第七話 生き残る為に
「只今よりぃ~本日のメインイベント、日本スーパーフェザー級タイトルマッチ十回戦を行います。」
会場は一時の静寂に包まれていた。
「赤コーナー、あの天才御子柴裕也を破り戴冠を果たした地方の星……公式計量は百二十九パウンド二分の一~……」
徐々に、徐々に、会場のボルテージがざわめきと共に上がっていくのを感じる。
「…十二戦十二勝無敗、うち六つがナックアウトっ。森平ボクシングジム所属ぅ~…日本スーパーフェザー級チャンピオン…とおみやぁ~~とぉ~いちろぉ~~っ!!」
一階席、二階席から響く歓声が交差し混じり合い会場を震わす。
びりびりと伝わる音の振動が否応なく自覚を促してくる。
お前はもう上を見上げるだけではいけないのだと。
これからは這い上がって来る者達を、もう一度叩き落とさねばならない立場なのだと。
「続いて青コーナー、公式計量は……………………十九戦十四勝五敗、うち七つがナックアウト勝ち。王拳ジム所属ぅ~日本スーパーフェザー級七位ぃ~むとうぅ~かぁ~ずしぃ~~っ!」
会場全体の拍手に加え、向こう陣営の応援団から声援が飛ぶ。
(調子は悪くないな。いつも通りだ。必要以上の緊張はしていない。)
正直、本番になれば固くなるのではないかと不安だったが、別段そういう事も無い。
だがそれも当然と言えば当然の事。
この間までは余りにも大きな壁が立ち塞がっており、それを超えたのだから。
レフェリーが手招きする。
応え、両陣営が中央へ。
武藤選手と視線が合う。
真面目そうな人だ。
だが見た目とは裏腹に、ボクシングは非常に柔軟。
今までのデータから見る限り、派手さは無く器用貧乏と言えなくも無いが、しっかり練習を重ね基礎が身に付いている人の動きだ。
視線で覚悟をぶつけ合う両者が分かれ、自陣へと戻っていく。
「統一郎君、この試合で君への評価を正当なものにしよう。」
試合前から、会長は何度も同じ事を語ってきた。
恐らく交渉している流れで、何か腹に据えかねる事があったのかもしれない。
それが何かなど聞いたりはしないが、俺のせいで要らぬ苦労を掛けているのは事実だろう。
ならば、その全てをこの一戦で払拭してやらねばならない。
絶対王者など幻想。
だが、王者として見せるべき姿というものはある筈だ。
カァ~~ンッ!
ゴングが響く、
歓声と混じり合い、どうにも聞こえにくく始まった実感が沸かなかった。
「……………しゃす。」
軽くグローブを合わせ、新たな道の始まりを告げる。
構え視線で射抜くと、相手はすぅっと足を滑らせるようにして距離を取った。
俺は動かない。
リング中央、ここが王者のいるべき場所だ。
「…シッ!」
まずは挨拶代わりの左。
相手はステップを踏むというよりは、爪先を滑らせるなめらかな動きで側面に回り込む。
(直近の試合では頻繁にスイッチしてたな。)
相手はここ数試合で、ガラリとスタイルを変えてきた。
教科書通りの堅実なボクシングが基本だが、スイッチを繰り返す事でリズムやタイミング、距離を計りにくくする。
そして今、眼前でもそれは行われていた。
「…シッシィ!……チッ!」
ワンツーの右に合わせ左を被せてくるのだが、それはジャブではなくストレート。
いつの間にかサウスポースタイルに変わっている。
実戦でそれを気付かせない動きは大したものだ。
恐らく相当練習を積んだのだろう。
正直やりにくい。
俺の様なリードブローが生命線のタイプは特に。
(いつもは俺が距離をずらしにかかる側だが、逆にやられると嫌なもんだな。)
こちらが対応できていないのを見て取ったか、相手はジャブ二発から左ストレート。
そしてその左を引き戻すと同時に、いつの間にか右構えに戻っている。
(スピードもパンチも並。正直怖さは無い。だが……)
今俺が思っている印象は、どう例えればいいのだろうか。
言ってみれば、俺と少し似ている。
飛びぬけた才を持つ者と対峙しても、何とか生き残ろうと藻掻いた結果の形。
(…分かるよ。あんたも俺も凡才だ。だが、そんな事は言い訳にならない世界だもんな。)
生き残る為に磨いた結晶をぶつけあうのがこの場所、リングだ。
「…ふぅ…………シッシッシッシッ…シッシュッ!!」
こざかしいと言わんばかりに弾幕を張る。
精密なコントロールではなく、感覚だけを頼りにした連打。
それでも当たる。
何故なら、これこそが俺の結晶なのだから。
相手は堪らず距離を取るが、それを追わず少しガードを下げ、さあ来いと挑発。
その姿に会場の歓声もひときわ大きくなった。
まだ俺の実力は世間一般に認められているものではない。
だからこそ、距離を取りポイントを重ねる本来のスタイルではなく、今はまだ積極的に倒しに行く事に拘るべきだ。
カンッカンッ!
拍子木の音が微かに聞こえた。
(ラウンド残り数秒……来るなら今だな。)
この相手は決して強打が持ち味の選手ではない。
だからこそ判定に縺れる流れを考え、取れるラウンドは是が非でも取りたい筈だ。
(…来たっ!!)
「…シュッ!!」
相手は激しく頭を振りながら踏み込んでくると同時に、体勢を低く取り右ボディストレートの構え。
俺はタイミングを合わせ打ち下ろしの左を被せる。
だが、横っ面を斜め上から叩かれる格好になっても、相手は更に踏み込み伸ばす腕を引かない。
「……っ!?」
瞬間、俺は左を伸ばした体勢のまま身をよじる。
相手の頭が丁度顎の下あたりまで来た所、突然勢いよく上体を起こしてきたので、あわやぶつかりそうになってしまったのだ。
もしぶつかっていたら、顎を強打され脳震盪、もしくは目じりのカットなど深刻なダメージを負っていた恐れもある。
偶然だと信じたいがどうだろうか。
何とも言えぬ嫌な空気の中、第一ラウンド終了のゴングが響いた。
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