第十五話 何とかなるさ

夏休みが終わった登校初日、俺は職場に連絡を入れ遅刻する旨を伝えた。


「ほら亜香里。しゃんとする。」


駐車場に車を止め降りると、どうにも亜香里はそわそわ落ち着かない。


「…分かってるってっ…ほんっとうざいっ。」


外に出ると身内に強気な発言をしてしまう気持ちは少し分かる。


だが俺は気にせずその手を掴み引く。


待っているだけでは、職員室まで一体どれくらいの時間が掛かるかも分からないからだ。


そして子供みたいに落ち着かない妹の姿をもう一度眺めた。


黒を基調としたセーラーブレザーが、少しクールな印象を受ける亜香里にとても似合っている。


スカートの丈は膝より下だ。


ダサいと言われたがこれは譲れない。


「逃げないからっ!離してっ!」


抵抗され、不審者に間違われてはたまらないと手を放す。


するとすんなり俺の後に付いて来てくれて、職員室までは直ぐだった。


「ああそうだ。これ合鍵ね。無くしたら駄目だぞ?」


「…うん。」


「帰り道分かるか?」


「…流石に分かるよ…いくら何でも子供扱いしすぎ…。」


確かに見た目は大人なのだが、どうにも頼りない。









「付き添いが有名人とは凄いわね。」


もう入学式も終わっている時間、迎えてくれたのは年配の女性教師。


俺が在学中にはいなかった人だ。


「あ、はい。妹なんです。色々あるかもしれませんけど、よろしくお願いします。」


先生は微笑むと視線を亜香里に移す。


「…よろしく…ぉねがいします。」


「はい。よろしくお願いします。」


俯いて話す姿に『対人恐怖症』という言葉が頭に浮かんだが、そういう訳では無い筈だ。


初対面の俺とは普通に話せたし、何より怯えてるというよりは早く終われと祈っている様な表情に見える。


「教室まで付いてきますか?」


問われ悩んだが、流石にそこまで付いて行くのは彼女が嫌がるだろう。


「教室の前までで。自己紹介の様子を聞いたら帰ります。」


先生の案内に従い、教室前まで同道する。


その間、亜香里はまるで収監でもされるかのように俯いたままだった。


廊下を進み一年五組というプレートが視界に入ると、一層沈んだ空気を纏う。


そして促され教室に入っていく直前、一瞬だけ俺に視線を向けた。


切なげな瞳に、少しだけ胸が痛む。


中からは生徒たちに伝える先生の声、後に続きぼそりぼそりと呟く様なか細い妹の声。


ぎゅっと胸が締め付けられる、そんな思いだった。













その日の夕方、仕事を終え一度亜香里に電話をかける。


「…もう帰ってきてるから。心配しないでいいよ…。」


今日は午前だけという事もあり、昼過ぎには帰ってきていた様だ。


学校から家までは大体二キロくらい。


歩いてもそれほど厳しい距離ではないが、自転車を買い与えた方が良いかもしれないと思いつつ、ジムへと向かう。


そしてバンテージを巻いている最中、明君が歩み寄りこんな事を言って来た。


「遠宮さん、今日学校に来ましたか?」


「うん?ああ行ったよ。あ、そういえば明君ってまだ高校生だったっけ。」


「あ、はい。学校で話題になってたので。」


そんなに話題になるとは思っていなかったが、亜香里には少し悪目立ちさせてしまったかもしれない。


「他には?生徒たち何か言ってた?」


「え?…あ、下の学年に綺麗な転校生が来たって言ってたような…関係あります?」


「それ、俺の妹だから。学年違うし関わりないかもしれないけど、覚えといて。」


真面目な明君は、姿勢を正し返事をした後、練習へ戻っていった。







家路につき引き戸を開けると、相変わらずの仏頂面で亜香里が迎えてくれる。


「…おかえり。」


「うん、ただいま。ロードワーク終えたらすぐご飯にするから、待ってて。」


色々聞きたい事もあったが、練習を疎かにする訳にもいかない。


彼女は静かに頷き、モニター前の定位置に腰を下ろした。












「いただきます。」


「…ぃただきます。」


声からも分かる通り、少し元気がない。


今日のメニューは力をつけてもらおうとトンカツにした。


ダイエットがどうとか、そういう方面の我が儘は聞かない。


「…別に何もなかったから。普通…。」


チラチラと様子見の視線を送る俺に気付いていたらしい彼女は、聞かれる前に口を開く。


「そ、そうか。…それで…その………通えそう?」


カリカリと衣を齧る音が響く食卓。


どんな返事が返ってくるだろうと思い待つと、


「………もう少し頑張る。」


そんな言葉が返ってきて、思わず手を伸ばしクシャクシャと頭を撫でてしまった。


すると憎まれ口は叩くものの、存外嫌では無さそう。


そして食事が終わり後片付けをしているとスマホに着信。


「おお、俺だ。」


濡れた手をタオルで拭きながらスマホを手に取ると、通話口から聞こえる叔父の声。


「どうだ?やっていけそうか?最近こっちにもこねえから心配になってよ。」


言われ気付いたが、叔父を暫く放置してしまっている。


今度行ったら掃除に洗濯、大変そうだ。


「大丈夫そうだな。こっちの事は別にいいからよ。妹を気に掛けてやれ。」


プツっと切れると、スマホを放り投げる様にしてテーブルへ。


気に掛けるというのも中々に難しいもので、やり過ぎれば逆効果になる。


これからどう接していくのが正解なのだろうか。


無理して通っているらしい現状、恐らくまた近いうちに行きたくないと駄々をこねる事も予想できる。


(何でそうなってるのかって原因を知らないと、どうにもできないよな…。)


かと言って、周囲に聞くのは何か違う気もする。


(折を見て、少し踏み込んでみるか。でももっと関係性を築いてからの方が良いよな。)


考え事をしていると、浴室の方からドライヤーの音が聞こえてくる。


「さて、俺も風呂入って寝よ。」


色々考えたが、なるようになる、それが俺の結論だ。

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