第二十話 ここで頑張ってきた
最近のボクシング界は色々動きがあり、五月中旬先ずは相沢君が二度目の防衛成功。
内容も良く、早くも統一戦や多階級制覇へと陣営の夢も膨らむ。
六月に入り夏も本番の気配が近づくと、高橋選手がタイトル返上してのアメリカデビュー戦。
向こうでのニックネームは『サムライソード』
何でも寡黙で何を考えているのか分からないのが、ミステリアスという評判。
相手は世界五位の選手だったが、またも一ラウンドKОで締めその名を知らしめた。
やはりこういう分かりやすい選手は海外で受けるらしく、早くも次戦には世界戦をとの声が上がる。
こうなると同じ階級の王者である御子柴選手の動向が注目だ。
彼は五月の始めに正規王者に勝ちタイトルを統一したのだが、直ぐに返上するのではないかとの声がある。
減量苦もあるだろうし、何よりやりたくない、若しくはやらせたくない選手が上がってきた事もあるだろう。
スポーツ新聞の記事の引用だが、彼は初防衛戦で第一位の選手を指名しやる予定。
それに勝って力を証明し堂々と上の階級へというプランが濃厚。
まだ予定の話だが、そうなればライト級でまた俺とぶつかる可能性も出てくる。
まあ、それも俺がタイトルを持っていればと言う話で、次の試合に勝たなければ話にならない。
今の段階では捕らぬ狸の皮算用だが、もしその時が来たら受けるだろう。
正直、正体不明のメキシカンなどとやるよりは、彼の方が幾分か心が軽い。
そんな事を思ってしまう時点で、とんでもない世界まで来たものだと実感してしまった。
それに何というか、たった一階級違うだけだが、今の俺はスーパーフェザー時代とは別人と自負している。
何となく、以前とは違う展開を作り勝利さえ掴めると、そんな確信もあった。
しかしそれを言ってしまえば、彼も気を引き締めてくるはずなので難しい試合にはなるだろうが。
▽▽
六月も中旬に差し掛かろうという頃、ようやく世界戦の日取りが決定。
八月十五日、場所は泉岡アリーナ。
世界戦らしく調印式なども行われるようで、初めての経験に楽しみ半分、緊張半分と言った感じ。
因みに世界戦という事もあり、定期的に義務付けられた健康診断はいつも通り叔父の病院で行う。
相手は当然、WBAタイトルを五度防衛中の正規王者『エルヴィン・コーク』二十七戦二十七勝六KО無敗の選手だ。
ボクシングマニアたちの予想としては、十回やっても十回俺が負けるという声が殆ど。
実力だけなら同階級最強ランクと言われているほどの選手、当然の見方だろう。
彼のスタイルは非常にディフェンシブ、なのにもかかわらず相手が強引に行けないのは見ていて不思議だ。
恐らくモニター越しでは分からないほど、パンチが強いのではないか。
KО率とパンチの強さは必ずしも比例せず、彼の場合はその強打を組み立ての道具にしている印象。
会長曰く、空間把握能力の化け物。
数少ないKОの内訳も特徴的で、六つのうち四つが相手側の棄権によるTKОなのだ。
つまり、純粋にパンチで倒したKО勝利はたった二度しかない。
試合映像をもう何百と見直しているが、全く隙が無く正直どうしていいのか分からないのが現状。
会長からは待ちのボクシングで行くべきと言われているが、それでも勝算は薄い。
一度流れを掴まれて引っ繰り返せた選手が、今まで一人もいないのだ。
そのあまりに慎重で退屈な展開は自身の首を絞め、プロモーターからも見放されたという話もあるほど。
随分前にメインを努めた試合もそれほど大きな会場ではなかったが、五割近くが空席。
それでもモチベーションを保ち勝ち続けられるのは、やはり恐るべき精神力と言えよう。
▽▽
七月に入れば周りも活気づき、連日記者が訪れ地元局の密着取材なるものさえ入った。
その密着取材をするのは、最近は県外にも知名度を誇るBLUESEAの三人娘。
新曲のダウンロード回数は最高三位を獲得し、最早地方アイドルとは呼べない存在だ。
三人共が成人し、それでもまだ地元に残り活動を続けている所が、古参のファンにしてみれば本当に嬉しいだろう。
そして番組の構成は朝のロードワークから。
流石に咲や亜香里の顔は映らないようにしてもらっているが、朝ご飯の風景から撮られるのは流石に照れる。
なのに住んでいるのが古びた木造平屋という点は、全然恥ずかしくないから不思議だ。
「奥様もお料理上手なんですね。」
リーダーの藍さんに言われ、咲は耳まで真っ赤にしている。
奥様と言う言葉に照れているのであって、料理の腕を褒められること自体は嬉しいらしい。
「いやぁ~、まさかこんな美人なお嫁さんがいるとは思いませんでしたよ~。結構古い付き合いなんだから教えてくれても良いじゃないですかぁ~。」
成人しても相変わらず落ち着きのない桜さん。
だが声色は十代の頃と少し違い、アニメ調ではなく結構自然体だ。
そうしていると、一人足りない事に気付いた藍さんが見渡し告げる。
「こら、花っ!猫ちゃんと遊ぶのはその辺になさいっ!」
俺にかまける事無くスイと戯れていた花さん。
何となく亜香里と馬が合うのか、取材そっちのけで猫談議に花を咲かせていた。
外見はかなり大人っぽくなったのだが、奔放さは全く変わっておらず、寧ろ安心感を覚える。
そして不満げな表情のままこちらに歩み寄ると、何か言えとスタッフからの圧力。
「遠宮さん、案外早く戻ってこれて良かったですよ。酷い負け方でしたからね。しかもその後は外国でひきわ……」
藍さんがにっこりと微笑みながら花さんの口をふさぎ、ひとまず撮影は次の舞台へ。
▽
「わぁ~、良い雰囲気のお店ですね。私もプライベートで来ようかな。」
勤務先の喫茶店でカメラを回し始め、まずは藍さんが無難なコメント。
「私オムライス食べたいですっ!オムライス下さいっ!」
桜さんは竹本おばあさんのオムライスを頬張り、演技ではない至福の表情。
「…お掃除は行き届いているみたいですね。」
花さんは窓枠に指を滑らせ、姑の如き一言。
そして次に目を向けたのはピアノ。
「随分外観に似つかわしくないピアノがありますが、引けるんですか?」
少し挑発気味の言葉、それを受けにこやかな笑みを浮かべた咲が腰掛け軽やかに鍵盤を叩く。
引いたのは彼女たちの曲、中々に憎い演出ではないか。
すると、いつの間にか花さんがその横に座っており、二人で見事な演奏を披露。
俺は知らなかったが、こういうのは連弾と呼ばれ普通にある演奏方法らしい。
普段の生意気な姿とは違う、花さんの女性らしい繊細な演奏に、少し聞き惚れてしまった。
そして夕方にはジムへ向かい、取材陣は邪魔にならないよう隅で待機する形。
女性が、しかもアイドルが見ているという状況は良い影響を与えるようで、心なしか皆の動きも二割増しで切れていた。
▽
練習後、リングの端に座りインタビューを受ける。
まるで世間話でもしている雰囲気で、和やかに笑い声を響かせながらの対談。
彼女達と俺は、世界は違っても上を目指し頑張ってきた者同士。
栄枯盛衰がリンクしていると感じるのは、おかしい話だろうか。
「今度の試合でも、私達がラウンドガールを務めさせていただきます。世界王者になった姿を間近で…私達に見せてください。」
これは想像だが、彼女達だって言われたことがある筈だ。
こんな田舎でやってても無駄だよと。
でも諦めずここで活動を続け、徐々に全国規模で評価されつつある。
ならば俺もそう在りたい。
「はい、任せてください。必ず勝ちます。」
言うべき言葉…求められている言葉は、全力を尽くす等という類のものではない。
不退転の覚悟…勝利への執念、何より俺自身がその言葉を求めていた。
そして発した言葉を、魂に言霊として刻み込むのだ。
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