第十八話 派手さはいらない

「…お願いします。」


パシンと挨拶を交わした後は、互いにトンと軽くステップを踏み距離を取る。


正にらしい立ち上がり。


最初の接触が肝、相手が伸ばすリードブローである右、それをどう捌くかでこの先の展開が大きく変わるだろう。


リーチ差を活かしたアウトボクシングで勝てると思わせるか、それとも別の立ち回りを用意しなければどうにもならないと思わせるか、という事。


精神状態は意外に良い形に収まった。


視野を広く持つことが出来ており、かつ注意がばらけている訳でも無い。


(中々来ないな…こっちから行くか?)


中央を挟んで向かい合いながら、互いがフェイントで探り合う展開。


俺としては向こうから手を出してきてほしいのだが、そう都合良くは行かないのがボクシングだ。


「……シィッ!」


上にフェイントを掛けてから、下に伸ばす左ボディストレート。


初撃はジャブからと思っていた相手も、これには意表を突かれ、取り敢えず深くは無いが捉えた印象。


こうなれば向こうからも手を出さざるを得なくなる。


先ずは好きに打たせ、射程やタイミングを観察、まだ深くは接触はしない。


(癖は…無さそうかな。逆側のガードが下がるといった事も無い…か。)


非常にきれいな形、良く練習している背景が窺い知れる。


だが三十秒ほど追い掛けさせると共に打たせ観察し、射程は掴んだ。


「…シッ!」


伸ばしてきた右を鼻先で見切り、引き手が戻るのを待たず強い左。


動きは止めず時計回りでサイドを取ると、相手も素早く俺を正面に捉え左ストレートの構え。


しかしそれを放つ体勢になった時には、俺は既に距離を取っている、軽い左のおまけを置いて。


これで追いかけて来るなら踏み込んで意表を突くつもりだったが、相手は冷静に対処。


その場で軽く息を吐き、リズムを取り戻すべくトントンとステップを刻む。


「…シッシッシッシッシッ…」


だがそんな悠長な事は許さない。


打てる体勢に無い一瞬を見極めると、弾幕の左で襲う。


強引に振って来るパンチは丁寧にガード、再度時計回りに動いてから左を置いてバックステップ。


さあどう出ると眺め見やると、今度は追ってくる様相。


「…シィッ!!」


ならばと強めの右でお出迎え、ガードの上だが構わない、只の警告だ。


悪くない立ち上がり、冷静に冷静に己を制御しつつ一ラウンドが終わった。











相も変わらずの静かな試合、欠伸が出そうな空気が蔓延する中、試合は第四ラウンドに入っていた。


この相手は印象そのまま近い距離は苦手とするらしく、踏み込もうとすると強い連打で止めに来る。


これに関しては、俺も近い距離で勝負する気はないので、只疲れさせるのが目的だ。


足は止めず、真っ直ぐに出入りするより周りをまわる軌道を重視。


時々強い右を混ぜ、警戒するべき選択肢を明示しながら、放ってくる大きなパンチは空を切らせ、細かいパンチはしっかりガード。


こうして体力を削っていくと、次第に相手のガードが甘くなるのは当然の流れ。


(段々下がってきたな…。)


多少の疲れが出始めたか、右のリードブローを打つ時に左のガードが下がり始めた。


(踏み込んでくるタイプじゃないからやり易いな。)


相手がサウスポースタイルの場合、強気に踏み込んでこられた時、どうしても足が踏まれそうになってしまうのだ。


しかしこの相手は俺と同じ遠くで勝負したい性格らしく、非常に立ち回りが安定する。


簡単に言えば、試合展開の決定権が常に俺にあるという事。


「…シッ…」


相手の左ストレートを受け流し、一度フェイントを挟む。


チャンスと見たか、カウンターを合わせてきた所に真っ直ぐ右を伸ばすと、軽く当てサイドステップから距離を取った。


打ち『合う』という事はせず、軽くでも何でも俺だけが一方的に当てる、これが全て。









第七ラウンド、静かだから余計に相手方の家族が声を張り、それが良く響く。


しかし既に時遅し。


塵も積もれば山となる。


体はまだまだ元気そうだが、何をやっても当たらず一方的に小突かれる展開に、精神が根を上げ始めた様だ。


それに呼応するように次第に手数も減っていき、ガードの上からパシパシと細かいパンチを当てていく。


これは例えるなら触角、相手の次の行動を探る手順。


(…左右のフック…。)


重心を沈め真っ直ぐボディへ伸ばす。


(…アッパー…。)


上体を仰け反りスウェーで躱し、追撃もウィービングで躱しつつサイドステップ、小さな置き土産として軽く左を突いてから立ち去る。


相手方の疲労はもう見るだけで分かった。


肩が大きく上下に揺れ、ガードも顎下まで下がっており、勝負に出れば倒せなくも無いだろう。


(…勝利が全てだ…。)


だが危険は冒さない。


フェイントから入り、相手に行動を促してから後出しジャンケンの様に手を出す。


決して大振りはせず、それでも狙いは急所。









試合は最終ラウンドに入った。


この試合を金を払ってまで見たいかと言われれば、殆どの者が首を横に振るだろう。


「…シッシッシッ…シッシッ…シィッ!」


回り込みながら左、左、左、探りのフェイントを挟み、左、左、再度フェイントを挟んでの強い右。


丁度強く振ってきた所にタイミングが合い、右がカウンターで入った。


「…ダウンッ!!」


俺は言われる前にニュートラルコーナーへと足を向ける。


効いてはいるだろうが、どちらかと言えば積もりに積もった疲労によるダウン。


このダウンから立って来られるかどうかで、相手の性質も分かろう。


意外に向こう側セコンドは大人しく、檄を入れる声さえ聞こえてこない。


(残りは…後三十秒か。)


もしかしたらこれで終わりかと思っていたが、相手はまだ続行を望む意思を示した。


その瞳には闘志が覗き、せめて一太刀という強い思いが感じられる。


レフェリーの合図を聞き、俺は構えを取り歩み寄っていった。


残り時間など関係なく、俺のやるべき事は変わらない。


「…シッシッ…シッ…」


相打ち狙いの大振りを冷静に躱しつつ、小さなパンチを当てていくだけ。


そしてゴングが響いた。


「有難う御座いました。」「…あ…ぁっした……」


互いに挨拶を交わした後は、向こうの陣営にも挨拶に向かう。


「…いや、堪んねえなこりゃ。良い勉強になった、あんがとよ。」


一言二言言葉を掛け合い、鶴岡選手ともすれ違いざま今一度声を掛け合い自陣へと戻る。


「完璧だったよ。何も言う事無し。」


俺の勝利という採点の結果が告げられ、まばらな拍手の中リングを降り花道を抜け帰路に着いた。

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