第二十一話 怪物の影

シャワー室の脇にある自販機には、ドリンクをグイっと上に傾けている柴田選手の姿があった。


「ああ、どうも。これからシャワーか?」


これは気まずいと思ったが、意外にも普通に話し掛けられて一瞬戸惑ってしまった。


「あっ、はい。柴田さんはもう浴びたみたいですね。」


何を話せばいいものかと思い、取り敢えず当たり障りのない事を口にしておく。


「ああ、邪魔して悪かったな。」


そう言って片手を上げて帰る背中に、気になっていた事を訪ねてみた。


「あ、あの、御子柴選手と試合した事あるんですか?」


同階級の上位ランカーの試合には目を通しているが、公式試合で当たった事はなかった筈だ。


「いやいや、スパーリングした事あるだけだよ。あれは…二年位前だな。」


聞けば、御子柴選手がまだアマチュアだった時、インターハイが柴田選手の地元開催だったらしく、その時に調整という名目で何度か手を合わせた事があるらしい。


「すげえバランス良い奴だぞ。基本アウトボクサーだけど器用にインファイトもするしな。あいつホンマたいぎ…面倒臭いんじゃ。」


これだけのやり取りでも、この人が結構人に気を遣う人間だという事が分かる。


会話の節々でも、こちらが分からない言葉は使わない様にしてくれているようだ。


それと御子柴選手の事だが、勿論試合は自分でもチェックしている。


だが、プロに転向してからここまで、一貫して近距離で戦うスタイルを貫いていた。


グイグイと強引とも思えるほど前に出続け、殆ど一方的に倒している姿が印象的だ。


推察するに、本来のスタイルは使わず、練習みたいな感覚でやっているという事なんだろう。


「柴田さんは、チャンピオンの備前選手が負けると思ってますか?」


俺の言葉に少し考えるような仕草をした後、虚空を眺めながら口を開いた。


「そうだな…。そうかもしれん。チャンピオンも年だしな、見た目じゃ分かんねえが衰え来てるだろ。」


このとき俺が気になったのは、負けた場合のチャンピオンが現役続行となった場合、どこにランクされるのかという事だ。


場合によっては、俺と当たる流れもあるかもしれない。


「そろそろ浴びに行った方がええぞ。俺も今日はくたぶれたし帰るわ。んじゃあな。」


そう言う柴田さんに頭を下げ見送った。


(不思議な雰囲気の人だな。悔しいだろうに……強い人なのかもしれないな。)










シャワーを浴び終えると、ようやく終わったんだという実感が沸いてきて、安堵感から大きく息が漏れる。


「はぁ~~~っ、しんどい。」


そんな言葉が漏れつつ、さっぱりとしてシャワー室を出ると、挨拶回りなのだろう、通りかかった地方アイドル三人組とばったり。


さっきの聞かれたかなと思い、少しぎこちない笑顔を浮かべ挨拶を交わす。


「あ、どうも、今日も有難う御座いました。試合感動しました。」


藍さんの態度から見て、どうやら聞こえていなかったようで一安心。


「凄かったですよ~!倒れちゃった時はどうなる事かと思いましたが流石です!」


桜さんも元気で何よりだが、疲れている時には少し堪える。


「…いや本当どうなるかと思いましたよ。そりゃ、しんどかったでしょうよ。」


花さんはもう少し気を使うという事を覚えた方がいいのではないだろうか。


芸能界を生きていくうえで、この性格は仇になりかねない。


今も窘めている藍さんの苦労を想像すると、思わず同情を禁じ得ない。


何度も頭を下げる藍さんに、構わないと身振り手振りをしながら控室に戻ると、既に片付けも終わっており皆仲良く帰路に着いた。









帰りの車中、先ほど柴田選手と話した内容を会長に掻い摘んで伝えると、


「御子柴君か。彼は中学の頃から有名だったからね。ほら、相沢君も中学の時に試合で当たって負けてるはずだよ。しかも二回。」


その言葉を聞いて、自分が思っているよりもショックを受けている事に気付く。


俺がボーっとしていると、及川さんも知っているらしく話に加わってきた。


「それって御子柴裕也?確かに有名だね。既に大きなスポンサーが何社も付いてるって。でも確か、一時期諸事情でボクシングから離れたって聞いたかな。」


普通大きなスポンサーがつくというのは、ある程度の実績が認められた後の事だ。


タイトルを取ってもいないのに付くというのは、それだけ成功が約束されている証拠だろう。


勿論、あの俳優もかくやという端正なルックスが一番の理由だろうが。


「それってやっぱりファイトマネーなんかも凄いんですかね?」


意外に佐藤さんもそういう事には興味あるらしく、会長に問い掛けている。


「確かな事は知らないけど、噂じゃデビュー戦で五百万とか一千万とか聞いたよ。」


普通の四回戦ボーイの数百倍とは恐れ入る。


それに加え、恐らくジムから多額の契約金ももらっている筈だ。


(いや、お金じゃない。そんな事の為にやってるんじゃない…筈だ。)


とは言っても、人が生きる為にはお金は絶対に必要なもの。


羨ましくないと言えば嘘になるが、自分だってこれからの選手の筈。


心の中で、未だまみえた事の無い相手に湧き上がる、沸々とした感情を感じていた。


「会長はどちらが勝つと思いますか?チャンピオンカーニバル。」


直ぐに答えが返ってくると思いきや、意外に悩んでいるようだ。


「御子柴君がどういうボクシングをするかによるね。転向後の強引なスタイルに拘るなら、勝敗も分からなくなるんだけど…。」


裏を返せば、勝つ事に拘れば勝てると言っているに他ならない。


現チャンピオンの粘り強いボクシングは何となく父を彷彿とさせ、おのずと感情移入してしまう。


その事もあり、俺は少し面白くないと感じていた。


「明君はどう思う?チャンピオンが勝つと思わない?思うよね?」


断じて強制するつもりなどなかったのだが、彼の表情を見る限りそうなってしまったらしい。


「は、はい…。きっと、チャンピオンが勝つと思います。」


申し訳ない気持ちで一杯になり、謝意の意味も込めて頭を撫でておいた。










家に帰り着くと、相沢君に例の事を聞くべく電話を掛けてみた。


「おお、統一郎か。何だ?今日の試合どうなった?」


取り敢えず先程の試合結果を伝え、本題に入ろうとするのだが、いざ聞こうとすると、どう聞くべきかが分からない。


昔負けた相手のこと教えて、などと聞ける訳も無く悩んでいると、


「そういやよ、来月のタイトルマッチ、御子柴ってやつ出るだろ?」


貴方はエスパーですかと言いたくなるタイミングで、向こうから切り出してきた。


「あいつ昔は本当つまんねえボクシングしてたくせによ。あ、中学時代な。俺とやった時もポイントボクシングの典型って感じだったんだよ。」


聞きたくてたまらなかった事を自ら話してくれるとは有り難いと、聞き入っていた。


「あんなボクシング出来んなら、最初からやれってんだよ野郎。そりゃ、技術はすげえとは思ったけどよ。あ、それと、スポーツニュースでも何かすげえ取り上げられてんのなあいつ。」


気に入らねえ、とぶつぶつ言っている相沢君を宥めつつ、聞きたい事は聞けたので、向こうの近況に耳を傾ける。


「俺か?来月の初めだな。相手はランキング七位とか言ってたかな?」


自分の相手なのに関心が無い所は自信家の彼らしい。


本来の階級はフェザー級だと思うのだが、同門にタイトルを狙える吉村選手がいる為、一つ階級を下にずらしているのだろう。


それでも泣き言一つ言わない所が、本当に尊敬できると思った。


「しかし御子柴の野郎にスポンサー付くなら、俺に付いても良さそうなもんだよな?」


それについては彼の場合、宣伝すれば直ぐにでも解決しそうな気がする。


「地元企業とかに掛け合ってみれば?俺にもそのうち付くだろうって会長が言ってたよ?」


勿論大企業とかではなく、地元の中小企業ばかりだろうが、それでも有り難い事には変わりない。


「そっか。よっしゃ、会長に言ってみっかな。御子柴に負けたら殴るぞ。じゃあな。」


試合をやる事すら決まってないと伝える暇もなく、電話は切られた。


色々聞いてみた結果思った事は、意外に相沢君が拘っているというか、敵意みたいなものを抱いていた様な気がする。


まあ、彼の場合そこまで深い理由があるとも思えないのだが。

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