第五話 挑戦権を賭けて

十月十二日、前日計量日。


「いよいよかぁ~、遂に見えてきたね。日本タイトル。」


車中、嬉しそうに及川さんが口を開く。


「勿論、目の前の試合に集中しなきゃなんだけど、それでもね。」


自分としてもベルトを巻いた姿をこの人達に見せたい。


だが、言うほど簡単な事でないのは分かってもいる。


「今回の相手『菅原博隆』だったか。俺も映像では見たが強いのか?」


牛山さんが聞いているのは、俺にではなく会長にだろう。


口内が渇いて口を開きにくいことは牛山さんも理解しているので、行きの車でこちらに話しかけてくる事は基本的にない。


「ええ、強いですよ。特に、統一郎君にとっては公式戦初のサウスポーですしね。」


そう言われても、特に危機感を抱く事はなかった。


恐らく今回の相手よりも強いであろうサウスポー、相沢君とのスパーリング経験があるからだろう。


「でも、相沢君で結構経験値ありますから統一郎君は大丈夫だと思いますよ。」


まるで俺の考えを読んだかの様に会長が補足する。


その相沢君だが、次の試合で東洋七位の選手を招聘して迎え撃つらしい。


マッチメイクの流れから考えて、国内タイトルではなく東洋に標準を絞ったのだろう。


ちなみに日本が認める東洋タイトルは現在二種類あり、WBC傘下のOPBFとWBO傘下のアジアパシフィックがそれだ。


違いは何かと聞かれれば少し迷うが、ランキングに入る条件がその一つに挙げられる。


アジアパシフィックの方は日本ランキング三位以上が必要なのに対し、OPBFの方にその様な条件は無い。


更に前者の方は、タイトルを取ると同時に世界十五位以内のランキングが確約されるのだ。(WBOのランキング)


だが、歴史を見ればOPBFの方が長いので、どちらに価値を見出すかはそれぞれ陣営の判断だろう。


そして相沢君陣営が狙っているのは、恐らくOPBFの方だと予想している。


それからはじっと目を瞑りながら様々な事を考え、目的地へ着くのをひたすらに待った。


こういう場合、静かにされるよりもある程度話し声があった方が不思議と気が紛れるものだ。


「それでも、成瀬君なら何か対策してきてるんでしょ?」


会長をこの様に呼ぶのは知る限り及川さんだけなので、付き合いの長さを感じる。


「うん?まあそれなりにはね。サイドステップからの右ストレートを狙えればいいかな。チャンピオンもやってたあれね。あれは有効だよ。」


最近は会長の薫陶もあり、初撃に右を出す時の変な癖もだいぶ消えた。


まあ、それでも時々顔を出すのが偶に傷でもあるのだが。


特に今回は、積極的に右を使って行けと言われているので注意が必要だ。


「なるほど、確かにあの菅原って選手は左のストレート以外で倒した試合なかったわね。」


あの左を十全に使わせない事が最重要という作戦らしく、基本的に正面には立たず、サイドステップしながら左を突き、ここぞという所で右。


これが会長から言われている今回の作戦だ。


リスクの高いコークスクリューは打たない様にとも釘を刺されている。


「今回あれは出さねえのか?練習してただろ。あのサウスポーに切り替えてのコークスクリュー。」


備前さんとの試合でフィニッシュブローになったあれだが、練習はしているものの、まだまだ実用段階には至っていない。


「あれはまあ、とっておきの隠し玉なので。それにサウスポー相手だと結構難しそうですしね。」


そんな雑談を聞きながら、気付けば眠りに落ちていた。



















「…五十八,八㎏……遠宮選手、もう大丈夫ですよ。」


秤の上でボーっとしていたら、邪魔だとばかりに言われてしまった。


栄養も水分も足りない為、どうしても頭が回らず呆けてしまう。


計量も終わり、ほっと一息つきながら服を着て水分を取っていると、


「遠宮君、少し話聞かせてもらっていいかな?」


振り返ると、ボクシング雑誌の記者である松本さんがいた。


「いよいよ挑戦者決定戦だね。ちょっとこっちで写真もお願いしていい?」


そう促されついていくと、対戦相手の菅原選手もおり、互いの視線を交え軽く会釈をしてから挨拶を交わした


間近で見る菅原選手は、短く刈り揃えた髪型と綺麗にカットした口ひげがダンディで中々にカッコいい。


「では、まずお互い明日の試合に向けての意気込みを聞かせてもらえるかな?」


そう問われ、どうぞどうぞと先手を菅原さんに譲る。


「そうですね。こんなに早くもう一度挑戦出来るチャンスを与えられたという事に感謝しています。明日は必ず勝って、次こそはチャンピオンに一泡吹かせたいと思ってます。」


その顔つきからは余裕が感じられず、この前の敗北を引き摺っているのが見て取れた。


松本さんが目線で促し、次は俺の番だと催促してくる。


「あ、はい、自分にも負けられない理由はあるので、明日は全力で挑みます。」


それを聞き、松本さんは手帳にペンを走らせる。


「じゃあ、お互いの拳を顎の下につける様にしてこっちを見てくれる?」


言われた通りのポーズをし目線を送る。


カシャッと音が響くと、松本さんはまだ取材があるらしく俺達に礼を告げてから次の選手の元へ向かった。


「明日は宜しく。」


菅原さんが手を差し伸べてきたので、こちらも手を握り同じ様に返す。


その後、すぐ近くで眺めていた三人に促され会場を後にした。













目の前には、何とも食欲を刺激するカツ丼が二人前。


場所はもうお馴染みとなった全国チェーンのレストラン。


「いただきます!」


もう我慢できぬと、口の周りにご飯粒を付けながら掻っ込む。


正に至福。


これ以上の言葉など出てこない。


肉を食む度、体の中心から熱となって力が巡っていく。


そしてあっという間に平らげると、刺激された食欲が収まらず目の前の料理に視線は釘付けとなった。


(いや、食い過ぎは駄目だ。でも…サンドイッチか。それぐらいなら…。)


思わず、目の前のサンドイッチが摘ままれ運ばれていくさまを、目で追いかけてしまう。


「坊主…。頼んでやるからそんなに見るな。及川さん食いずらそうにしてんだろうが…。」


指摘されて目線を上方にずらすと及川さんが苦笑いしていた。


「すいませんっ!」


慌てて謝ると、及川さんは良いよ良いよと言いながらサンドイッチを頬張る。


その後すぐに、自分のもテーブルに置かれ存分に堪能した。

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