第二十四話 凄いけど

「ダメージは?」


「ありません。でも強いパンチは持ってますね。」


会長は軽く頷くと、少し思案する構え。


「…さっきのラウンドも下が打ててなかったけど、打ちにくい?」


「…はい。懐が深くて、かなり強気に踏み込まないと打てないです。」


王者は常に逃げの構えを取っている為、ボディを打とうと思えば自然追い掛ける形になってしまう。


そして恐らく、その瞬間を狙っているのだろう。


「向こうはやっぱり深くダッキングして避ける動作が多い。そこを狙おう。」


「…下から覗き込んでくるあれですか?」


「そう。踏み込んでアッパー…その時死角からパンチを放ってくるから、それを…」


今までの試合でも再三見られた光景。


体勢を低く取る王者を下から突き上げようとした直後放たれる、死角を通る右のオーバーハンド。


それを狙い撃つイメージを頭の中で構築し、俺は立ち上がった。


第三ラウンド開始のゴングを聞きながら前に進み出ると、先ずは牽制の左を伸ばしていく。


王者は軽くスウェーした体勢のまま、相変わらずの足運びでリングを大きく使う。


見た目には俺がプレッシャーを掛け、王者がそれに押されて下がっている形。


だが実情は違う、俺が追い掛けるように誘導されているのだ。


そして踏み込み過ぎれば、あの置いていくようなパンチをカウンターでもらってしまう。


しかしその展開もここまで、必勝パターンを狙い撃ち切り崩してやる。


そう強く心に秘め、左の弾幕を張った。


「…シッシッシッ…シッシッ…シッシィッ!」


王者は差し合いなどゴメンと言わんばかりにいつもの体勢。


上体を前に傾けるような形で、右に左に頭を振り覗き込みながら躱している。


だが当然ただ躱すだけではなく、随所随所でフェイントを入れこちらの動きを制しているのだ。


それら全てが打てば当たるかもという際どいタイミングであり、踏み込む足も鈍ろうというもの。


(…臆病風に吹かれて…この男に勝てるかよっ!!)


強めの左を伸ばした直後、俺は踏み込み低い場所にある頭部目掛け右を突き上げる。


左は側頭部を覆い、相手のオーバーハンドに備える構え。


これならばとそう思ったが、


「…っ…っ!?」


王者はグリンと首でいなしながら上体を九十度回転、そこから飛んで来る力みのないワンツー。


一言でワンツーと言っても、その角度と打ち方が異常。


上体を前方に寝かせ、下から覗く形で打つワンツーなんて聞いた事も無い。


だが一見滅茶苦茶に見えるこれらも一切体幹が揺らいではおらず、いつでも反撃に転じる事が出来そう。


加え瞳は相変わらず俺を捉えており、恐らくは左で側頭部をカバーしたのを確認してから打ったのだ。


(…顎を叩かれたな…)


一瞬の攻防、それでもしっかり顎を捉えられており少しだけ効いてしまった。


俺は右腕を引き戻し顎をガードする体勢でバックステップ、距離を取る。


王者はそれを眺めるだけでやはり追っては来ず、こちらは何とか体勢を整えて一息つく事が出来た。


(…完全に待ちの戦術…でも崩せない…)


このまま時間が過ぎればこのラウンドも取られてしまう。


しかしそんな焦りを抱えたまま打って出れば向こうの思う壺。


ラッキーパンチなど期待できる相手ではない。


結局打開する事も出来ず、ゴングが鳴るまで殆ど睨み合いが続いてしまった。





「…統一郎君、少しラフに行ってみようか。」


具体的な事は言わなかったが、今の俺にはそれだけで充分だった。


ここまでやって分かった、この相手は正攻法では切り崩せないと。


そして第四ラウンドのゴングが鳴るや否や、俺はガードを固め突っ込んでいく。


「…ヂィッ!!」


ぬるりと移動しようとする王者を追いかけ、肩をぶつける様に入っての右ボディ。


絶対に逃がさないと言わんばかりに、そのままロープ際へと強引に押し込む。


王者は俺の胸部に頭を押し付ける様にして凌ぐ体勢、これは押し切るチャンスと考え更に強引に叩きつけた。


そして一発二発とガードの上から叩きつけるも、三発目を絡め取られクリンチに逃げられてしまう。


しかしこれは有効だ。


今までその身に触れる事すら困難であった王者だが、これならば俺のパンチも当たる。


何より体格では劣っているが、直に押し合ってパワー勝負では分があるとも感じた。


(これならいける…もう一度…)


そう思いガードを固め踏み込もうとした直後、


「…っ…」


ゴツリとガードを抉る感触、ただ強打を受けただけならば我慢して突っ込むのだが、タイミングが嫌らしい。


正にここしかないという一瞬にパンチを置かれるのだ。


例えるなら静と動の隙間、マットを蹴った力が前に進み出る力へと変換される刹那の時。


(…くそっ…踏み込もうとする度抑えられるっ。)


更に嫌らしい事に、俺がガードする腕に力を込めた瞬間、ぬるりと懐に滑り込みボディストレート。


「…ぁっ!?」


予想だにしないタイミングでもらうボディは恐ろしく効いてしまい、思わず背中を丸め後退。


すると、今までとは違い王者が攻勢に打って出る。


その間合いも見事の一言、決して反撃をもらわないぎりぎりを見極め、いつでも回避に移れる距離を確保した匠の技。


俺もやられっぱなしでいる事は出来ず手を出すのだが、王者はまさに攻防一体。


強引に打つパンチは一発も無く、しっかりこちらの体勢を見切ってから反撃。


決して撃ち抜くようなパンチを放たないのでダウンこそしないが、確実に削られている。


「…っ!!」


そして完全に反撃できない体勢の時だけ、強烈な一撃を見舞ってくるのだ。


(…こんな強いパンチ打てんのに…KО殆どないとか…嘘だろ。)


しっかり力を込めて打ってくるパンチは、完全に強打者のそれ。


腕には既に痣が浮き出ており、じんじんと痺れるような痛みが続いていた。


戦前の予想でも何となくは分かっていたが、KО率とパンチ力は比例しない事もある。


(…くっそぉっ!!)


何とか状況の好転を計ろうと、俺が肩から強引に突っ込んだその瞬間だった。


「…っ!!?」

(…やっべぇっ…)


王者が下がりながら放ったのは、狙い澄ました左フック。


耳の後ろ辺りを叩かれ、完全に三半規管が馬鹿になってしまった。


ダウンだけはしたくないと、前によろけながら王者の腰にしがみつく。


強引に決めようと思えばできる筈だが、王者はそのまま受け入れレフェリーの声を待っていた。


(…万が一すらも許さないのかよ…凄えな…ああ凄え…凄えけど…)


クリンチを解いたのはレフェリーでなく俺だった。


何故かその在り方にイラつきを覚えたのだ。


二本の拳を胸部に押し当て、力任せ強引に王者を突き放す。


「…シッシッシィッ!!シュッシッヂィッ!!」


そこからなりふり構わぬラッシュ。


固いガードに阻まれ一発もクリーンヒットはしなかったが、少しは危機感を抱かせる事が出来ただろうか。


だがその後、レフェリーからプッシング(手や体で相手を押す反則)の注意を受けた。


行為を繰り返したら減点もあると言われたが、今の俺にはどうでも良い。


会場のざわつきが鳴りやまない微妙な空気の中、第四ラウンド終了のゴングが鳴った。

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