第十二話 いつも通りで

二月十二日土曜日、泉岡にある高級ホテルの一室で前日計量が行われた。


詰めかける報道陣は過去最多、東北の田舎町はかつてない賑わいに街も浮足立っている。


こちらの陣営が会場に辿り着いた時は、まだ市ヶ谷陣営の姿は無く、取り敢えず前座の選手たちから計量を開始。


今回の興行は全ての試合に我がジムの選手が出場する。


まず最初に出るのは高校生三人組。


デビュー戦がこんな大きな舞台になったことは、彼らにとって吉か凶か。


間違いなく同級生の話題は掻っ攫えるだろうが、俺だったら少し嫌だなと思ってしまった。


会長に促される様にして、彼らはきょろきょろと落ち着きない仕草で順番に計量台へと上がっていく。


三人共が一発でパスし、まずは一安心と互いを称え合っていた。


そして他の選手も続々と計量と検診を済ませていたその時、会場が一気にざわめく。


本日の主役が到着したのだ。


焚かれるフラッシュの向こう側から姿を見せる、不敵な笑みを浮かべる男。


アンファン・市ヶ谷選手は、その後ろに五階級制覇王者を従え堂々の入場、ラフなジャージ姿だ。


そして目の前を通り過ぎる時、俺の胸をトンっと一回叩いてからまっすぐ計量台へと向かった。


どうやらそれほど減量をしている訳でも無さそうで、余裕の一発通過。


台から降りると、一斉に報道陣が群がりマイクを向ける。


その隙にという訳では無いが、俺もさらっと計量を済ませておいた。


そしてここからがいつもの試合とは違う所、同ホテルの大広間を貸し切りフェイスオフとなるので、出場選手たちはぞろぞろと移動し、通路を挟んだその部屋へと向かう。


メインの俺と市ヶ谷選手だけでいいだろと感じる人も多いだろうが、会長としては地方のボクシングをさらに盛り上げたい思惑がある。


その為には、他の格闘競技のように派手さが必要との判断。


デビュー戦の選手でもこんな風に扱ってもらえるんだと思えば、ボクシングに対するイメージも変わるだろう。


因みに地元の局では、全編カット無しで生中継してもらえるらしい。


広間には、テーブルと椅子が記者席と向き合う形で置かれ、マイクが準備してある所を見るに、一応メインの俺達だけでなく、出場選手全員が一言何か意気込みを述べる流れの様だ。


デビュー戦となる三人は聞かされていなかったのだろうか、一目で分かるほど緊張している。


まあ、それに関しては俺も含めた全員、市ヶ谷選手を除いて同じくと言った所か。


そして係の人に促され席に着く、俺と市ヶ谷選手が隣り合う形で真ん中。


そこから試合順に選手たちが並んでいるという格好である。


段取りに沿って進み一人一人が簡単な意気込みを述べると、本題である記者さんたちの質問タイム。


「え~…成瀬会長にお聞きします。明日の試合は世界前哨戦と取っても構いませんかね?」


最初に当てられ立ち上がったのはお馴染みの松本記者、そして問われた会長がよどみなく答える。


「はい。WBAの王者エルヴィン選手側も了承していますので、この試合の勝者がタイトルマッチへという流れになります。」


次の質問者は帝都テレビの女性アナウンサー。


「え~、遠宮選手から見た市ヶ谷選手の印象をお聞かせください。」


「あ、はいっ。何というか…何ですかね…野生の獣?みたいな感じ…ですかね。」


パッと浮かんだイメージを口に出すと、会場が笑いに包まれる。


「いや、ちょっと遠宮君っ!俺の事そんな風に思ってたわけっ!?」


市ヶ谷選手もノリが良く、まるでバラエティ番組の一幕であるかのような空気が出来上がった。


そのまま和やかな雰囲気で進行していき、司会者が最後の質問と告げ一人の記者に当てる。


「では、明日の試合がどんな流れになるか、お二方の予想をお聞きしたいです。どんな決着を望むのか、そこに至る過程も出来れば…」


俺と市ヶ谷選手は、互いに視線を合わせどうぞどうぞと譲り合う。


だが目上の人にそう言われては、俺から行くしかあるまい。


「そうですね。勝つ事には勿論拘ります。それが一番…ですが、試合を見てくれた人達全員の記憶に刻まれるような、そんな試合がしたいです。」


俺の言葉を聞いて拍手が響く、誰かと思えば隣の席から。


それに釣られてか、会場全体からも拍手が巻き起こる。


そして次は俺の番と主役が立ち上がり、それらは一旦鳴りを潜めた。


「そっすね。まあ、遠宮君たちがすげえでっかい舞台用意してくれたんでぇ~、もう気合乗りまくりです。何が言いたいかって言うとぉ…バチコォ~ンって派手にやっちゃいまぁす。以上っす。」


拍手が包む会場、最後に皆で並びファイティングポーズを決めた一枚絵で締める。


会場を去る際に一度視線が合い、悪戯小僧みたいな市ヶ谷選手の表情が強く印象に残った。


因みに相手陣営には、このホテルで休んでもらうらしい、当然費用はこちら持ちで。


帰りは二台のワゴン車、途中のレストランに寄り色々語りあいながらの食事。


高校生三人組は本当に緊張しましたと、本番を前にほっと胸を撫で下ろしていた。


それは清水トレーナー側の選手たちも同様で、木本さんなどは明日の試合を考えると食事が喉を通らないと語る。


佐藤さんや明君は場数を踏んでいるのでそこまでではないらしく、普通に箸が進んでいた。


一方俺はと言えば、当然いつも通り、運ばれる料理を腹八分目になるまで平らげる。


そして明日の本番を思い、日が暮れる前に帰宅し休む事となった。



▽▽



俺が帰宅すると、午前授業なので既に帰宅していた亜香里がお出迎え、おまけにスイもニャアと鳴き迎えてくれた。


居間で腰を下ろし一息つくと、亜香里が今日の学校の様子を語り出す。


「皆スマホ眺めてて授業にならなかったよ。」


これは俺を見たくてと言うよりは、自分たちの同級生であるあの三人組の存在が大きいだろう。


「あの背の高い人いるでしょ?名前分かんないけど…」


「ああ、吉田君ね。」


「そう、その…吉田君?に女の子たちはキャアキャア声上げてた。ファンクラブとか出来そうな勢い。」


御子柴選手を筆頭として、やはりルックスが良いというのは大きなアドバンテージ。


お客さんが呼べなければ成り立たない興行において、これほど大きな武器も早々あるまい。


吉田君は百八十を超える長身に甘いマスク、加え鍛えられて引き締まった体と来れば、あの年頃の女の子には特にモテるだろう。


集客を見込める選手であれば、マッチメイクを組む会長サイドもやり易い筈だ。


そんな事を語りあっていると、ガラガラと引き戸の開く音、どうやら咲が帰ってきたらしい。


彼女は基本自転車通勤、天候の悪い日は俺が送り迎えをしている。


今の俺たちの形を同棲と呼ぶかは微妙だ。


何故なら週の半分くらいは実家暮らしなので、正確には半同棲と言った感じ。


「あ、お帰り統一郎君。帰ってきてたんだね。じゃあ私、夕飯の支度するから。」


買い物袋をぶら下げている所を見るに、スーパーに寄ってから来たのだろう。


咲は勉強家で、最近は栄養学なども学び始めている。


正直料理の腕はまだ負けてないと信じたいが、適切なメニューと言う意味では俺よりもずっと詳しいかもしれない。


明日は大舞台、だからと言って気負い過ぎれば良い結果は望めない。


そんな中こうして慣れ親しんだ彼女達に囲まれていると、高ぶった神経も次第に静まっていく。


出来る事が舞台の大きさで変わる訳も無い為、これでいい。


そして意外に落ち着いた心持ちで、試合当日を迎えるのだった。

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