第15話 まだ見えぬ景色

学年が上がっても特に変わらない毎日を過ごす中、五月の初め頃には修学旅行があった。


高校生には無視出来ない大きなイベントだと思うのだが、特にこれといった出来事も無く淡々と終わってしまった。


はしゃいで一緒に騒げる友達がいないというのが一番大きかったのだろう。


かと言って別につまらなかった訳では無い。


神社仏閣を巡ったり、普段見慣れぬ情緒溢れる街並みを歩くだけで心が躍る様だった。


三日目の自由行動では、古都食べ歩きと称して事前に調べた場所を巡ったが、あまり時間が無かった為、駅周辺しか見て回れなかったのが残念だった。


いつか時間に縛られず存分に堪能してみたいものだ。


その中でも特に記憶に残ったのは、豆腐で作られたスイーツとやはりお稲荷さんだろう。


ネットで見てから是非行ってみたいと思っていたので、俺にしては珍しく班の人に控えめながら主張してみたのだ。


結果的に皆満足出来た様で、勧めた張本人としてはホッと胸を撫で下ろした。


修学旅行と言えば夜の問題行動が定番になっているが、当然俺にそんな事をする勇気はない。


勿論男子生徒グループの中には、女子部屋に忍び込んだ者達もいたようで、後になればこういうのが良い思い出になり、同窓会で語られたりするのだろう。


輪の中に入ってみたい気持ちもあったが、親しくない者が混じると空気を壊しそうだったので、俺はいつも通りストレッチして布団に入った。


横になりながら彼らの話に耳を傾けているだけでも結構楽しいものだ。


そんな年寄り染みた事を考えながら、俺の修学旅行は終わった。


ちなみに俺が叔父達三人に買ってきたお土産は、三十センチ程の大きさがある仏像。


自分的にはかなり良いと思ったのだが、三人とも反応は微妙だった。








五月も終わりに差し掛かりいつも通りジムに足を踏み入れると、リング上を華麗な足捌きで、舞う様に動く会長が目に映り、淀みなく動く一挙手一投足に見惚れてしまいそうになった。


この事からも分かる通り、会長は自分の体作りにも余念がない。


選手を指導するなら、自分も同じ土俵に立たなければならないと依然言っていたが、その言葉を体現する様に、その姿はまさに『ボクサー』だ。


「ん?来たのかい。統一郎君。」


右ストレートを放った所でこちらに気付き、顔を向けてきた。


「はい。今から準備します。」


俺は急いで準備を始めるのだが、バンテージを巻きながら先日の叔父との会話を思い出していた。


『練習生の募集に積極的にならないのは何故なのか』その疑問を今聞いてみる事にした。


「あの会長。ちょっと聞きたい事あるんですけど、いいですか?」


「ん?なんだい改まって。」


いざ聞こうとした時、勢い良く引き戸が開けられ元気な声が響く。


「お~っす、今日もやってんな!」


がっはっは、と豪快な笑い声を上げ入ってきたのは牛山さんだ。


ジムの仲間も集り丁度良いと感じ、質問を続けた。


「どうも牛山さん。今会長にちょっと聞こうかと思ってた事があって、牛山さんも意見下さいよ。」


「お?何だ、また何か面白え事あんのか。」


面白い事ではないが、取り敢えず昨日の叔父との会話の件を二人に説明した。


大まかには何故自分のジムの宣伝をしないのか、練習生の勧誘等はしないのか、この二つの事に重点を置いて聞いてみた。


「うーん、前も言ったけど僕は収入に困ってないし、宣伝なんかしなくてもいずれ自然と集まる事になるからね。」


その答えはとても曖昧なものだった。


良く理解出来ていない俺に牛山さんが語る。


「分かんねえか?坊主。つまりだな、お前が近い将来有名になるから宣伝しなくても人は来るって思ってんだよ。うちの会長はな。その期待に応えてやんなきゃ漢じゃねえぞ。がっはっは。」


牛山さんは、まるで鼓舞する様に俺の背中をバシバシ叩く。


一方俺は、そういう意味だったのかと納得した様な出来ない様な、そんなどこか不安定な気持ちになった。


勿論俺だって期待には応えたい。


だが、まだスタート地点にすら立っていない現状でかい事は言えない。


会長が信じてくれるのなら、猶更やるべき事をやるだけだろう。


いよいよ迫ってきたスタートラインに向けて、最近は様々な筋トレのメニューも追加された。


重さ五㎏ほどの球を横になった俺のボディ目掛けて、上から反動をつけて投げつけるというのもその一つだ。


普通はメディシンボールと呼ばれる器具を使うのだが、うちでは会長お手製のものを使う。


非常に柔軟性に富んだ作りをしており、中身が謎だ。


腹に叩きつけた時の感触は固く、パンチをもらった感覚によく似ていて内部にズシッと衝撃が響く。


それをいやらしい事に只投げるのではなく、みぞおちを狙って投げてくるのだ。


牛山さんが自分にもやってみろと言うのでやってみたが、これは意外に投げる方も体力を使う。


苦も無くやっている会長は相当な筋力なのだろう。


それ以外にも、ロシアンツイストと言われるメニューで各種腹筋と大腿直筋を鍛え、先のボールを使ったプッシュアップ(腕立ての様なもの)で、胸筋、三角筋、上腕を鍛える。


マシンが無い為、それを使わない範囲で出来る事はやっていく方針だ。


一通りのメニューが終わると、牛山さんが一足先に帰宅し俺が掃除をしている時、会長からある問い掛けをされた。


「統一郎君、君はどこまで行きたい?」


そう問い掛けられたのだ。


行けるかではなく行きたいか。


質問の意味は直ぐに理解した。


自信があるかどうかなど関係ない、俺の志を聞いているのだと。


「世界チャンピオンになりたいです。」


俺は躊躇うことなくそう答えた。


その答えに対して、会長はいつもの優和な笑みを浮かべながら、


「そうか、良かったよ。僕と同じだね。じゃあ僕も出来る事はやらないとね。この先、嫌だと思う事も我慢してやってもらう事になるけど、それは全て道を作る為に必要な事だ。信じてほしい。」


「はい。俺はやるべき事をやるだけです。」


躊躇うことなく頷いた。


実績も何も無いこの田舎のジムから世界など夢のまた夢、恐らく普通のやり方では無理なのだろう。


「そういえば、統一郎君今の体重はいくつだい?」


「さっき量ったら、六十五,五㎏でした。」


「なるほど、筋トレを本格的に始めたのも最近だし、まだまだ増える可能性が高いと思う。統一郎君の場合普段から節制してそれだから、そこまで落とす余地はないかもね。」


会長は俺の体を触りながら、うんうんと唸っている。


「最近は水抜きという方法が主流になりつつあるけど、僕はあまりお勧めしたくないかな。」


水抜きとは、意図的な脱水症状を起こして、計量の直前一気に体重を落とすやり方だ。


その為、落としきれなかったりと結構トラブルが多いイメージもある。


それにはっきりとは言えないが、内臓に負担が掛かる為危険だという話もあるらしい。


大きなジムなら専門の人が付くのだろうが、うちにはいないので遠慮したい所だ。


俺も体重管理の為普段から食事にはそれなりに気を配っており、お菓子等を食べたのはもういつか思い出せない程昔になる。


「階級はどの辺りになりますかね?」


ボクシングにおいて階級選びはとても重要だ。


なるべくパフォーマンスを落とさず、絞れるぎりぎりを見極める。


まあ、世界にはそんなの知るかとばかりに、自分よりも10cm以上大きな相手を毎回の様に倒している者もいるが、そんな肉体性能を持つのは本当に極一部で、殆どはギリギリで勝負しているのが現実だろう。


会長は少し思案した後、答えを出した。


「スーパーフェザー(58,96キロ)辺りだろうね。」


その階級は父と同じ階級だ。


その息子なのだから体格も似るのだろうが、何だか少し嬉しくなる。


「嬉しそうだね。大二郎さんと同じ階級だからかな?でも、これからの成長次第では少し変わるかもしれないから覚えておいてね。」


人の口から父の名前を聞いたのは久しぶりだなと思いながら頷いた。


「あの会長、セコンドはどうするんですか?」


これも重要な事だ。


選手は一人では戦えないのだから。


「ああ、取り敢えずは僕と牛山さんだけで付く予定だよ。牛山さんもやる気になっててね、セコンドの仕事の覚えも凄く良くて助かってるよ。」


父の時は三人付いていたが、二人で大丈夫なのだろうか。


少し不安には感じたが、会長がそういうなら大丈夫なのかもしれない。


「有難う御座いました。」


「うん、気を付けてね。」


俺はこれから進みゆく道に思いを馳せながら、仕上げのロードワークへと駆け出していった。

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