第十一話 ベテランの味

「只今より、本日のメインイベント、スーパーフェザー級十回戦を行います。」


リングアナの声が響き、待ってましたと言わんばかりに会場が沸く。


「赤コーナー、七戦七勝、七勝の内二つがKO勝ち。……日本スーパーフェザー級九位、とおみやぁ~~とういちろうぉ~~。」


大きな歓声が響き、期待の大きさを背負いながら会場に頭を下げる。


「続いて青コーナ~、二十七戦十五勝九敗三引き分け、十五勝の内十一勝がKO勝ち。公式計量は百二十九ポンド二分の一、ナックルロードジム所属ぅ~日本スーパーフェザー級七位、かとう~としかずぅ~。」


手を挙げて応えるその顔を見ると、昨日のイメージとはかけ離れた戦う男の顔をしていた。


そして呼ばれリング中央へ。


レフェリーの言葉に形ばかりの頷きを返しながらふと相手を見やると、視線がぴたりと合う。


その目は睨みつけるでもなく、表現するなら静かな闘志が満ちているとでも言うべきだろうか。


レフェリーが両者を分けそれぞれがきびつを返すと、いざその時を両陣営にて待った。


「スタイルは変えずに、強引に前に出てきて接近戦を挑んでくるなら迎え撃とう。」


「はい、隙があったら狙って行ってもいいですか?」


狙うのは勿論、新技トルネードフックの事だ。


「構わないけど、タイミングだけは本当に注意していこう。もし外したら、取り敢えずバックステップで距離を取ってね。流石にその時だけは下がらなきゃどうしようもない。」








ゴングが鳴り、戦いの開始を宣言する様にお互いのグローブを合わせる。


今までの試合を見た限り、フットワークを使って試合を組み立てるタイプではない。


強引だろうが何だろうが、纏わりつき絡みつき、自分のペースに相手を引き込んでいくのだ。


「シッシッシッ…シッ!シィッ!」


詰められるものなら詰めて見ろと言わんばかりに、開始早々速射砲の左を打ちまくる。


相手はすっぽりと頭を覆う形のガード体勢を取っており、今のままダメージを与えるのは厳しそうだ。


それでも構わないと、ジャブを打ち続ける。


打ち返してくるならガードの隙間を狙い、強引に突っ込んでくるなら先ずは下からアッパーで突き上げる。


そう思っていたのだが、相手はアッパーを打ち込む隙もないほどの低い体勢を取っていた。


殆ど腰と同じ高さまで顔の位置を落としている。


この高さでも打とうと思えば打てるのだが、それではこちらもかなりの隙を晒す事になり、相手が相打ち覚悟で出てきた場合それを防ぐのは難しい。


(下がりながら打てばやりやすそうだが、それはそうするしかない状況までやりたくないな。)


こう言っては何だが、今この会場に見に来てくれているお客さんの中にそこまでボクシングに詳しい人が多いとは思えない。


それでもこの先への期待感があるからこそ、今の集客に繋がっているはず。


だからこそ、誰の目から見ても明確に強いという所を見せておく必要があるのだ。


下がらない事を選択し、ジャブを打ち下ろしながら接近戦の覚悟を決める。


その中の数発が相手の鼻頭を捉え早くも血が滴るが、構う事無く前進しこちらのガードに頭を打ち付ける。


「……チィッ!」


そしてくっついた後は慣れた手つきで横殴りに叩きつけてきた。


(やっぱりこの距離は慣れてるな。この先もこれならコークスクリューは打てないか。)


こちらも応戦し相手のフックに対してアッパーを突き上げるが、しっかりとガードされてしまい痛打には至らない。


試合前から分かっていた展開だったが、やられてみると思った以上に厄介だ。


それでも顔面へのクリーンヒットは許さず、逆に細かいショートパンチを軽いながらも当てていく。


そして流れ的にはこちらが主導権を握ったまま、第一ラウンドが終わった。








「悪くないね。このままダメージを積み重ねていけば確実にKOへと結びつくはずだよ。只、低い体勢を取っているからバッティングだけには気を付けてね。」


そう言われ思い返すと確かにヒヤッとする場面はあった。


瞼を切ってのTKO負けなど一番白ける展開に他ならない。


「セコンドアウト。」


次のラウンドを告げるゴングが鳴り、頭の中で注意事項を反芻しながら中央へと進み出る。


相手は変わらずインファイト狙いのようだ。


「…シィッ!」


出端を挫く為、強めの左で牽制する。


やはり今までの相手とは経験値が違うらしく、殆どジャブと同じモーションから繰り出された強打に全く驚いた様子もない。


そして慌てる事もなくしっかりとガードで受けながら、じりじりと確実に歩を進めてくるのだ。


(接近戦になる事は最初から分かっていた事だ。ならば、迎え撃つまで!)


踏み込んでくる間に放たれるパンチの間隙を縫って確実にジャブを当てていくが、勢いを殺す事は出来ずまたもクロスレンジに持ち込まれてしまう。


だが、この距離の練習は嫌になるほど積んできたのだ。


こちらも慌てる事無く飽くまで冷静な対応を心掛け、軽くても確実に細かいパンチを積み重ねていく。


(よしっ、良い感じだ。これなら後半になれば流石に効いてくるだろ。)


どんなにタフであっても限界はある筈と判断し、長丁場覚悟で付き合う事にした。

















試合はお互いに決定打がないまま、第四ラウンドに入っていた。


正確には決定打を打てそうな場面は何度かあったのだが、その度に上手くクリンチを使われ逃げられる。


この辺の上手さもやはりキャリア故なのだろう。


だが、こちらにとってはそれでも構わなかった。


というのも、クリンチになればレフェリーがブレイクを掛け両者を引き離す事になる。


つまり、あちらとしてはもう一度ジャブを掻い潜る必要が出てくるという訳で、その度に決して軽いとは言えない程度のダメージを与えている感覚があった。


それでも流石のタフネスで、がっちりとガードを固めた体勢から同じ展開まで持ってくる。


(そろそろダメージも積み重なってきた頃合いだろうから、大きいパンチが当たりそうな気もするな。行ってみるか…トルネードフック。狙うならクリンチしてくる瞬間だろうな。)


その一瞬であれば例え外したとしても、相手も反撃の体勢にはないという事を見越しての判断。


飽くまでも勝つだけに拘るなら、今のままの展開を凌いでいくのが良いかもしれないが、やはり求められているものを見せたいという欲もある。


ボクシングを見に来ている殆どの観客が求めるもの、それはKO以外ないだろう。


「ブレイク!離れてっ。………ボックス!」


何度目かになる、クリンチから引き離されての展開。


だが、今回はこれまでよりも相手の出足が鈍いと感じた。


(ダメージが積み重なってきたのか。何にせよ、それならこっちのもんだっ!)


左、左、左、左、左、ここぞとばかりに打ち込むと、やはり動きが鈍り始めている。


そこでゴング、手応えを感じながらコーナーに戻る足も心持ち軽い。










「向こうは効いてきてるよ。でも焦らずに、こういう展開だって何度も繰り返して来てるはずだからね。」


「はっ、はっ…、…ええ、その辺は分かってるつもりです。」


キャリアというのは苦しい展開になればなるほど活きてくる。


今までの経験が引き出しになり、その分だけ選択肢が増えるからだ。


(油断したら引っ繰り返されるぞ。集中、集中だ!)


第五ラウンドのゴングが鳴り、勢い良くリング中央へ進み出るとジャブを突いていく。


そして動きに精彩がないと見るや、すかさず右を混ぜての五連打。


「シッシィッ!…フッ!…シュッ!シィッ!


左、右、左、右、左、全てガードの上だが、相手の動きを止めるには充分だった。


(今なら入る!右の…。)


満を持してといった所だろうか。


固いガードをぶち抜き吹き飛ばすイメージを描いて放たれたのは、こちらの唯一と言っていいKOパンチ、コークスクリューブロー。


動きの止まっている相手に狙いを定め、右に力を込める。


全身を躍動させ放ち、捉えたと思った瞬間、背筋にゾクリとした何かが走った。


「…っ!?」


その眼前には、思いもがけない方法でこの状況を凌ぐ相手の姿が視界に飛び込む。


前傾姿勢、頭を前に突き出しているのだ。


躱す所か、頭を突き出して自分から当たりに来ているのを確信し、これから起こる事態を悟る。


その事象を回避しようと試みるが時すでに遅し、僅かにパンチの軌道を逸らす事には成功したが、殆ど放たれた勢いそのままに拳は固い頭部へとぶち当たった。

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