第14話 二年生になりました
暦は四月、気分新たに八分咲きの桜を眺めながら校舎へと歩む。
新たなクラスは二年二組。
自分の学校は一学年六クラスあり、二学年からは就職組と進学組に分けられる。
当然学校側がそう呼んでいる訳では無く、一学年時の進路希望によってクラスが分けられている為、俺達生徒が便宜上そう呼んでいるだけだ。
一、二組が就職組、三,四,五,六組が進学組だ。
就職組とは言うが、短大若しくは専門学校に行く者の方が実は多い。
勿論取り敢えずのクラス編成であり進路を変える事も自由だが、そのままこの路線を行く者の方が大勢だ。
教室に入り室内を見渡すと、見知った顔は殆どいない。
だが、そもそもそんなに関わりを持っていた者自体少ない為、あまり関係無い事に気付いてしまった。
「やあ、また同じクラスだね。よろしく。」
そう声を掛けてきたのは、前のクラスでもお世話になった前沢君。
優等生タイプの彼が就職組というのには少々驚いたが、彼は率先してまとめ役を買って出てくれるので、一緒のクラスだととても頼もしい。
何よりも最初から話せる人物がいるというのが大きいだろう。
去年は芹沢さんが気を使ってくれなければ、ずっと一人だった様な気もする。
「こちらこそよろしくお願いするよ。」
俺は開幕から孤立せずに済んだ状況に感謝しながら挨拶を返した。
自分の席は窓際、隣は女生徒らしく少し緊張してしまう。
その後やってきた担任教師の提案で、新しいクラスメイト同士自己紹介をしようという事になった。
本当に余計な事をしてくれるものだ。
一人一人席を立ち、自分の名前や趣味特技などを語り、人によってはそれを面白可笑しく話し、笑いを取って早くも人気者になっている。
一方俺はというと、
「と、遠宮統一郎です。よ、よろしくお願いします。」
どもっている上にこれだけである。
慣れ親しんだ者には普通に話せるのだが、どうしても初対面だと上手くいかない。
勿論自分以外にもそういう者はいたが、その場合周りから愉快な茶々が入り良い空気を作ってくれる、しかし何故か自分にはそれすらも無い為、微妙な空気が漂ってしまった。
何故こうなるのかと内心頭を抱えながら、クラスメイトの自己紹介に耳を澄ます。
「
隣の席から聞こえた声に、思わず視線を向けてしまった。
綺麗な黒髪は肩先にかかり、顔立ちは整っていると言っていいだろう。
だが、一番俺の目を引いたのは彼女の持つ雰囲気だった。
凛とした立ち居振る舞い。
威風堂々と言うべきか。
かと言って別に偉そうという訳でもない。
よく通るその声はとても落ち着きがあり、聞いていて穏やかな気持ちが沸き上がる。
何となくどこかで聞いた様な気もしたが、思い出せなかった。
気付けば休憩時間に入っているのにも関わらず、彼女をずっと眺めてしまっていたらしい。
「私の顔に何か付いてる?遠宮君。」
突然名前を呼ばれ、正気に戻ると共に恥ずかしさが込み上げた。
「ご、ごめん。え、えっと…」
「明日未です、明日未咲。これからよろしくお願いね、遠宮君。」
「う、うん。よろしく。でも、よく俺の名前覚えてたね。」
本当にそう思った。
何せ自己紹介があれである。
恐らくこのクラスの中で俺の名前を憶えている者は、顔見知りであった前沢君くらいだろう。
「隣の席の人の名前を間違えるなんて、流石に失礼すぎるわ。それに貴方の自己紹介とても印象的だったから。」
あの自己紹介にそんな要因がある訳も無く、俺は不思議に思い訝しんでいると、そんな感情が彼女にも伝わったのだろう。
「今のは嘘。本当は、遠宮君の事知ってたんだよね。」
ジッと俺の目を見つめながら放ったその言葉に、胸がドクンと高鳴った。
耳まで赤くなる俺を尻目に、明日未さんは話し続ける。
「毎日走ってるよね。あの川沿い。凄く速いし、只の趣味って感じじゃないから気になっちゃって。」
彼女の様な美人に気に掛けて貰えるのは有難いが、見られていた事実には多少の恥ずかしさも感じてしまう。
「頑張るのは良いけど、台風の日まで走るのは危険だから止めた方が良いと思うよ?」
彼女は、少し笑みを浮かべながら揶揄い口調で語る。
俺は耳まで真っ赤に染めて羞恥に耐えた。
まさか、あの馬鹿な行動を見られていたとは思わなかったからだ。
去年台風が吹き荒れている中、小学生の様なテンションで川沿いを走り、当然後で叔父にもかなり叱られたあの出来事を。
今考えれば、何故あんな馬鹿な事をしたのか分からない。
恥ずかしさから顔を赤くして俯く俺を尻目に、彼女は話し続けている。
「でも、努力する事自体はとても素敵だと思うわ。どこに向かっているのかは知らないけどね。」
素敵という言葉にまた過剰に反応してしまう。
多分、分かった上でやっているのではないだろうか。
それでも自分のしていることを認められるのは嬉しかった。
叔父は勿論、会長や牛山さんも俺にとってはもう身内みたいな感覚だ。
だからこそ、こうして身内以外の人間に認められる経験は貴重なのだ。
たとえそれが一面だけの話だったとしても。
「変な事を聞いてもいい?」
彼女の唐突な問いに、少しドキッとした。
何の為に走っているのか、そう聞かれると思ったからだ。
理由を話したら、叶うはずの無い事の為に馬鹿らしい、そんな風に言われると思っていたので、今まで学校で誰かに語った事は一度も無い。
視線を彼女へ向けると、その綺麗な瞳で真っ直ぐ俺を見つめている。
俺は目が合うとまた鼓動が跳ね上がり、俯いてしまった。
「その努力の先に待つのが、後悔だったらって思わない?」
何とも意外な質問が飛んできたものだ。
いや、他の人間なら当然の質問と思ったかもしれないが、彼女の第一印象からは、とてもそんな事を考えるタイプには見えなかった。
人を先入観で決めつけていた自分を恥じ、問い掛けに頭を巡らせる。
そういえば自分に自信を持つ事は出来なくても、今やってる事をいずれ後悔すると感じた事はない。
俺は今自分の中にある答えを、ありのまま伝える事にした。
「どんな終わり方になっても後悔だけはしない。それだけは断言出来るよ。」
格好良い事を言っているが、下を向いたままなのでどこか締まらない。
恐る恐る彼女の方へ視線を向けると、こちらを覗き込むようにしている。
「応援してる。頑張って。」
そして何故か頭を撫でながら語り掛けてくれた。
こういう態度を向けられると、どうしても男は勘違いをしてしまうものだ。
結局、この日午前中で学校が終わり下校するまで、隣に座る彼女の事が気になって仕方なかった。
その日の夜、珍しく早めの帰宅をした叔父と共に夕食を取っていると、
「どうだ?新しいクラスは?」
唐突にそんな話題を振ってきた。
会話の糸口を探る様な質問に、俺も無難な答えを返す。
「ん?別に、普通だよ。特に問題無いかな。」
「そうか。お前友達いんのか?」
このやり取りに懐かしいデジャヴを感じながら、叔父には分からないであろうが、父と同じ様に返してみた。
「友達ならちゃんといるよ。でも、練習の方が大事だから。」
少し笑いながら答える俺に、叔父は不思議そうな顔をしながら話を続けた。
「じゃあよ、好きな女出来たか?」
まさにニヤニヤといった表現がふさわしい顔をして聞いてくる。
こういう話題は本当に勘弁してほしい。
だが、聞かれると意識せざるを得なくなる。
ふと、隣の席の彼女『明日未咲』の顔が思い浮かんだ。
「そ、そういうのはまだいないよ。だ、大体そんな暇ないし。」
明らかに動揺している俺を見て、叔父は更に愉快そうな顔をする。
「そうかそうか、まあ頑張れ。」
良い様に揶揄われるのを良しとせず、俺は何かないかと頭を巡らせた。
「叔父さんこそ、結婚しないの?」
「俺の事は良いんだよ。ほっとけ。」
言った後に気付いたが、面倒を見てもらってる身分で言って良い事ではないだろう。
特に金銭面でとてつもなく負担をかけてしまった為、下手をすれば俺のせいで結婚出来ない可能性だってあるのだから。
俺がその事に気付いた時、叔父もその雰囲気を察した様で別の話題に切り替える事にしたらしい。
「そういや、ジムはどうだ?練習生は来たか?」
「ううん、牛山さん以外来てないよ。」
「嘘だろ?あの『成瀬実』だぞ。ああ、でももう20年以上経ってるから今の子らは知らねえか。」
『あの』とつけるあたり叔父も大概だが、立地の問題も関係していると思う。
住宅街からはそれなりに離れている上、裏手はもう稼働していない廃工場だし、両隣は田んぼだ。
喧伝でもしない限り、あの場所にジムがある事実さえ知られる事はないだろう。
だが確かに会長がその気になれば直ぐに人を呼べそうな気もする。
そこの所、今度聞いてみる事にしよう。
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