第二十五話 年明け
年も開けようという頃、相沢君の地元で東洋タイトルの初防衛線が行われ、前座として明君もリングに上がった。
相沢君は二ラウンドTKO勝利、明君は大差の判定勝ちを収めた。
そして年も明け、例年ならおみくじ売り場、もとい明日未さんの顔を拝みに行く所なのだが、今はそういう気分になれない。
今会ったとしても弱音を吐いてしまいそうであり、そんな姿を見せたくないという意地があるからだ。
今年は田中と阿部君も帰省しないらしく、メールや電話で近況報告をし合ったり試合への激励を受けた。
複雑な気持ちを抱えたまま元旦から練習に明け暮れ家に帰り着くと、一通のメール。
『明けましておめでとうございます。やっぱり忙しい?試合頑張ってね。応援してます!』
何気ない文面からでも、精一杯の気遣いを感じる。
「亜香里、初詣行かない?」
紹介も兼ね連れて行こうと思ったのだが、断られてしまった。
今会わなければ、また来年まで会えなくなる。
そう思うと胸が苦しくなり、居た堪れなくなった俺はコートを羽織り夜の神社へ。
歩きながら、先ほどのメールに返信を打つ。
『ちょっと遅い時間だけど今から初詣行こうと思う。会える?』
了承の旨、返事はすぐに返ってきた。
さっきロードワークで通ったばかりの雪道をなぞり石段を上がると、彼女が待っている。
足首まですっぽりと隠れるロングスカート、ゆるっとしたセーターにストール、そしてコートを羽織る出で立ち。
全体的に黒を基調としており、以前も同じ色合いだったが自分に似合う色を理解しているのだろう。
そんな彼女は境内の入口、鳥居に背を預け、白い息を手に吐き掛けながら寒そうにしていた。
もしかしたら、俺が来るのをずっと待っていてくれたのだろうか。
そう思うと、どうしようもなく胸が締め付けられ、抱きしめたくなる。
「…ぁ……久しぶり。遠宮君。」
彼女の笑顔が眩しい。
「うん。明日未さんは…相変わらず美人だね。」
そんな事を言うつもりは無かったのに、気付いたら口を突いて出てしまっていた。
「…へっ!?…ど……どうしたの急にっ!?」
彼女の表情を覗き込む。
影を帯びてはいないか、憂いを帯びてはいないか、しかしそんな事はなく少しはにかんだ等身大の笑顔だ。
それから少し言葉を交わすが、日が落ち気温は氷点下に達しつつあるこんな寒空の下、立ち話も無いだろう。
「そうだ。俺、今借家に住んでるんだ。築三十年以上だけど住み心地は悪くないよ?」
俺が切り出した言葉にどんな意味が込められているのか等、察しの良い彼女は気付いている筈だ。
「うん…見てみたい…かな。」
言ってから気付いたが、ここまで車ではなく徒歩で来た。
「少し歩くけど…大丈夫?ごめんね?」
「うん。お散歩も楽しいよね。」
本心か気を使っての言葉か分からないが、少なくとも俺は彼女と歩く冬の道は楽しかった。
一人だともっと近く感じていたが、結局三十分以上も歩かせてしまった。
「ここだよ。ゴメンね、冷えたでしょ?お風呂沸かそっか?」
「…え?……うん。じゃあ、シャワーだけ借りようかな。」
亜香里はどうやら部屋に引きこもっているようで、引っ張り出して紹介すべきか悩み所だが、一応妹と一緒に住んでいる事は伝えておく。
そして取り敢えず俺の部屋に通し、荷物を置く事にした。
「ふふっ…何だか遠宮君らしい部屋だね。」
敷布団が隅に寄せられ、折り畳み式の卓にパソコンが一台、後は殆ど空っぽの棚に電気ストーブ、離してボクシング雑誌が積み上がっているだけ。
我ながら何とも面白みのない部屋だ。
因みにチャンピオンベルトは会長に預けてある。
彼女は室内を見回すと、棚にあるたった一つの物に目が留まったらしい。
「こんなの大事にしてくれてるんだ…嬉しいな…。」
それは三年前、彼女にもらったマフラー。
汚したくなくて、一度も身に付けていないマフラー。
感慨深げにした後、今度は積まれてあるボクシング雑誌に目が留まる。
その見出しにはこんな文字が躍っていた。
『今、地方ボクシングが熱い!』
表紙を飾るのは相沢君であり、見開きのカラーで載っている。
彼女はその雑誌を手に取るとぱらぱらとめくり、
「この月の号、私も持ってるんだ。」
そう語りながら、最初から分かっていると言わんばかりにそのページを開く。
「じゃんっ!地方の星、遠宮統一郎選手で~す。」
嬉しそうに語るその顔に、俺の心もいつの間にか晴れていった。
そしてシャワーを浴びるという話だったが、空気が段々と男女のそれに変わっていく。
「あ、ストーブ付けるね。」
「リモコンここに……」
何ともベタな展開であるが、互いに伸ばした手が重なりあい、吸い込まれる様に接近していく。
そして吐息を感じる距離になったその時、
「「……うん?」」
二人の声が重なると、視線は壁に向かった。
壁に何かがこすれるような音が響き、一つの事実を悟らせる。
「「…ぷ…あはははははっ!」」
恐らく壁の向こうでは、息をひそめ聞き耳を立てているであろう誰かさんを思い、同時に笑いが零れた。
「ははっ…明日未さんに紹介しなきゃならない人がいるんだよ。」
「ふふふっ…うん。私も気になる。」
そして隣の部屋をノックすると、愛猫を抱え真っ赤な顔をした妹が姿を見せた。
「妹の亜香里。こちらは
「わぁ、どことなく遠宮君に似てるかも。背もすらっとしてて凄い美人さんだね。始めまして亜香里ちゃん、明日未咲と申します。」
晴れやかな笑みを向けられた妹は、恥ずかしそうにしながらも意外にしっかりと挨拶を返した。
「渡瀬亜香里…です。苗字が違うのは、お父さんが違うからで……スイ、ちょっと静かにして…」
真っ赤な顔で必死に自己紹介をしているのに、スイがミャアミャアと鳴き続け先を紡がせてくれない。
「可愛いねぇ。撫でても大丈夫?」
「え?…どう…でしょう。とう…お兄ちゃんだと嫌がるんですけど。」
お兄ちゃんという響きに多少の感動を覚えながら眺めていると、
「ふふっ…よしよ~し。良い子でちゅね~。」
明日未さんが普通に撫でさせてもらっているのを見て、俺もと手を伸ばすが、
「…フシャ~ッ!」
思いっきり拒絶された。
スイは雌の筈だが、美人にしか撫でるのを許さない自分ルールでもあるのだろうか。
「あ、そういえば、ご飯まだだよね?」
確認を取った後、残り物を温め直し三人で初めての食卓を囲む。
「相変わらず料理上手いね遠宮君。私も自炊してるけど形無しだよ…。」
明日未さんが項垂れ語るがそんな事はない。
男にとっては、誰がどんな気持ちで作ってくれたのかの方が大事であり、味にも大きく関わってくるのだから。
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