第30話 ゴール前こそ要注意

第二ラウンド開始直後、先程の展開を踏襲するべくジャブを二発三発と打ち込み追い立てようとするが、相手も引かず左の差し合いに応じてくる。


恐らく先のインターバルで何かアドバイスを受けたのだろう。


(ジャブは俺の生命線だ。これだけは負けられないっ。)


リング中央、初回同様円を描き左を突き合うが徐々に均衡が崩れていく。


会長曰く『練度が違う』、その言葉を信じジャブを執拗に浴びせ、相手をまたもロープ際へと追い立てる。


すると、相手は両腕のガードをしっかりと上げ前傾姿勢を取り始めた。


所謂、クラウチングスタイルという形だ。


このスタイルは主にインファイター等の近距離メインで戦うボクサーが取る形で、どうやら差し合いではペースを握れないと見て打ち合いに活路を見出すつもりらしい。


だが、こちらとしては勿論そんなものに付き合うつもりはない。


ガードを固め前に出てくる相手に、距離を保ちつつジャブを突く。


「シッシッシッシッ…!!」


思ったほど手を出してこない相手に対し、ガードの上から強振を誘うつもりでジャブを突いて突いて突きまくる。


この展開であれば、例えクリーンヒットしなくてもポイントはこちらに傾くはずだ。


流れはこちら、相手の立ち回りは作戦ミスと言えるだろう。


何故なら、強打が持ち味の選手であればこれは相当なプレッシャーになるだろうが、ここまでのやり取りでそれほどの強打は無いと推測出来ている。


その為、例えインファイトをしても一方的に負けるとは思えなかった。


勿論、今までのパンチが全てブラフだったというなら話は別だが、四ラウンドしかない試合で態々そんな事をする必要性を感じない。


(随分大人しいな。無理やり打ち合いに持ち込むつもりだと思ったんだが。)


ガードを固め前に出てはくるのだが、殆ど手を出してこない。


これ幸いとばかりに、俺は下がりながら左を突き、回りながら左を突く。


(もしかして、スタミナ切れ狙ってんのかな?だとしても打たせすぎだが…。)


正直、相手の狙いが分からず困惑していた、しかし手を緩める訳にもいかない。


拍子木の音が響き、残り十秒になった所で漸く左右のフックを振り回してくる。


それをバックスステップで難なく躱し、第二ラウンド終了。





「文句無い出来だよ。でも何が起こるか分からないから、気を緩める事だけはしないように。」


会長のアドバイスに頷きながら、乱れた呼吸を整える。


乱れた息が丁度戻った頃、セコンドアウト。


そして第三ラウンドのゴングが鳴った。


その直後、相手がガードを固めたまま対角線から真っ直ぐ突っ込んでくる。


油断していたつもりはなかったのだが、これは完全に意表を突かれた形になってしまった。


(…下手に躱そうとすると、でかいのをもらう可能性があるな…。)


俺はガードを固め、放たれた相手の拳が触れようかという瞬間、肩からグイっと潜り込み腰にしがみ付く。


相手はそれでも強引に振り回してくるが、俺はしがみ付いた腕を離さない。


レフェリーが割って入りブレイクした後、もう一度接近を試みる相手にしっかり距離を保ちつつ左右の連打。


「…シッ!シィッ!!」


更に左をフェイントにして誘い、掛かった所を左ボディから返しのフック。


ボディの手応えはあったが、フックはガードの上。


相手はこの機を逃さんとばかりに強振してくる。


それをダッキングで躱すと、右ボディから左アッパー、またもボディの手応えはあるがアッパーはガードの上。


(…なるほど四ラウンドなら上さえ防げば倒されないと思ってるのか。)


歯痒いが、確かに俺のパンチでは不意を突かない限り鍛えられた腹筋を貫く事は出来ない。


敵ながら、実に的確な判断だと言わざるを得ないだろう。


一発の強打が無いからこそ、それを補うべく誘ってカウンターを狙っているのだから。


だがそれは相手も同じ事で、やはり単発ならそれほど怖いパンチは無さそうだ。


そう判断すると、左をガードして踏み込んでくる相手に対し下がる事はせず、その場での対応を模索する。


その様に応じたのはもう一つ理由があり、ジャッジの心象によっては前に出続けている向こうにポイントを付ける可能性もあると考慮したからだ。


そこから額が当たりそうな距離での打ち合いになったが、お互いにクリーンヒットは無く、決め手に欠けたまま両者が縺れ合う様になった所でレフェリーが割って入る。


仕切り直しとなった後、残り十秒の合図が響いた。


「…シッ!シッ!…シッ!シィッ!!」


少しでもジャッジの印象を稼ぐ為、終了間際にジャブを二発、そしてワンツー。


そこでゴングが鳴り、ふぅ~と息を吐くと自陣へ足を向けた。





「開始直後、ヒヤッとしたけど冷静に対処出来ていて良かったよ。あれで良いんだ、派手さはいらない。今は勝つ事が何より大事。」


水を口に含み、会長の言葉を頷きながら聞く。


やはり接近戦をするとスタミナの消費が激しいらしく、それなりに息が乱れていた。


こういう時、首筋に当てられた氷嚢が凄く気持ち良い。


「ラストだよ、気を引き締めていこう。」


マウスピースを銜えながら頷き返す。


「坊主、勝ってるぞ。頑張れ。」


こういう単純な言葉こそ、疲れている時にはすぅっと入ってくるものだ。


先程の奇襲を思い出し、ゴングが鳴る前に気を引き締め相手を見やると、向こうは見るからに肩で息をしており、こちらよりも疲弊している事が伺えた。


ここまでのラウンド、ポイントは全て取っているはず。


そうなると、相手が勝つにはもうKО狙いしかない。


最終ラウンドのゴングが鳴り、案の定、またも対角線上から突っ込んでくる。


だが、今回は不意を突かれた先程とは違い、こちらの体勢は十分だ。


心を冷静に保ち、相手の初動を注視する。


「……フッ!」


そして右を放ったのを確認した瞬間、皮一枚見切りこちらも右フックを引っ掛け体を入れ替えた。


「シッ!」


更に振り向きざまを狙った左が上手い具合に当たり、相手の足が鈍る。


(今のは効いたんじゃないか…。追い打ち掛けるか?)


ダメージを確かめる為、軽く左を伸ばす。


だが、まだまだ元気らしく、更にガードを固め突っ込んでくる体勢だ。


しかしダメージが無いという訳でも無いらしい。


見るからに先程よりも出足が鈍い。


ロープを背にしないよう気を付けながら、丁寧に左を突いていく。


相手は頭から突っ込んだ体勢のまま振り回してくるが、その動きは既に見切っており、打ち終わりを狙ったワンツーがクリーンヒット。


恐らく、この試合を通して初めて当たった強打。


一瞬腰がガクッと落ちるのを見て、思わす踏み込もうとするが冷静になる。


判定での勝ちはほぼ確定している現状、ここは無理に攻める場面では無いと判断。


ジャブを二発三発と打ち込むと、相手は力無く後退していく。


(まだ残り一分はある。KОはしたいけど勝ちに徹するべきだな…。)


そうは思っても、人とは欲深いもの。


あわよくばKОを狙いたいと、足の鈍った相手にしっかりと力の入ったパンチを浴びせていく。


踏み込みすぎない距離で左右の連打を浴びせると、向こうもここが踏ん張り所と見たか、被弾覚悟で手を出してくる。


相手のそれは、最早KОしか狙っていないと言わんばかりの、体全体を大きく使ったフルスウィング。


もしこれが当たったらと思うと腰が引けそうになるが、落ち着いていれば当たる様なパンチでは無いはずだ。


だがそんなパンチを目の前で振り回されると、精神が疲弊してくるのは否めない。


「ふぅっふぅっ…シィッ!シィッ!」


欲を掻くのは良く無いと分かっているが、KОはボクシングの華。


その勲章を欲しくないボクサーなど、いる訳が無い。


レフェリーストップを期待して、ロープに背を預ける相手に対し左右の連打をしつこく浴びせ続ける。


(いい加減倒れてくれよっ!レフェリーっ!もうストップでいいだろこれっ!?)


勝ちに徹しなければいけない事は分かっているのだが、ここまで来ればやはり倒したいという欲が先行する。


しかし、ロープにもたれ掛かりながらもしぶとく振り回して来る為、レフェリーも続行の意志有りと見ているのだろう、試合を止めるまでには至らない。


しかも、振り回すパンチの悉くが相打ちを狙っているのだから質が悪い。


そして万が一を考えると、どうしても踏み込みが足りず決定打に欠けてしまう。


激しい打ち合いの最中、拍子木の音が鳴り一瞬気を取られそうになった。


瞬間、相手の目に力が宿った。


(最後の一発かっ!!)


その体勢は、力を溜める様に右の拳を引いており二撃目は考えられない。


この一発に全てを賭けるつもりだろう。


(大丈夫、何て事は無い。しっかりパーリングすれば……)


渾身の右を捌いてこれで終わりだと思った瞬間、


「…っ!?」


相手の膝がガクッと折れ、最悪のタイミングで軌道が変わった。


まるで変化球の様に軌道を変えたその一発は、するりと俺の左腕内側を抜け、不運にも顎に突き刺さる。


(…っ…うそ……だろ。)


完全に効いてしまった。


(不味いっ!あと数秒だ!何とかっ何とかっ耐えろぉぉっ!!)


下半身に力が入らず、みっともなかろうが何だろうが構わず相手にしがみ付く。


それを見たレフェリーが割って入るが、俺はゴングが鳴るまでの数秒間、しがみ付いて離さなかった。


僅かではあれど観客の一部からは罵声が上がり、それがいつまでも耳に残り続けた。







互いに健闘を称え抱き合いながら背中を軽く叩いた後、俯きコーナーに戻る。


(完全にゴングに救われた。何でこんな事になったんだ…。どこで間違えた…後十秒あったら…。)


会長達にグローブを外してもらいながらも、己の不甲斐無さに気持ちが沈んでいった。


後味の悪い感覚が残る。


ポイントは全てこちらが取っているはずであり、勝ちは揺るがないと信じているが、それで不安が無いかと言われたら…。


コーナーに戻り会長の顔を見ると、大丈夫と頷いてくれた。


「大丈夫だ。俺から見ても絶対勝ってる。会長、大丈夫だよな?」


どうやら俺は余程不安気な表情をしていたのか、体の汗を拭いてくれている牛山さんが、安心させる様に何度も大丈夫と繰り返していた。


そして落ち着かない気分のまま、決着の時を暫し待つ。


リングアナが採点結果の書かれた紙を持って中央に進むと、


「採点の結果をお知らせいたします。………以上三対〇を持ちまして勝者赤コーナー遠宮統一郎。」


判定結果を聞いた後、すぐさま相手陣営に向かい感謝を伝える。


「有り難うございました。」


「うん、頑張って勝ち進んで。」


向こうのトレーナーらしき人からも、温かい言葉をもらい再度頭を下げる。


そして拍手をしてくれるお客さんにも頭を下げていると、待っていた会長に促されリングを降りた。







ドクターチェックに向かう際、先程迄リングで向かい合っていた佐藤選手とすれ違った。


こちらに気付いた佐藤選手は、駆け寄ってきて握手を求めてくる。


「いやぁ、強かったです。何もさせてもらえませんでしたね。」


「そんな事無いです。最後まで気を抜けない試合で、最後は、もう…。」


あと少し時間があれば、どうなっていたか分からない。


しかし、佐藤選手はそんな事を思ってもいない様な爽やかな人だった。


不思議なもので、彼の事を何も知らないはずなのに、本気でぶつかり合った人とは何か言葉に出来ない絆の様なものを感じてしまう。


少し会話をした後、俺も軽い検診を受け帰路の準備を整える事にした。






「準備はいいかい?牛山さんは先に荷物を持って車に行ってるよ。」


汗を洗い流し準備を終えた俺を、会長が待ってくれていた。


時刻はもう七時を回っており、辺りはすっかり暗くなっている。


しかし人通りはどんどん増えている様で、格好から推測するに野球の試合を見に行くのだろう。


駐車場へ向かう道中、今日の試合の評価について恐る恐る会長に尋ねてみると、


「ん?良い試合だったと思うよ。統一郎君としてはKОしたいかもしれないけど、それは必然的に結果として付いてくるものだから。前にも言ったけど、今は負けない事、そして怪我をしない事。これ以上重要視する点は今は無いよ。」


今は、という事はこの先勝つだけではなく、内容も求められる時期が来るという事だろう。


「出来る事を十全に出し確実に勝った。後は気にしてるみたいだから言うけど、最後のは普通にガードしていれば起きなかった事故だね。でもあの状況なら仕方なかったと思うよ?」


最後はともかく、全体的にはまずまず良い評価がもらえたようだ。


話が一段落した頃合いで、牛山さんが待つ駐車場に到着した。


「お、来たか。もう荷物は積んであるから乗ってくれ。」


高速に乗りしばらく走った後、腹がグゥ~と鳴り空腹だった事を思い出す。


その音を聞いた牛山さんが大声で笑い、帰る途中のドライブインに寄ってご飯を食べて帰る事になった。


そして食事の最中、会長が思い出した様に口を開く。


「そういえば、統一郎君は集中していて気付かなかったと思うけど、控室に備前選手が同門の激励に訪れていたよ。」


「え?備前選手って日本チャンピオンのですか?」


備前直正びぜんなおまさ】現日本スーパーフェザー級王者、二度の世界タイトル挑戦経験があり、敗戦後再起して現在三度目の日本王座に就いている。


年齢はとうに三十を超えており、もう一度世界へという声は聞こえてこない。


それでも、そのファイトスタイルは男の心を震わせる何かがあり、ホールのボクシングファンからは未だ根強い人気を誇っている。


因みに一度目の世界戦敗退後、再起戦で調整相手として選ばれたのが当時日本ランキング十二位だった遠宮大二郎。


そう、俺の父である。


試合は備前選手の地元でもある駿河で行われたが、その時の人気振りは今でも覚えているほど。


そんな縁もあり、自分としても特別な思い入れのある選手の一人だ。


「いずれは当たるかもしれないけど、今は目の前の試合に集中だね。」


その言葉通り、今の段階で気にするべき相手でないのは確か。


次の試合までそれほど期間がある訳でもなし、余韻に浸る事無く気を引き締めねばなるまい。







自宅の前まで送ってもらうと、着いた頃には二十三時近くになっていた。


二人に軽くお礼を伝えた後、ドアを開け待っていたであろう叔父と挨拶を交わす。


「勝ったか?」


黙って頷くと、良くやったと言ってくれた。


その言葉を聞いた直後、漸く本当の意味で一日の終わりを実感し、どっと疲れが滲みだす。


部屋に戻り、あの人に結果報告を済ませていない事に気付き簡単なメールを送った。


『KОは出来なかったけど、フルマークの判定勝ち。俺にしては上出来。』


最後危なかった事実は伏せておく。


送信すると、直ぐに返事が返ってきた。


『満足すんな。ボクシングはやっぱりKОあってのものだろ!』


非常に彼らしい激励だ。


そう取っておく事にしよう。

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