第二十四話 王者の存在感
二月二十九日、日本スーパーフェザー級タイトルマッチ前日計量日。
この日はジム前に地元局のカメラがあり、集まった後援会の人達も激励の声を上げてくれた。
「やっぱりタイトルマッチともなると扱いが違うよね。」
及川さんが、小さくなっていく見送りを眺めながら口を開く。
「まあ今回の試合が特別である事は事実だからね。相手も含めて。」
チャンピオン陣営は、今回の試合を国内最後の試合と銘打っているらしい。
一応訂正しておくが、国内でやる試合がという意味ではなく、これからは本格的に世界を取る勝負に打って出るという意味だ。
その道筋も最早完成されているらしく、話題はもう先に見据える世界戦の事ばかり。
こちらの全国的な扱いは、御子柴裕也の引き立て役といった感じだろう。
だからこそ、食えば一発で名が知れるチャンスとも言える。
「確か、今回は計量も別の所でやるんだろ?ホテルの宴会場でやるんだったか?」
牛山さんの言葉通り、今回はホテルの大広間が計量会場。
まだ国内タイトルなのに何とも大袈裟な事だが、その事実だけをみても注目度の高さが伺える。
まあ、注目されているのはこちらではなく向こうだけだろうが。
この試合を観戦する人の中で、一体どれくらいが俺の名前を憶えているかも疑わしい。
下手をすれば一割にも満たないのではないだろうか。
思わずそんな事を考えてしまった。
(…関係ない。試合が終わった後、笑っているのは俺だ。)
心の内で強がりを呟き瞼を閉じた後、車内で交わされる雑談に耳を澄ませ到着を待った。
キッと微かなブレーキ音が聞こえ、会場に到着した事を告げる。
「皆で行くの?私達は買い出し行ってこようか?」
会長が多少思案してから、少し笑みを零して返答した。
「う~ん、そうだな。折角だから今回は陣営全員で行こうか。」
結論が出た後、必要最小限の荷物だけを持ち会場へと足を向ける。
そこに足を踏み入れると、当日試合をする選手だけでなく、その関係者やマスコミ等、多数の人でごった返していた。
そして当然挑戦者である自分にもフラッシュがたかれ、今までにはなかった扱いに一瞬怯むが、どうせ主役は自分ではないと開き直り計量台へ歩を進める。
「……五十八,九㎏。遠宮選手、スーパーフェザー級リミットです。」
おおっと歓声にも似た声が上がり、胸を張って計量台から足を下ろすと、ドリンクをゆっくり口に含む。
その時、会場のざわめきが最高潮に達した。
本日の主役の登場である。
俺とは比べるべくもないほどたかれるフラッシュの向こう側、そんな光景を裂くように男は姿を現した。
自分を大勢が取り囲むその状態こそが、まさにあるべき形だと言わんばかりの威風堂々たる佇まい。
直にその姿を目にすると分かる。
圧倒的なカリスマ性、その雰囲気、まさにこの男こそが選ばれた者であるという事実が。
(…何てプレッシャーだ。少し自惚れていたかもしれない。この男は……。)
正直に言えば、悔しいが呑まれかけていた。
「大丈夫だよ遠宮君。負けてない!絶対に負けてないからね!」
そう語りかけてくるのは及川さん。
それは俺だけでなく、自分にも言い聞かせる様な口調だった。
恐らく彼女も感じてしまったのだろう。
かつては同じリングに立っていた者として、その圧倒的な力の片鱗、そして可能性を。
「凄いね…。何度か世界チャンピオンを生で見てるけど、間違いなく彼はそれ以上だよ。」
会長でさえも息を呑むほどの存在感。
自分が感じる感覚よりも何よりも、その事が俺を打ちのめしそうになる。
「ふんっ、坊主なら勝てるぜ。俺はそう信じてる。ほらっ、しゃんとしろ!坊主!」
背中を叩かれ、固くなっていた体が解れていく。
元々は門外漢だからだろうか、牛山さんはいつもと同じ厳つい表情で不敵に笑っていた。
すると記者らしき人がこちらに駆けてきて、二人揃った絵を撮りたいとの注文。
「遠宮君、ばっちりカッコつけて来るんだよ。」
笑顔で返した後、王者が待つ計量台の前へと歩み寄る。
「明日は宜しく。」
王者が差し出してきた手を、少し息を吐き己を落ち着かせてから掴んだ。
「はい。全力でぶつからせてもらいます。」
両者が手を握った瞬間、カシャカシャっと眩いほどのフラッシュがたかれる。
王者と視線を合わせると、柔らかな笑みに見えるそれが、やけに冷たく感じ全身に寒気が走った。
その後はいつも通り食事を済ませてからホテルへと向かうのだが、そのホテルも向こうのジムが取ってくれており、いつもより一段階上の部屋で夕方まで横になる。
そして夕暮れの街を軽く走った後、シャワーを浴びスマホを開いた。
(ん?メールが何件か届いてるな。)
受信ボックスを開き中身を確認すると、まずは相沢君から。
『最後は覚悟で決まる!絶対に気持ちで負けんなよ!』
ついさっき負けそうになった事実は無かった事にして返信。
軽食を摘まみながら、届いているメールに次々と目を通していく。
『応援しています、頑張ってください。そしてチャンピオンになって帰ってきたら、またラウンドガールやらせてくださいね!』
BLUESEAの三人からも激励が届いていた。
明日も彼女達の曲で入場するので、全国で耳にする人もいる筈だ。
そのことが切っ掛けで少しでも興味を持ってくれたなら、俺が頑張ってきた甲斐もあったというものだろう。
『明日、控室に激励行ってもいいのか?阿部と話したんだけど分かんなくてよ。』
田中からそんな内容が来ていたので、青コーナー側の個室である事と共に待っている旨を伝えた。
『もしかして田中君から同じメール行くかもしれないけど…』
阿部君からだったが内容は同様のものだった為、同じように返す。
そして、次のメールへと目を向けた。
『ぬいぐるみの約束、忘れてないよね?応援してるから。だから頑張れ!!地方の星、遠宮選手!』
それは葵さんからのもので、気付けば頬が緩んでいた。
勿論約束は忘れていない。
考えると気分が落ち込む事実だが、彼女と会える時間もあと僅かだろう。
最後に見る彼女の顔は笑顔であってほしい、その為にも明日は絶対に負けられないと、深く心に刻み込む。
そして次が最後のメールだ。
『久しぶりに送ります。凄い選手と試合するって知って少し心配です。勝ってほしいけど、絶対に無茶だけはしないで。こんな事言ったら駄目かもしれないけど、遠宮君にはこれからいくらでもチャンスあると思うから、だから本当に怪我には気を付けてください。』
明日未さんからだった。
「はは、無茶しないでって、それこそ無理だよ。明日は無茶するよ。何度でも何度でも立ち上がって、絶対に勝たなきゃならないんだから。」
事実はそうだが、そのまま送ってしまえば彼女の顔を曇らせてしまうだろう。
それに彼女自身、俺が無茶しない事など有り得ないと分かった上で送っている筈だ。
それでも、安心させる為に彼女の望む答えを送る。
全てのメールに返信を終えた後、大きく息を吐いて天井を見つめた。
今でも信じられない気持ちがある。
こんな自分がタイトルに手を掛けようとしている事が。
父が生きていたら、一体何と声を掛けてくれただろうか。
洗面台に向かうと、そこに映る自分と睨めっこしながら歯磨きをしてベッドへと潜り込む。
「勝つよ父さん。そして、もっともっと大きな舞台に立って見せるからさ。」
誰に聞かせるわけでもない呟きが宙に溶け、明日の激戦に思いを馳せながら瞼を閉じた。
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