第二話 八方美人 後編

驚天動地とは正にこの事を言うのだろう。


中学に上がろうという時期、親父が逮捕された。


罪状は詐欺。


何でも、恵まれない子供達の為にと集めた金銭を、私的に流用していたのだとか。


その金額というのが中々で、一億六千万だと。


一体何に使ったのやらと思うが、まあ大体良い様に使われて利用されたのがオチだろう。


過ぎた善人には正にふさわしい末路だ。


だがあの親父の事、これ以上はない模範囚であろうから、俺が中学を出る前にはシャバに戻ってくるのではないだろうか。


マスコミが何人か俺の所に取材にやってきたが、涙ぐみながら謝罪の言葉を繰り返す姿に同情して帰っていく。


勿論演技だ。


それでも強引に押しかけて来るようなら、こっそり録音していた音声を相談という形でクラスの女子に聞かせてやればいい。


そうすればその中の誰かから、ネットにアップして向こうの悪態を晒してやろうという意見も出るだろう。


自分から言い出したりやったりしたのでは、俺のイメージが悪くなる。


周囲とはこの様に利用するものではないだろうか。


その後、親戚一同が集まり可哀想な少年の処遇が話し合われた。


こういう場合揉めるのが普通だが、自分の場合押し付け合うのとは逆の方向で揉めた。


品行方正で容姿端麗、学業優秀おまけにスポーツ万能という出来た子供、将来の成功は約束されていると思っているのだろう、まるで甘い蜜に群がる蟻だ。


品行の部分については楽に生きようとした結果であり、不必要に敵を作らないよう努めれば、誰でもそうなるのではないだろうか。


うちにうちにとの声が飛び交っていたその時、室内に謎の静寂が満ちる。


理由は分からないが、皆一様に緊張で固まっていた。



「…邪魔するよ。」



視線を向けると、ど派手で真っ赤な洋服を着た太めの女、元々の顔立ちは間違いなく良いのだろうが、二重顎と三段腹が全てを台無しにしている。


その髪も派手で、紫に染め上げたボブカット、一度見たら忘れられない。


その女は大股でこちらに歩み寄ると俺の顔を覗き込む。


ふわりと、見た目とは裏腹の良い匂いがした。


「へぇ、この子かい。…あんた、出来たガキらしいね。」


フンっと鼻を鳴らしながら、つまらないものを見る様な目つきで語る。


そんな目を向けられた経験は殆ど無い為、流石にカチンときたが表に出すほど未熟ではない。


「ど、どうも、それほどではないですけど…。」


女はふ~んと声を漏らした後、周りを見渡して告げる。


「この子は私がもらうよ。……文句ある奴はいるかい?」


正に蛇に睨まれた蛙といった所か、誰一人一言も発せず、その女の持つ雰囲気に場の全てが支配されていた。









「出しな。」


黒塗りの高級車に乗り込むと、運転手の男性に一声掛け小気味良いエンジン音が響く。


まるで状況が理解出来ないが、おたおたするのはプライドが許さなかった。


「えっと…その……貴方は?」


『俺をそこらのガキと一緒にするなよ』という意思を視線に込める。


「あっはっは、強がるガキは嫌いじゃないね。私は藤堂、藤堂綾子とうどうあやこだよ。遠縁ではあっても一応親戚のおばちゃんといった所かね。私の事は綾子さんと呼びな。」


言葉の一つ一つから力を感じる。


緊張が体を支配し、ごくりと生唾を飲み込んだ。


それでも自分が気圧されている事実を認めたくないと、無理にでもいつもの笑顔を張り付けた。


「そうなんですか。俺を引き取ってくれるそうで、ご迷惑をお掛けするかもしれませんが、これからどうぞ宜しくお願いします。」


綾子さんは、またあのつまらなそうな表情でこちらを眺めていた。

















「着いたよ。今日からここに住むんだ。良い家だろ?」


まず目に入ったのは屋根がついた和風の大きな門、その脇からは敷地を囲む木製の塀が続いている。


呆然と只その光景を眺め立ち竦んだ。


ここまで来れば認めるしかない。


都心一等地、その場所に構える豪邸に、それを背負うが如く立つこの女に気圧されている事実を。


何故だろうか、まるで一つの芸術作品にも似た品性を感じる。


坪単価など自分には分からないが、玄関までの道中、敷地面積は六百坪あると言っていた。


そして目に飛び込んで来たのは、旅館もかくやという豪奢な玄関。


その作りは外観通り和風で、魔女の様な姿をしたこの女とはミスマッチに思えるが、意外にも違和感なく溶け込んでいる。


屋敷に入る前に庭園を見やると、金持ちには定番の鯉の泳ぐ池とししおどしがあり、その横には何故か女神らしきものの彫像もある。


和洋折衷というやつだろうか、自分には理解出来ない世界だった。


案内に従い徒競走が出来そうな縁側を歩いていると、何人もの使用人らしき人が見え挨拶を交わし、その先の軽く二十畳はあろうかという応接間に通された。


これほど広いと、何部屋あるのか等という事は最早どうでもよくなってくる。


「どうだい?私と…父の最高傑作は。」


「す、素晴らしいと思います。こんな豪邸は初めて見ました。」


最早強がりも出ないほど打ちのめされた気分だった。


「まあ、その父も完成を前に亡くなってね。もう少し生きれば良い物が見れたのに。」


綾子さんは遠い目をしながら郷愁に暮れていた。


「あの、綾子さんは一体何のお仕事をされていらっしゃるのですか?」


気になるのはやはりそこだった、中小企業の社長程度でこれはまず無理だろう。


「広告代理店だね。言っても分からないかもしれないけど。」


確かに言われてもピンとこないが、チラシやCMを作る会社らしい。


「後は建築関係、それと美術品の輸出入にも手を出してるかね。」


聞けば彼女の祖父が資産家で父親は元政治家秘書。


その父親が秘書を辞めた後、そこから転身して起ち上げたのだとか。


随分手広くやっているものだが、一番の収入源は広告代理店らしい。


「何を思ったか、父が急にテレビ業界に興味を持ち出してね。それで当時は殆ど一社が独占していた広告市場に挑んで、今では拮抗する所まで持ち込む事が出来たって訳さ。」


後で調べて分かったのだが、そこまで躍進したのは彼女が会社の実権を握ってかららしい。


父親も先見の明があったのか、彼女の能力を高く評価しており、かなり早い時期に席を譲ったとの事。


「因みにね、父が最後の大仕事としてやったのが、あの電波オークションだよ。実際に色々手を回し金をばらまいたのは私だけどね。父がやろうと言わなければやる気は無かったし、父の成した事と言ってもいいんじゃないかね。」


もう十年以上前になるので幼過ぎて記憶には無いが、記録としては勿論知っている。


「ふふ…あの時は楽しかったねぇ。大手新聞社は勿論、各放送局に至るまでぜ~んぶ敵さ。本当に楽しかったよ…。」


まさかあの大きな変革さえこの女が関わっているとは、ますます底知れない。


その後、使用人らしき人にあてがわれた部屋へと案内されると、そこは二十畳近くはあろうかという広さの和室。


何もかもに圧倒され、部屋も慣れない上に広すぎて落ち着かないが、取り敢えず一息ついた。








その夜、綾子さんに呼ばれ寝室へ足を踏み入れる。


「ああ来たね。…裕也、バイトの時間だよ。」


その言葉だけで何となく察する事が出来た。


何の見返りもなく親父の借金まで肩代わりはしないだろう。


「あっはっは、察しの良いガキだねあんたは。分かってるならこっち来な。」


そう言って手渡されたのは、いくら入っているのか分からない程中身のつまった財布。


「今の自分の価値はこれくらいだと思う分だけ抜きな。勿論、足りなければいくらでも持ってこさせるよ?」


彼女は半身になり布団に横たわると、こちらを値踏みする様な眼で眺める。


今の自分の価値、それは一体いくらだろう。


そんな事を考えながら俺が抜き取ったのは、十万円。


「それは本心かい?今の自分はそんなに安いと思っているのかい?」


頷く。


「まだ俺は何者でもない。何も成し遂げてない只のガキだ。容姿と初物ってオプションがついてこのくらいが妥当だと思う。後十年もすればあんたにだって買えない男になっているさ。」


せめてもの強がりを言ったのち、覚悟を決め身を任せた。


すると、綾子さんは目を細め少し呆れの浮いた表情をする。


「全く、サービスするのはあんたの方だってのに…。仕方ないね。今日だけ特別に奉仕の仕方を教えてやろうかね。」


そう語った後、綾子さんは俺のそれを口に含むと慣れた様子で転がした。


こんな状態でも素直に反応する己の体に屈辱を覚える。


そして認めたくないもう一つの感情が沸き上がった。


それは、内心この女の事をそこまで嫌だと思っていないという事実だ。


いや、むしろこの感情は好意に近い。


人は誰もが自分の本当の欲望を晒す事はしないだろう。


その中にあって、この女は剥き出しの欲望をまるで隠そうともしない。


それが潔く感じられ、そして心地良いと感じている自分がいる。


相反する感情に歯噛みしながら、この日、俺は初めての精通を知り、女を知った。














「裕也、敵のいない人生ってのは空虚なもんだよ。」


行為が済み、横でタバコを吸いながら魔女はそんな事を語る。


「あんたは八方美人な生き方ばっかりしてそうだけど、それは面白いのかい?」


面白いつまらないの問題でそうしている訳ではないのだが、その言葉は何故か心に響いた。


「人は闘争する事でしか進歩しない。味方が出来たら…その分だけ敵を作りな。」


言わんとしている事は何となく分かるが、それはとても………、


「疲れそうだな、それ…。」


思っていた事が思わず口を突いて出てしまった。


「疲れない人生に何の意味があるのさ。傷つけて傷つけられて、それが良いんじゃないか…。」


そういうものだろうかと、多少の眠気を覚えながらも考える。


「進歩を捨てた人間なんて、税金を納めるだけの只の家畜だよ。豚だよ豚。」


「豚はあんただろ…。」


半分眠った頭でイタチの最後っ屁よろしくかます。


「あっはっは、私のどこが豚だって?言ってみな?面白くない答えなら怒るよ。」


見た目と答えそうになったが、それでは激しく怒られそうだった。


「…綺麗好きなとことか?そのせいか、見た目によらず良い匂いするし…。」


そのまま眠りに落ちてしまった為、その答えに満足したのかは分からない。


只、こんな扱いを受けながらも、これからの生活に胸が躍る自分を確かに感じていた。

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