幕間 天賦の鼓動

第一話 八方美人 前編

まだ子供だった頃、自分の容姿を褒め称えられる度、ある疑問が湧き上がっていた。


今の時代、ある程度の金を掛ければ誰でもそれなりの容姿は手に入る筈だ。


それなのに何故、世の奴らは他を妬みその手段を取らないのだろうと。


勿論、金が無いという事情もあるのだろうが、例えその問題が解決したとしても、その方法を取らない者が圧倒的多数だと思う。


そんな疑問もある時、ストンと腑に落ちた。


恐らくこれは理性から来るものではなく、本能から来る忌避なのだと。


人の本能のどこかに、DNAという設計図とは違う姿形を認められない何かがあるのだと。


故に、人工的に作られた容姿にはそれほどの価値を見いだせず、天然物にだけその価値を見出すのだろうと。


それと知られていなければ誰も咎めない所にそれは表れている。


事実がどうであれ、俺はそう納得した。


作られた容姿を忌避する者、対してそれを批判する輩もよくいるが、そういう者達は何も分かっていない。


本能から来る感情を、理性からくる言葉で分からせる事等絶対に出来ないというのに。


容姿という意味では、俺の親父も端麗と言っていい部類に入る男だった。


それゆえに母さんは騙されたのだろう。


騙されたと言っても、暴力的であったとか働かないという意味ではない。


寧ろよく働く男であったし、誰に対しても分け隔てなく優しい男であった。


本当に嫌気が差すほどの善人だったのだ。










『いいかい裕也、分かり合えない人間なんていないんだ。心を込めて話し合えば、どんな人とも分かり合えるんだよ。』


そんなたわごとを語るのが俺の父、御子柴雄一みこしばゆういちという男だった。


その言葉を素直に聞く事が出来たのは一体いつまでだっただろう。


小学校に上がる頃にはもう懐疑的になっていた様な気がする。


世の中分かり合えない者は必ずいる。


そんな当たり前の事を知るのにそう時間は掛からなかった。


父親がこれであるのだから、自身の思考が多少捻くれていったのも無理からぬ事だろう。


しかしその様な男でも一つくらいは取り柄があるものだ。


父にとってそれは何かと聞かれれば、先にも言ったがそれは容姿しかありえない。


こんなバカげた思考をした男がまともに生活出来ていた事がそもそもの奇跡だ。


しかも美人と言って差し支えない妻まで娶るというのだから、それはひとえにその恵まれた容姿のお陰と言わざるを得ないだろう。


俺がこの男に感謝している事があるとすれば、己の容姿にも受け継がれた姿形、その一点に尽きる。






親父といえば幼少の頃こんな出来事があったのを覚えている。


家族で遊園地へ遊びに行った時、迷子の子供を助ける為、幼い俺を放り出し駆け寄っていったという出来事があった。


その時母さんはソフトクリームを買いに行っており、親父と二人きりの状況であったにも関わらずだ。


そして俺は一人、母さんが戻って来るまでそこで佇む事になる。


混雑もピークを迎えた遊園地、人の波に呑まれた幼子がどうなるかなど考える必要もないだろう。


誰しも一度くらいはあるのではないだろうか。


ある程度成長してから思い返すと『その程度』と思う事でも、その時の自身には命の危険を感じるほどの恐怖だったという体験が。


自分にとってはまさにその時がそれであり、過ぎた善人に迷惑を被るのは大体その身内になるのだと知った。


そんな姿を見ていた俺だが、それでも完全に父が嫌いだった訳ではない。


だが、母さんは耐えられなかったのだろう。


俺が小三の頃、離婚届だけを置いて家を出て行った。


知人の保証人になり借金を抱えた阿呆に愛想が尽きたようだ。


自分を連れて行ってくれなかった事にその時は憤りを感じたが、専業主婦で生活基盤も無かった為、それは仕方のない事だったと今では納得出来る。


親父を決定的に忌避する様になったのは小四の頃。


目立つ容姿をしていた俺は内面もませており、同性よりも異性といる事が多かった。


子供時代特有である異性に対しての気恥しさというのも特になく、寧ろ自分から積極的に距離を詰めた。


当然そんな子供が同年代のガキによく思われる訳もなく、ちょっとした苛めにも発展し、親父にアドバイスを求めたのだが、


『自分に何か悪い事が無かったかよく考えるんだよ?そして、よく話し合うんだ。そうすればきっとその子達とも仲良くなれるからね。』


話にもならない、そう思った。


そう思っても取り敢えず実行してみた所に当時は素直だったのだと思い馳せる。


結果は言わずもがな、蹴られるわ殴られるわと散々。


顔には手を出さない所に狡猾さを感じながらも、何か手を講じる必要があると頭を巡らす。


やはり格闘技などが第一候補だと思い、親父に何か習い事がしたいと申し出た。


理由を問い質されたが、生活に張りが欲しいという子供らしからぬ理由を付けた。


そして最初に手を付けたのは剣道。


だがこれはすぐに断念した。


この頃は気付いていなかったのだが、自身の五感は他と比べ異常に鋭く、聴力や味覚は勿論、嗅覚も恐ろしく敏感で剣道場と防具の匂いがどうしても我慢出来なかったのだ。


いたのは数日だけなのにコーチに才能があるとべた褒めされ、これだけの時間で何が分かるのかと懐疑的な気持ちを抱きつつ場を後にした。


次に向かったのは柔道だが、それも上記と殆ど変わらない理由で断念。


寝技の練習になった時には、自分の嗅覚の高性能さをこれでもかというほど呪った。


それでも何とか一ヶ月は耐えて頑張ったが、それが限界。


そこでもコーチにしつこいくらいに引き留められたが、理由を尋ねられても言える訳が無い。


臭いから辞めます等とは。


こんな体に産んだ親に愚痴をこぼしつつ次に向かったのは、近くのボクシングジム。


ここはプロの協会には加盟していないらしいが、アマチュアの試合には出られるとの事。


ボクシングにはクリンチというものがあるが、それはさせなければ問題無い話。


柔道の様に必ずしも相手に密着しなければならない訳でもなく、初めて続けられそうな手応えを感じた。













それから一月ほど経った頃、いじめの主犯格を帰り道で待ち伏せして、人通りの殆どない路地裏に引き摺り込んだ。


下準備は万全。


帰り道をストーカーの如く後を付け、一人になるタイミングを確認し、死角になる所は無いかと綿密に調べ尽くしていたのだ。


そして途中にある十字路、目当ての少年がここから一人になる事が判明する。


目を付けたのは廃ビルの陰。


比較的人通りは少なく、わざわざ何もない路地裏に来る人物はいない。


そして通りかかるのを待ち伏せ、襟首を掴み引き摺り込む。


「…っ!?おまっ!!なにすっ、てめっ!?…ぐぅっ!」


有無を言わせず腹を殴ると、拳には、肉にめり込む何とも言えない甘美な感触が残った。


「こんな事してっ!…ぅっ!!」


殴る。


「後で覚えっ!!…っ!!」


殴る。


「…分かった。…もうやめ。…ぁぐっ!!」


殴る。


口を開いたら殴る、只それだけを執拗に繰り返した。


中途半端にやって仕返しを許すほど俺は甘くない。


何回殴ったか数えてはいないが、ゲロを吐いた。


汚いからもう一発殴っておく。


「仕返し考えてる?なあ?教えてくれよ?」


鼻水と涙を垂れ流し、千切れんばかりに首を振るが、そんなものを信じる程お人好しではない。


返答が出来るという事はそれだけまだ余裕があるという事だ。







それから少し経ち、漸くただ丸まって怯えるだけになった。


そろそろ頃合いかと、問題の解決に移る。


「なあ?助けてくれないか?俺さ、虐められてるんだよ。困ってるんだ。だからさ、明日の学校で俺を虐めるのはやめようって説得してくれないか?」


反応は無い。


ただ頭を抱えて震えているだけだ。


これ以上やっても意味はないし、小便も漏らしているので臭い。


「帰りが遅くなると親が心配するぞ?早く帰って風呂にも入った方が良いよ。後、明日休んだら………お見舞いに行くからね。」


優しく語り掛けて、その場を後にする。





次の日、いつもの通り俺にちょっかいを掛けようとした奴らの袖を、必死で掴むそいつがいた。


こちらとは視線を合わせようともせず、只々下を向きながら邪魔をしている。


その異様な雰囲気に呑まれ、意気消沈といった感じになりちょっかいを掛けてくる者も徐々にいなくなった。


親父の言った通り、話し合えば分かるらしい。


勿論言葉だけではなく、肉体言語も必要になるようだが。


それから特にやる事もない俺は、蛇足でジムに通い続けた。


その合間には様々な武術の教本などを読み漁り、【友達】に実戦練習に付き合ってもらいながら、着実にその技術も習得していった。








ボクシングを始め一年ほどが過ぎ去ったある日、


「御子柴君、ジュニアの大会あるんだけど出てみない?」


このジムを経営している小柄の男性、相田さんがそんな話を進めてきた。


暇なので快諾しいざ大会の日が来ると、柄にもなく緊張が身を包む。


自惚れかもしれないが、自分の身体能力が優れている事はもう分かっていた。


そして奢りとも過信ともいえる感情で満たされたままリングに上がる。


競技者としては良い精神状態ではなかっただろう。


それでも地区大会を順当に勝ち進み、全国大会へと駒を進めた。


因みに俺のスタイルは基本的にアウトボクシングを主体としたもので、構えは左拳を胸部まで下げ、右を目線くらいの高さまで上げたデトロイトスタイルと呼ばれるものだ。


色々試したのだが、視界が開けている方が自分には一番合っていると感じ、この形に落ち着いた。










「シッ!」


鋭い左が綺麗に相手の顔面中心を捉える。


理屈は分からないが、何故か俺には最初から相手の呼吸が手に取る様に分かった。


息を一瞬止めたら打ってくる、吐いてる時に打てば反撃されない。


攻撃のタイミングが分かれば後は躱して打つだけだ。


それを繰り返すだけで殆ど触れさせる事も無く勝ち上がる。


「凄いよ御子柴君!初めての大会で全国って!やっぱ物が違うな~。」


褒められて悪い気はしない。


正直、こんなものかと有頂天になっていたのは否定出来ないだろう。


しかし、当たり前だがそんなに甘いものではなかった。


迎えた全国大会、初戦は何とか勝つ事が出来たが、次戦ではペースを乱され初めての敗北を喫した。


乱された要因は分かっている。


クリンチだ。


汗でべたついた肌が触れた瞬間、すぐにでもタオルで拭きたい衝動に駆られ集中が途切れたのだ。


そして注意散漫なまま良い所なく試合が終わるという流れ。


自分でも思いもよらないほど悔しさがこみ上げ、相手に殺意すら沸き上がる程だった。


(まあいい、初めての大会だ。こんな事もあるさ。)


全てが上手くいく事等無いと割り切り、暴れそうになる感情を抑え、凄い凄いとはしゃぐ相田さんに苛立ちを覚えながらも表には出さず笑顔を向けた。


帰ってから一応親父にも結果を伝えたが、殴り合う競技であるボクシングを好きでは無い為か、反応は芳しくなかった。

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