一章 新人王編
第1話 情景
「統一郎、よ~く見とけよ俺の世界レベルのパンチをっ!」
試合直前、選手控室に備え付けられた寝台に座り、俺の父はよくそんなことを言っていた。
恐らく本気で言っていたわけではない。
半分は冗談、もう半分は冷めやらぬ夢といった所だろうか。
【
それが俺の名だ。
11月30日生まれ。
ボクシングにおいて強者の証である統一王者と長男の一郎をかけて統一郎。
ボクシング好きの父らしい名前だと思う。
父【
本州北部、日本海側の町に住んでいたのだが、気のせいかこの辺りは天気の悪い日が多い。
父は同県のジムに所属しており、試合の度に色々な所に赴くのだが、それがちょっとした旅行みたいで俺のささやかな楽しみだった。
二十三戦十一勝九敗三引き分け、それが父の生涯戦績だ。
パッとしないと思うかもしれない。
だが、この戦績だけでは分からない魅力があったと思う。
その証拠に、最初は父に興味がない観客も、いつの間にか引き込まれ声援を送っていることが多かった。
一度だけ日本ランキングにも名を連ねたことがある。
もしかしたら、ベルトを巻く所を見れるのではないかと思い期待していたが、次の試合で敗れ、夢を見る暇もないほど呆気なく零れ落ちた。
しかし、その時の相手は世界挑戦もしたことがある名選手で、試合が決まった時には結果を考えるより先に二人で喜んだものだ。
俺も食い入る様にリングを見上げ、声が枯れるまで声援を送った
父は世界タイトルどころか日本タイトルさえも程遠い選手だったが、それでも俺にとっては自慢の父親だったんだ。
良い父親でもあったと思う。
そんな父が離婚したのは、俺が四歳の時。
離婚原因などはまだ幼かった俺はよく覚えていないが、服装が派手であまり家にいない母親だったことは覚えている。
それでも俺は母親のことが好きだったようだ。
今考えると不思議だが、やはり子供というのは無条件で母親が好きなのだろう。
いざ離れ離れになる時も俺はわんわん泣いていたが、父はあれやこれやと俺を宥めていたようだった。
そして両親の離婚後、身内といえるのは叔父と祖母だけになった。
叔父【
そんな叔父の病院へは一年に一回訪れるのが恒例で、その時は祖母とも会えたことを覚えている。
プロボクサーライセンスは、一年に一度統括団体の提携病院で診断を受け、更新しなければならない決まりがある。
その為、顔見世の意味合いもかねて叔父の勤める病院に毎年来ていたのだ。
「お前まだやる気なの?大した金にもなんねえのによくやるな。」
結果も出ないのにリングに上がり続ける父に、叔父は少し呆れていたようだった。
「いやいや兄貴、金じゃねえんだって!浪漫だよ!浪漫!」
父はそんな嫌味を言われても、気にした素振りもなく目を輝かせながら語っていた。
「ふ~ん、まあお前も良い年なんだし死なない程度にやれよ。」
この頃は父をヒーローのように思っていたらしい俺は、こういう物言いをする叔父をあまり快く思えなかった。
一方祖母は祖父が他界した後、実家を売り払って有料老人ホームで悠々自適の生活を送っていた。
正月になると俺たちが住むマンションに顔を出し、観光をして帰って行くのが恒例行事だ。
祖母ちゃんと言えば、一緒に買い物に行くと決まって恥ずかしい思いをした。
例えば、あれはたしか俺が小二の頃だったはずだ。
ショッピングモールで買い物をしていた時、祖母ちゃんだけどこかに一人で行ってしまい、父と2人で探すはめに。
すると、前方から手を振って大声をあげながら走ってくる姿が目に入る。
「大二郎~~っ、ポイントカード貸して~~!」
と、周りの目など一切気にすることのない様子。
周りからも笑い声が聞こえてきて、父は真っ赤になっていた。
「母ちゃん!そんな大声出すなよ!恥ずかしいだろっ!」
俺からすれば父も十分に声が大きく恥ずかしかった。
そんな祖母ちゃんが、明るくて豪快で俺は大好きだった。
父はこの人に似たんだと思う。
そんな父が引退したのは34歳の時。
俺は9歳になっていた。
いつも二人で囲む食卓だったが、その日は少し重苦しい空気が包んでいた。
父から引退の意思を告げられたのだ。
俺は寂しい気持ちが沸き上がったが、なるべくそれを悟られぬように強がって父を激励した。
「悪いな。流石にそろそろ潮時かと思ってな。カッコいいとこ見せたかったんだけどな~。」
と、父は悔しそうに苦笑いを浮かべていた。
最後の試合でそれを見せてほしい。
そう語る俺に対して、任せろと言わんばかりに拳を握り突き出して見せた。
試合当日、場所は故郷の県営体育館。
故郷といっても厳密には生まれた町というわけではなく、父の実家がある県という意味だ。
どうやら所属ジムの会長が、口を利いて興行に組み込んでくれたようだった。
メインは、地元の元世界チャンピオンの引退試合。
父は前座の前座だ。
当たり前だが、父に注目している人間など俺くらいのもの。
それでも父は自分よりも格上の選手を相手に、三度もダウンを奪われながらも逆転KОで勝利した。
会場は大盛り上がりで、最初は興味なさそうにしていた観客まで割れんばかりの大歓声を送っていた。
あの光景は今でも目に焼き付いている。
鳥肌が立ち、呼吸を忘れるほど興奮し憧れた。
いつかあの場所に必ず立つ。
そして父が辿り着くことの出来なかった場所まで、俺が辿り着いて見せると心に誓っていた。
感情冷めやらぬまま、その後すぐボクシングに打ち込む事となる。
基本自体は物心ついた時から教わっていたが、やはり本格的なトレーナーに教わらなければ始まらない。
そう思い戸を叩いたのは【成瀬ボクシングジム】という父も在籍していた場所だ。
所謂地方の弱小ジムといって差し支えないだろう。
昔は世界ランカーも在籍していたと父が言っていたが、俺が入門した時選手は数えるほどしか在籍しておらず、完全に寂れてしまっていた。
このジムには『
しかしトレーナーが本職ではないらしく、仕事の合間を縫って選手の面倒を見に来てくれていたようだ。
俺の指導は基本的には会長が見てくれたが、都合がつかない時には実さんが代わりに見てくれる事が多かった。
長男の高志さんには、専属で見ている選手がいるため接点があまりなかったと記憶している。
そんな俺を指導してくれた二人は、どちらも個性的だった。
例えれば、会長は感覚で物を語り、実さんは理論で物を語る感じと言えば分かりやすいか。
それでも教えられたことを理解すると、二人共同じことを言っていたことに気付くということが多々あり。やはり親子なんだなと、その時は感心したものだ。
父は引退してからも時折ジムには顔を出し、俺と一緒に汗を流すことがあった。
すると会長から、息子のほうが才能があると揶揄われたりするのだ。
そんな軽口を叩き合う二人は本当に楽しそうで、俺はそういう関係性を心底羨ましく思い眺めていた。
「いやいや俺だって捨てたもんじゃなかったでしょっ!?」
父は、自分より俺のほうが才能あると言われる度異論を呈していたが、何故かその顔はとても嬉しそうだった。
父は引退してから一年後、会社員から長距離のトラック運転手に転職した。
「なあ統一郎、父ちゃん自分のジムを起ち上げたいんだよ。」
俺は突然そんなことを言い出した父の顔を呆けたように眺めてしまった。
「確かに俺は大した選手じゃなかったけどよ、名コーチにはなれるかもしれねえだろ?勿論今すぐの話じゃなくてな、まだ先の話だ。でよ、今の仕事より実入りのいい仕事に就こうかと思うんだが、ダメか?」
その仕事がトラックの運転手だということらしい。
確かに今まで勤めてきた会社は、昇給もあまりなくボーナスも出ない事が少なからずあったようだ。
俺にしても、父がやりたいというのであれば反対する理由はない。
あまり無理はしないようにとだけ言うに留め、まあ頑張ってと賛成の意思を示した。
「勿論お前を俺のジムに移れとか言う気はないからな、安心しろ。お前と俺のジムの選手がタイトルマッチとか出来たら最高だな!はっはっは。」
俺は少しため息をつきながら、夢の様なことを語る父を眺めていた。
だがまあ、そんな子供っぽい所が好きだった事実は否めないのだが。
その後、父は元気一杯全国各地を走り回っていた。
それからは数日に一度しか顔を合わせない日々が続いたが、練習に夢中だった事もあり、あまり寂しいとは感じなかった。
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