第九話 新技開発
「うん、そんな感じ。いい感覚掴めてきたみたいだね。」
会長はそう言うと、構えていたミットを降ろし、修正点を上げていく。
今俺が練習しているのは、後二週間後に差し迫った次の試合に向けての対策。
次戦の相手、加藤選手は今までの相手とは違いキャリア豊富なベテランで、難しい試合になる事は間違いない。
恐らくコークスクリュー対策もしてくると思われるので、その対応も考えたというわけだ。
「じゃあ、もう一回やってみようか。」
会長がそう告げた後、ミットが当たりそうになるほど近い距離で構えを取る。
そしてズバァン!っと一際大きな音がジム内にこだまし、一瞬ミットが弾けた。
その光景には、横で見ている牛山さんも満足そうに頷いている。
「こんな感じですかね?でもやっぱり隙が大きいですね。」
そう、このパンチもまたコークスクリュー同様、一発で倒す事を想定したものだ。
通常のフックの様に横から当てるというよりは、思い切り腰を捻り手首を返し、自分の内側に巻き込むイメージで放たれる。
軌道も通常のフックよりかなり外側を走る為カウンターの餌食になりやすく、打つ状況には特に注意が必要だ。
勿論連打は利かず、その代わりに一撃で倒すに充分なほどの破壊力を持つ。
次の試合は、相手のスタイルから考えて間違いなく近い距離での打ち合いが必要な展開になると予想される。
その為、近い距離でも倒せるパンチを試行錯誤しているという流れだ。
「まあそうだね。コークスクリューの原理をフックに応用したものだから、必然的にそうなってしまうのは仕方ないかな。それはそうと、このパンチにも何か名称が欲しいね。名付けるとしたら………幸弘君、明君、何か良いのないかい?」
どうやら思いつかなかったらしい会長が、二人に丸投げした。
二人とも突然振られた質問に腕組みしながら考えること数十秒、そして何か思いついたらしい明君が口を開く。
「トルネードフックとかどうですかね?何かこう、巻き込む感じのイメージなので。」
三人で顔を見合わせた後、俺が口を開いた。
「いいねそれ、トルネードフックか。うん、それで行こう。」
めでたく必殺技名も決まった所で、いつも通り佐藤さんとのスパーリングに入っていった。
練習後、ジムに置いてある会長のパソコンを使い、俺はもう一度次戦の相手の確認をしていた。
「また確認してんのか、相変わらず心配性だな坊主は。」
振り向くと、外のシャワー室で汗を流してきたらしい牛山さんがタオル片手に立っていた。
「言っちゃあ悪いが、この相手もう結構な年で落ち目だろ?今の坊主の勢いを止められるとは思えんがな。」
タオルを首に掛け、いつもの腕組みをした体勢のまま少し気の抜けた顔で語っている。
「元来の性格だから仕方ないかな。それに、確かに衰えているのは確かなんだろうけど、経験の差ってそこまで楽観視出来るものじゃないから。」
「そんなもんか、まぁ油断したら何があるか分からねえもんな。ボクシングは。」
牛山さんはそう言った後、タオルで背中をぴしぴし叩きながら帰っていった。
その背中に一言お疲れ様でしたと声を掛けた後、もう一度モニターに視線を戻す。
俺が今見ているのは、三年ほど前に行われた日本タイトルマッチ。
加藤選手は二十七戦のキャリアの中で、三度タイトルマッチに臨み、その全てを逃している。
逆に考えると、三度這い上がってきたとも言え、とても油断出来る相手ではない。
そのファイトスタイルは良く言えば粘り強い、悪く言えば泥臭い。
軽快なフットワークというのはあまり見せず、独特な動きで間合いを制し流れを引き寄せる。
特筆すべきは、その長いキャリアの中でたった一度しかKO負けがないという事実だろう。
その一つでさえ瞼をカットした事によるTKO負けだ。
ダウン経験も二度しかなく、かなりのタフネスであろう事が予想される。
牛山さんも言っていた通り、ここ最近の試合は精彩を欠き二連敗しているが、そのどちらもが僅差の判定での敗北であり、そこまで衰えているとも思えない。
「良いイメージは掴めそうかい?」
俺がモニターの前で唸っていると、どうやら結構時間が経っていたらしく、みんなもう帰ってしまっていた。
「あ、すみません会長。俺もすぐ行きますね。」
外はもう真っ暗になっており、どうやら会長は俺が帰るのを待ってくれていたようだ。
「それは別にいいよ。相手の事だけど、統一郎君と相性の良い相手を選んだつもりだから、そこまで心配する必要はないと思うよ。自分の持ち味をしっかりと理解して、それを出せればね。」
選んだと言うが、うちのジムにそれほどの力も資金もあるとは思えない。
ならば向こうから声を掛けてきた事が予想されるが、流石にそれはないかと思考の隅に追いやった。
「そう…ですね。分かりました、肝に銘じておきます。じゃあ俺も帰ります。有難う御座いました!」
会長に挨拶をした後、星空を眺めながら夜のロードワークをこなし今日の仕上げとした。
「いらっしゃいませ~。…ふぅ。」
この時期の労働は、正直かなり堪える。
だが、試合が近くなると店側が気を使い色々と融通してもらっている手前、休む訳にもいかないだろう。
「あ、遠宮くん。こちらのお客さんがチケット欲しいみたいなんだけど、まだ余ってるかな?」
そう声を掛けてきたのは、店長の奥さんでもある副店長だ。
有難い事に店側はこうしてチケットを捌くのにも協力的で、ボスターも貼らせてもらえている。
「はい、自由席だけならまだ少し余ってます。それでも良ければですが…。」
副店長に連れられてきた女性のお客さんに、少し申し訳なく思いながらそう告げると、
「それで構いません。有難うごさいます!応援してますっ、頑張ってくださいっ。」
満面の笑みを見せてくれる女性と握手を交わした後、帰る背中に感謝を込めて頭を下げる。
人気商売なのだから、こういう地道な活動がいずれ実を結ぶ筈だ。
「試合まであと一週間くらいだね。正直こうして痩せていくのを近くで見てると、こっちが辛くなるよ。」
副店長はそう言うが、俺も逆の立場ならそう思うのだろうか。
「ははっ、まあ好きでやってる事ですからね。こうして協力もしてもらえてますし。」
「それはそれで店にも旨みがあってやってる事だし、うちの息子も遠宮君のファンだから。」
副店長はとても気遣ってくれる人で、いつも俺を気に掛けてくれる。
因みに、お子さんは今八歳だと言っていた筈だ。
それを鑑み、みっともない姿は見せられないなと思いつつ、ポスターに目を向ける。
九月十四日、泉岡県営体育館、十五時開始。
第一試合スーパーバンタム級四回戦
第二試合バンタム級四回戦
第三試合フライ級四回戦
ビッグマグナム
第四試合ライト級六回戦
マーク
第五試合ウエルター級六回戦
第六試合ライト級六回戦
第七試合50㎏契約八回戦 セミファイナル
第八試合スーパーフェザー級十回戦 メインイベント
日本スーパーフェザー級九位
ナックルフェスティバル2と銘打たれており、ランキング戦でも八回戦が多い現在においてメインの試合が十ラウンド制になったのは先方からの要望らしく、長丁場であれば有利になると踏んでいるのかもしれない。
経験の無いラウンドに入れば、確かにどうなるか分からない所はある。
因みにいきなり九位に上がっているのは、十位の選手が上のランカーに負け同時期に九位の選手が引退したから。
こうして顔ぶれを見てみると、今回は鈴木ボクシングジム所属の選手がいない。
その理由は、向こうは向こうで同時期に参加する興行があるらしく、こちらは見合わせたとの事。
まあ、彼ならばどこでも変わらず活躍できるだろう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます