第二十一話 今だけの新婚気分

「今日は本当に情熱的だったね~。」


彼女は跨っていた体をぐったりと横たえ、まるで俺の体をマットレスの様に下に敷いたまま覗き込んでくる。


その表情はとても愛くるしい笑顔だ。


見れば見る程その笑顔が、その熱が愛おしくて、俺は何度も頭を撫で回していた。


楽しい時間を過ごせば過ごすほど、その先に迫りくる寂しさも同時に感じてしまう。


「俺は葵さんを愛してるよ。少なくとも、今この時は世界で一番。」


何となく今伝えたいと思った。


「うん…。ありがと、一郎君。」


そう語る彼女の表情には、寂しさ、悲しさ、どちらとも言えない感情が浮かんでいた。


「今日は泊って行ってよ。」


当初は家まで送っていく予定だったが、やはりと言うべきか帰したくなくなってしまった。


「いいの?叔父さんに迷惑掛かっちゃわない?」


少し考えるが、夜にそこまでハッスルしなければ大丈夫だろう。


もしくは静かに事に及ぶか。


「大丈夫。叔父さんにも紹介しておきたいしね。」


もうすぐ離れ離れになる現状、今更そんなことをしてどうなるのかとも思うが、無理な理由を付けてでも今日は帰したくない。


気付けばもう時刻は昼を過ぎており、昼食はどうしようかという話になった。


「良ければ俺が作ろっか?」


「せっかくなんだし二人で作ろうよ。台所に並んでさ。」


その提案を飲み、服を着てから台所へと向かい調理に取り掛かった。


「豚肉があるから、これは私の得意料理が炸裂しそう。一郎君は汁物お願いね。」


エプロンは1枚しかなかったので、己の願望もあり彼女に譲った後、二人で手際よく作業を進めていく。


その際、一応叔父の分も作ったのだが結局帰っては来なかった。


メニューは豚の生姜焼き、豆腐と油揚げの味噌汁。


奇をてらったものよりも、作り慣れた物の方が確実性があっていい。


「いっただきま~す。へへっ、こうしてると何か新婚みたいだね。」


「そうだね。俺は本当にそうなってもいいと思ってるけど。」


もしかしたら残る気になってくれたのかと期待を込めて伝えるが、返ってきたのははにかんだ笑顔だけだった。











その後部屋で二人寛いでいると、夕方頃になってようやく叔父が帰ってきた。


「お帰り、どこ行ってたの?」


その顔は何だかすっきりしているように見え、もしかして異性関係かと邪推してしまった。


「ん?ただいま。…ああ、フィットネスだよ、フィットネス。」


フィットネスといえば、この辺では一つしかない。


会員に叔父がいるというのは聞き覚えがなかったので驚いたが、言われてみれば、叔父も体を動かすのが好きらしいから当然とも思える。


聞けば午前中は人と会う用事があり、昼食を取った後ジムに行き体を動かしていたらしい。


「ところでよぉ、…後ろの可愛らしい女性は?」


どう紹介するべきかを迷ったが、ありのままに伝える事にした。


「俺の大切な人だよ。田辺葵さん、今日泊ってくから。へへっ、可愛いでしょ?」


そんな紹介を受け、彼女は控えめに頭を下げる。


「田辺葵と言います。今日はお邪魔しています。」


叔父は俺が女性を連れてくるとは思っていなかったのか、暫し呆然とした後、我に返り口を開いた。


「お、おお。なるほど。そ、そうか、そうか。ゆっくりしていきなさい。」


紹介も終わった所で、お互い自室へと戻っていった。









「一郎君の叔父さん。良い人そうだったね。」


言われ思い出すが、昔は叔父の事を嫌っていた。


それを伝えると、彼女は心底意外そうな顔で驚いている。


「え?何で?あんなに良い人そうなのに。何かあったの?」


本当に大した事ではないと前置きした後、事の仔細を伝えると、


「あははっ、可愛いな一郎君。お父さん大好きだったんだね。ふふっ。」


生暖かい笑みを向けられた。


「いやまあ、まだ子供だったから…、それにわだかまりもすぐ無くなったからさ。それはそうと、夕飯の食材買いに行かない?」


彼女も快く賛同し、連れだってスーパーへ赴いた。













「何にする?お味噌汁はさっき作ったのがあるからいいとして~お魚かお肉か、どっちがいいかな?」


買い物かごをもって二人で歩いていると、まるで本当の新婚夫婦のようだ。


さっきからチラチラ周りの視線を感じるが、今は気にしないでおこう。


「やっぱりここが一郎君の地元だね。みんな一郎君のこと知ってるもん。」


後で別の女性と歩いていたら、とっかえひっかえしているとか言われるのだろうか。


どちらかというと、引き止めてるのが俺で去っていくのが彼女なのだが。


「ま、まあ、それは良いとして、今日はサバにしよう。塩焼きで。」


付け合わせ用のサラダをかごに入れ、無人レジの方で会計を済ませる。


そして家に帰り着くと、叔父がテレビを観覧中だった。


「よ~し、じゃあ私は一郎君が走りに行ってる間に一通りやっておくよ。」


そう言われ正直悩んだ。


実は今日くらいは休んでいいのではないかと思っており、その理由として彼女を一人ここに残していくと、流石に気まずい思いをさせてしまう恐れがあると感じたからだ。


「大丈夫だよ。私は叔父さんとお話でもしながら過ごしてるから。」


いきなり話を振られた叔父さんは、目をぱちくりさせながらこっちを見ている。


「そっか…分かったよ。叔父さん、手を出したりしたら駄目だよ?」


「お前…まさか本気で言ってるわけじゃないよな…?」


勿論冗談だ。


それに何となく、彼女は叔父と話したい事があるのではないかと感じていた。


俺はいつもより多少短めにストレッチした後、後ろ髪を引かれながらロードワークへと繰り出した。















「ただいま~。」


「お帰りなさいあなた。ふふっ、なんちゃって。」


何故だろうか、目頭が熱くなる。


「ん?…どうしたの?叔父さん。」


俺を出迎えた彼女の後ろでは、何故か泣きそうな顔をしている叔父の姿があった。


いや、赤く充血している所を見るに、泣いた後なのかもしれない。


「…この子を大切にしてあげなさい。」


叔父がそう一言呟くが、そんな事は言われずとも分かっている。


状況が良くは分からないが、取り敢えず今だけの新婚気分を噛み締める事にした。

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