、スポンサーである一流企業のロゴと並び『プラチナグローブ』の文字。
それは今放送されているこの番組のタイトルであり、局が全面バックアップで援助しているという証拠に他ならない。
もっと分かりやすく言うなら、チャンピオン備前直正が勝利する事は望まれていないという事だ。
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