第四話 後に続く

「お疲れ様でした~。」


仕事を終えると車に乗り込み、一度自宅へと向かう。


免許を取ってからは、走って行き来する事もすっかりなくなった。


ジムに到着し、預かっている合い鍵で開けようとすると、どうやら既に来ている様だ。


「お疲れ様です。」


引き戸を開け先に来ていた佐藤さんに声を掛けると、バンテージを巻いていた手を一旦止め挨拶を返してくれる。


「明君、今頃どうしてますかね?もう試合終わってる時間ですよね?」


そう聞かれ時刻を見ると十七時三十五分。


第一試合の開始が十七時だった筈なので、予定通りならもう終わっているであろう頃合いだ。


「牛山さん辺りに電話かけてみましょうか?でもまだ会場かな…。」


二人で顔を見合わせた後、どの道明日には結果が分かるだろうという事で、それぞれ練習を開始する。


しかし、会長も牛山さんもいないジムの空気というのが馴れず、新鮮とも違和感とも取れる不思議な感覚に包まれていた。


佐藤さんも静かだと落ち着かないらしく、俺が一度車に戻りCDを取ってきて音楽を掛ける事に。


「あ、これ、たしかBLUESEAの新曲でしたっけ?」


佐藤さんも知っていたらしく、思いのほか好感触だ。


「ええ、この間の取材の時にもらったんですよ。結構いい曲ですよね。」


確かこれが三枚目のシングル、アップテンポでノリのいい曲だ。


「あ、これ、リズム取りやすくて良いかもしれませんね。」


佐藤さんはそう言いながら、曲に合わせてコンビネーションを繰り出していく。


その軽快なステップに乗せられこちらもシャドーを再開する。


そうして、いつもとは勝手の違うジムでスパー以外のメニューをきっちりこなした。


練習後スマホの画面を見ると、着信履歴が表示されている。


それは会長からで、試合の結果を伝えるものだと思い、直ぐこちらから掛け直した。


「もしもし会長。こっちはメニューこなしました。そっちの結果はどうでしたか?」


電話口から聞こえる声に、佐藤さんも耳を澄ませている。


『ああ、勝ったよ。危ない場面もあったけど、四ラウンドTKO。』


その返答に二人揃って、おぉ~っと声を上げた。


「森平ボクシングジム連勝記録更新ですね。」


俺がそう言うと、電話口からでもほんの少し笑みを浮かべているのが分かった。


『しっかりストレッチしてから上がるんだよ。』


会長の言葉に返事を返した後、電話を切る。


「大丈夫だとは思ってましたけど、やっぱり勝てましたね。」


佐藤さんもほっとした表情をしていた。


なんやかんやで、スパーリングなど面倒を見る機会が一番多いのが佐藤さん。


もしかしたら俺よりも感情移入していたかもしれない。


「次は俺達ですね。そういえば佐藤さんは試合決まってるんですか?」


自分は十月十三日の挑戦者決定戦で向こうのホールに赴く事が決定している。


相手は菅原博隆すがわらひろたか、つい先日御子柴チャンピオンに敗れた選手だ。


決して舐めている訳ではないが、ここで躓くならどの道あの男には勝てないだろう。


「ええ、一応。相沢さんがメインを張る興行があるらしくて、そこの前座で上がる事になってます。」


聞けば十月十八日らしく会長達は大忙しだ。


「佐藤さんは今三勝だから、次で四回戦卒業か。四連勝で六回戦進出とか、すげえカッコいいですね。」


その言葉を聞いた佐藤さんはといえば、既に勝った様な物言いの俺に苦笑いを浮かべている。


「…いや、まだどうなるか分かりませんよ。相手の事も分かんないですし。」


そうは言っても、この人がそこらの四回戦に負けるとも思えない。


そんな事を考えていると、そういえば佐藤さんのアマチュア時代の戦績を知らない事に思い至る。


気になったらどうにもならず、良い機会と思い聞いてみる事にした。


「自分の高校時代の戦績ですか?そうですね…。」


そして佐藤さんは、昔を思い出す様に視線を宙に泳がせながら語り始める。


「ボクシング自体は二年の春頃から始めて、三年の夏にインターハイ出場を決めたんですよ。」


意外にボクシング歴が浅い事実に驚いたのと、全国に行っている事にも驚いた。


「凄いじゃないですか。で?結果は?」


もしかしたら優勝とかしたのかと思い、身を乗り出し気味にして問う。


「いや~それが…、大会一週間前に盲腸を患っちゃいまして…。そのまま不完全燃焼で引退と相成った次第です。はい。」


負けたのならば納得できるが、場にすら立てないというのはつらすぎる。


「それから引退した後も就職した後も、何となく終わってない気がして、ずっとランニングだけは続けてたんですよね。」


何となく分かる気がした。


練習した成果をぶつける機会も得ずに終わり、気持ちの行き場がなかったのだろう。


ならば社会人の大会に出ればいいと思うかもしれないが、そういう話ではないのだ。


仕方がないとは思いつつも、もやもやとした気持ちは残ったままだっただろう。


外したバンテージをしまいながら佐藤さんは続きを語る。


「そしてこっちに異動になった後、勤務明けにテレビ見てたら、遠宮さんの全日本新人王の試合が流れて、こう、血が湧き立つって言うか…。」


だから、年下の自分に対して頑なに『さん』付けをするのだろうか。


行き場所のなかった自分の心に、行きつく場所をくれたから。


聞いていて誇らしい気持ちになった。


自分の試合が、その軌跡が、明君や佐藤さんという人達の人生を変えた。


そしてこれからもそういう人達が、現れる試合がしたい。


そんな決意にも似た意識が沸き上がっていた。







「お疲れ様でした。お互い頑張りましょう。」


別れの挨拶を交わし、心許ない街灯に照らされた川沿いを走る。


自分の背中を見て後に続く人達に、恥ずかしい試合を見せない為に。


例えいつか負ける日が来たとしても、それでも誇ってもらえる様に。


そう思った時に浮かんだ顔は、あの底知れない男の顔。


御子柴裕也。


正直勝てるビジョンなど浮かばない。


(それでも、勝つ!)


激戦を思い描きながら、境内へと続く石段を駆け上がった。













9月中旬、試合まで一ヶ月を切る中、様々な店を渡り歩く。


その理由はといえば、数日後に迫った葵さんの誕生日に向けて、贈り物を何にしようかと悩んでいる所だ。


性格的に彼女はそこまで貴金属類に興味のある様子は見受けられない。


勿論去年の誕生日に送った時にはとても喜んでくれたが、ゲームセンターで取ったぬいぐるみの方が反応が良かった気がする。


それに毎回宝石を送られては気兼ねするだろうという配慮もあった。


(あ、これいいな。大きさもちょうどいいし、これにしよう。)


それは三十cmくらいの猫のぬいぐるみ。


どことなく猫っぽい所がある彼女にはぴったりな気がした。










九月十六日、葵さんの誕生日当日だが、この日は残念ながら平日だ。


しかし、前もって帰宅時間を聞き、宅急便を丁度いい時間に着くように指定して送っておいた。


仕事の間も、無事に届いたか心配で無性に落ち着かない。


そしてその日の仕事開け、彼女からお礼のメールが送られてきた。


『プレゼント有難う。可愛くて凄く気に入ったよ!』


取り敢えずは喜んでくれた様で一安心。


直にその顔が見れなかった事は残念ではあるが、こればかりは仕方ないだろう。

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