第二十七,五話 サイドビュー5

【赤コーナーサイド】


「どうしたエルヴィン…動きが悪いぞ…まさか疲れたのか?」


マークの問い掛けに首を振り否定の意を伝える。


「いや…大丈夫だ。何の問題もない…いつも通り勝つよ。」


会場は割れんばかりの歓声に満たされていた。


いつもなら静まり返って、メインイベントの予想などを語りあっている時間。


観客皆がリングに…いや私に釘付けになっている。


(違う…駄目だ駄目だ。俺には関係ない…守るんだ…今の生活を…家族を。)


集中しなければならないのは分かっているのに、また視線はそこに向かってしまう。


妻と息子のいるその場所へ。


妻の瞳はとても優し気で、思わず試合中だという事実を忘れ笑みを浮かべてしまいそうになる。


息子は相変わらず不安そうな瞳、何かを恐れているようにさえ見える。


(…守る?…守れているのか?…あんな顔をさせているのに?)


遥々海を越えやってきたこの島国。


私は一体どうしたいのだろう。


家族を守る為?


違うのではないか?


ただ臆病だから、積極的に倒す事も倒される事も拒んでいるだけでは無いのか?


本当に守りたいのなら、アランが胸を張って誇らしいと言える存在にならなくてはいけない。


その為に私が為すべき事は……







【観客席西側】


「…空気が変わってきたな。」


何となくそんな事を思ってしまった。


「お?世界王者目線で見てか?そりゃ心強い…で、変わったのは良い方向にか?それとも…」


「いや、何となくそう思っただけなんで…変わってないかもしんないっす。」


多分感じてるのは俺だけじゃないはずだ。


おっさんだってさっきは応援の声が出なくなっていた。


何となく大きく試合が動きだす気配を感じているのだろう。


この空気…多分あの時と同じ。


統一郎が絶対無理だと言われた試合をひっくり返した時と。


そう、御子柴の野郎に黒星を付けたあの試合だ。


(あの王者の表情…呑まれ始めてんじゃねえのか?へっ…面白くなってきやがった。)








【観客席西側後部】


「松本さん、なんかチャンピオン動きがぎこちなくないっすか?」


偶々近くの席に座っていたのは、古くから知っているスポーツ新聞の記者。


「ああ…そんな感じはするな。」


遠宮統一郎、最初は地方の…しかも新興ジム所属の新人王なんて珍しいなくらいの感覚だった。


一言で言ってしまえば、物珍しさだけで会いに行ったんだ。


だが初めて会った時に感じた俺の勘は、間違っていなかったようだ。


所謂『持っている選手』特有の空気を、彼は纏っていた。


それから俺は頻繁に森平ボクシングジムを訪れるようになり、今ではちょっと特別な扱いをしてもらえている。


当時編集長からはもっと優先すべき選手がいると何度も苦言を呈されたが、今ではどうだと胸を張れるさ。


先も言ったように特別扱いのお陰で俺だけに語ってくれることも多く、先見の明があると身内からも一目置かれるようになった。


まあ、たとえそんな理由などなくとも、彼には応援したくなる何かがあるのだが。


この試合を取ればラスベガス進出だって夢じゃなくなる。


地方から世界へ…真の意味でそれを成し遂げてしまうかもしれないんだから、本当に大したものだよ。


だが、もしかしたら彼はそこに拘らないかもしれない。


寧ろ彼にとって、遠いラスベガスよりもここで大きな試合が出来る、その事が何よりも嬉しいのではないだろうか。


そんな気がする。

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