第17話 一欠けらの才能

八月下旬


暦の上では秋だが、まだまだ残暑厳しい日が続いていた。


あと数か月も経てば俺も十七歳になる為、時期を見計らってプロテストに申し込むと会長が言っていた。


テスト自体は近年規則が変わり、十六歳から受ける事自体は出来るが、試合に出られるのは変わらず十七歳からとの事。


国際基準に合わせたらしいが、それならばそもそもプロテスト自体無い国が殆どであり、その辺に関して団体はどう思っているのだろうか。


それはそれとして、まずはこのテストを受からない事には始まらない。


いよいよ差し迫ったその道を前に練習は日々厳しさを増し、夏休みを利用して毎週の様に県外に遠征しては、様々なタイプの選手とスパーリングを経験した。


先を見据えてか、相手は殆どが既にプロデビューしている選手達ばかりだったが、負けたと実感した相手はいなかった。


そして今日は、夏休みの仕上げに俺もよく知る相手を招集してくれたらしい。


「お願いシャースっ!!」


いつもと変わらない、元気な挨拶で入ってきたのは相沢君。


相変わらず向こうの会長は付いて来て居らず、自由を謳歌している様だ。


そんな彼はと言えば、今年は選抜で準優勝、インターハイでは優勝という好成績を収めた。


彼の活躍は俺にとって良い刺激になる上、そんな相手との手合わせはこちらにとっても得難いもの。


元々サウスポー自体少ない上に、こちらが苦手としている事も熟知しており、彼は毎回そこを遠慮なく攻めてくる為、弱点克服にとても貴重な経験値を積ませてもらっている。


身長も俺が百七十、相沢君が百六十七なのでそこまで差がある訳ではなく丁度良い。


彼の階級自体は恐らくフェザー(五十七,一五㎏)くらいなので俺より一階級下になるが、普段の体重は同じくらいありそうだ。







「アップ終わったら準備して、早速始めようか。三分四ラウンドね。」


会長が俺達二人の頃合いを見計らって、声を掛けて来る。


「俺はもういけるぞ統一郎。お前は?」


こちらも大丈夫と頷き返すと俺のグローブを会長が、相沢君のグローブを牛山さんが嵌めていく。


横目で見ると、二人は以前とは違い仲良さ気に会話していた。


どうやら何度か会う内に見た目の怖さは克服出来たらしい。


マウスピースを銜え、何度か噛む様にして合わせた後、開始の合図を待つ。


暫しの余白があり会長がゴングを鳴らし、カーンッという音が響き渡った。


「よろしくお願いします。」


リング中央ちょこんとグローブを合わせ、始まりの挨拶とする。


相沢君の怖い所は、強引なだけじゃなく基本に忠実なボクシングもやろうと思えば器用にこなす所だ。


だからその時その時で対処しようとすると、どんどん後手に回る事になってしまう。


その上彼は毎回違うスタイルを俺で試してくる為、気分はまるで実験台のモルモット。


そして一ラウンドも二分ほど経過した時、今日も早速やってきたらしい。


見ればガードをだらりと腰まで下げ、少し前傾姿勢に構えたかと思えば、ゆらゆらと柳の様に揺れている。


これはあれだ。


結構前に一世を風靡した、アラブ系の選手を真似ているのだろう。


だが、慣れないスタイルで捌ける程俺のジャブは甘くない。


その程度には自信を持っている。


「…シッ!シッ!」


パシンッパンッ、左が二発当たった所で相沢君が少し下がる。


こうやって下がった所を追うと、待ってましたと言わんばかりに打ち合いに巻き込まれていくのだ。


(それは分かってるんだけど、練習で苦手な事を避けてても仕方ないよな…。)


俺はいざ打ち合いを挑まんと、踏み込み左ボディを放っていった。


今回の課題として事前に会長から言われていた事がある。


俺がインファイトを苦手とするのは只の苦手意識だから、このスパーリングでは例え負けても踏み込んで行く様にとのお達しだ。


「シッ!」


バシンッとお互いのパンチがガードに当たり音が響く。


苦手を克服するにはまずそれが得意な相手を観察するのが得策と考え、パンチをガードで受けてから打たれたパンチを模倣して返す。


今までは避けるか巻き込まれるかだったが、この練習でインファイトをものにするべく、今回は自分から挑んでいく形だ。


(なるほど、力任せに打ってる様に見えるけど、相手の意識を細かいパンチで誘導してからでかいのを放ってるのか。)


彼の動きはとても参考になる。


適当に打っている様に見えて、その目は常に俺の動向に注がれており隙が無い。


トントントンっと、グローブでノックするようなパンチ。


その瞬間、ガードの内側からアッパーを突き上げてきた。


「…っ!!」


僅かに空いたガードの隙間を突かれ、鼻腔の中にもう慣れた鉄錆の匂いが充満する。


こちらも真似る様にトントントンっと、外側から軽く叩き右アッパー。


やられた事を模倣して放つが、俺の方はガードの上。


(当たらないのは別にいい。問題はこの先、経験を俺の中で活かせるかどうかだ。)


何度も打たれ打ち返すが、俺のパンチは悉く芯を外され、その度相沢君は強烈な反撃を見舞ってくる。


鼻血をだらだらと流しながらも下がる事はせず、俺は尚も踏み込んで打ち合う。


その繰り返しが、痛みが、少しずつ俺に経験を浸透させていった。







そして第四ラウンド終盤


「はぁ~っ…はぁ~っ…シッ!シィッ!」


バンッ!バシィンッ!っと、このスパーリングで初めて良い感触が拳に響く。


右のボディアッパーから左アッパーへ、流れる様に入ったのだ。


ガードの内側を抉る様な軌道を走る、今までの俺には打てなかったパンチ。


手応え通りそれなりには効いたらしく、相沢君を下がらせる事に成功した。


そして下がった所を追い掛け、更に踏み込む。


しかし下がりながらも器用にコンビネーションを放ってくる為、追撃が続かない。


その上ここまでの慣れない戦い方で既に疲れ切っている俺には、捕まえる足等残っているはずもなかった。


当然そこからは距離を取られ一方的に打たれる展開のまま、ゴングが鳴り終了。







「ありがとう…ございました…。はぁ~っ、疲れた~。」


思わず、いつもは出ない弱音が漏れてしまった。


「お前、今日はどうしたんだよ?自分から足止めて打ち合うって、初めて見たぞ。」


相沢君が笑いながら語り掛けてくるその表情は、こちらとは違い結構余裕そうで羨ましい。


「今日の課題だったから。クリア出来たかは分かんないけど…」


そんなことを言葉を交わしていると、会長も加わってくる。


「最後の方は良い感じだったよ。どう?まだ苦手かい?インファイト。」


俺は苦笑いしながらだが、首を横に振った。


内容は散々だったが、手応えは掴めたと思う。


この先本番で打ち合う展開になったとしても、何とか対処出来そうだと思えるくらいには。


「確かにな。終盤は形になってたし、お前インファイト強くなるとかなり厄介かもな。あの痛いジャブでアウトボクシングされるのも凄え嫌なのによ。」


インファイト大好きっ子の相沢君にも、ある程度は認められた様でほっと胸を撫で下ろした。


「坊主、終わったなら送ってやるから車に乗れ。」


牛山さんに坊主と呼ばれ、俺の事かと思ったがどうやら違う様だ。


「マジっすか。あざ~す。」


相沢君は軽いノリの挨拶をした後、車に乗り込んで帰っていく。


その後、会長から俺に対してちょっとした忠告と言うか助言があった。


「今日のは飽くまでも苦手意識を払拭する為で、君の本来のスタイルは自分の距離でジャブを突いて試合を組み立てて行く形だからね。」


会長は確認する様に語り掛けてくる。


「分かってます。一方的にやられなくなっただけで、得意な訳では無いですから。」


返す言葉を聞いて、その通りと会長は頷いていた。


「まあ、正直彼ほどレベルの高い選手は、ランカークラスにしかいないと思うけどね。」


どうやら、会長から見ても相沢君は相当な実力者のようだ。


これからも手を合わせる機会はあるだろう。


彼を吸収していければ、これから進む先で大きな力になるのは間違いない。


指折りの実力者である彼と繋がりを持てている現状は、自分にとって大きな幸運と言えるだろう。


その幸運を力へと変える。


それが出来ないのならば、分不相応な夢を語る資格さえない。


小さな才能しか持たない者が僅かな光を掴み損ね、どうして這い上がれようか。

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