第12話 日陰者の文化祭

毎日を練習に明け暮れ、時間は瞬く間に過ぎ去っていく。


色鮮やかな紅葉の季節も終わりを告げた。


通学路には景色を彩っていたイチョウの葉が散り落ち、絨毯の様に敷き詰められている。


暦はもう十一月に入っていた。


季節行事というものは、当然どこの学校にもある。


練習ばかりの毎日とはいえ、流石に学校のイベントには参加しなければならない。


文化祭の実施日については場所によって様々だろうが、うちの学校は文化の日に合わせて行われるのが通例だ。


俺のクラスの出し物は焼きそばの模擬店で、文化祭ではそれなりに定番の出し物ではないだろうか。


「い、いらっしゃいませ~…」


そして現在俺は、その模擬店のスタッフとして店頭に立っている。


押し付けられたというよりは、手の空いている者に割り振られた結果、こうなった。


その経緯に関しては、少し遡る。






「はい、ではうちのクラスの出し物を決めたいと思います。」


そう告げるのは、いつもクラスのまとめ役になる生徒で【前沢公平まえさわこうへい】という男だ。


眼鏡を掛けた真面目そうな青年で、同年代としては多少大人っぽく見える。


うちの学校には学級委員という役職は基本的に無く、こういう話し合いがクラスであると、押し出される様にしていつも彼が纏め役にされていた。


ついてない奴だなと思っていたが、本人は結構乗り気らしく根っからのリーダー気質なのかもしれない。


こういう生徒がクラスに一人いるだけで非常に助かる。


話し合いは進み、候補は二つの案に絞られた。


どうやらたこ焼きか焼きそばの模擬店をやるらしい。


自分のクラスの事なのに、他人事みたいに言うのはどうかと思うが、基本的に教室での俺は空気に似たりだ


別に孤独に酔っている訳でも、一人が好きな訳でも無い。


友達は欲しいが練習の事もあり、放課後の誘いを毎回断っていたら自然とこうなっていた。


それでも普通に話したりはするから、別に嫌われてはいないはずだ、と思いたい。


まあ、結局居ても居なくても変わらない事には変わりないが。


前沢君が多数決を取り、出し物は焼きそばに決まった。


只問題は、殆どの生徒が部活の出し物にも駆り出されるということだ。


「えっと…この中で帰宅部なのって誰だっけ?」


前沢君が教室内を見回しながら問うと、数人に視線が集まる。


その中の一人は、勿論俺だ。


観念したとばかりに、俺を含めた帰宅部の生徒達が手を挙げる。


「当日は仕事の大部分を任せる事になっちゃうけど、大丈夫かな?」


一応聞いてはいるが、この空気どう考えても断れる雰囲気じゃない。


今まで殆ど会話した事もない数人が困った様に顔を見合わせて、渋々といった感じに首を縦に振った。


ちなみに模擬店の準備に関して、食材以外の物は全てレンタルで揃えられるので、俺達がする事は殆ど無く楽なものだった。






「い、いらっしゃいませ~。」


きこちない笑顔を浮かべ、慣れない接客業に従事する。


とは言っても、俺はもっぱら調理が専門で、お客さんに直接接する訳ではない。


最初は帰宅部連中全員で調理を始めたのだが、皆の手つきがあまりにも危なっかしく、切り方を教えているうちに、自然と調理は俺が担当する事になっていった。


「遠宮君、焼きそば三つお願い。」


売り子の女子に返事をし、何気なくレジの向こうに視線を向けると、ニヤニヤとした顔で俺を眺める大人が三人。


叔父に加え、最早身内と言っても過言ではないであろう二人も、そこにはいた。


「何やってんの…。」


俺は、恥ずかしさと気まずさの入り混じった声で問い掛ける。


「何って、お前の初仕事を皆で見に来たんだよ。」


そう語るのは叔父だ。


そのにやけた顔を見れば、茶化しに来た事は一目瞭然だった。


「僕は恵一郎さんに誘われてね。」


会長は、相変わらずの微笑を浮かべている。


ちなみに、恵一郎とは叔父の名前だ。


「坊主の初仕事となれば、見に来ない訳にはいかねえだろ!」


牛山さんは、相変わらず声がでかい。


この声に気圧されてか、売り子の女子はちょっと顔が引き攣っていた。


多分怖かったんだろう。


そんな気恥ずかしい出来事もあったが、その後は手の空いたクラスメイトが手伝っでくれた事もあり、概ね何の問題も無く終える事が出来た。







「今日はお疲れさん、殆ど任せっきりにしちゃってごめんね。」


模擬店を片づけている最中、申し訳無さそうに声を掛けてきたのは前沢君だ。


彼も自分の部活の出し物に時間を取られて、殆ど顔を出せなかった。


だが、その顔は本当に申し訳無さそうにしているので、とても責める気にはなれない。


「でも、遠宮君がいてくれて本当に助かったよ。料理も上手いし、準備も片付けも率先してやってくれるし。」


成り行きでやる事になったとはいえ、そう言われて悪い気はしなかった。


今まで学校行事などは、いつも一歩引いた場所から眺めるだけだったので、こんな風に中心に近い所で関わった記憶は皆無。


だからだろうか、何となく満ち足りた気分になっている自分がいて、昔、練習ばかりで友達と遊ばない俺を心配していた父の言葉が思い出される。


何度もしつこく、友達も大事だと言っていた。


それはこういう事だったのかもしれないと、今更になって分かった気がする。


「遠宮君はこの後時間ある?教室で軽い打ち上げやるから、行こうよ。」


俺はこの後の練習を考え少し躊躇ったが、またも父の言葉が思い出され、参加する事にした。







用意されたドリンクを口に含みながら、周りの会話に何気なく耳を傾けていると、


「遠宮君、今日は大活躍だったみたいじゃん。」


そう語りながらポンポンと背中を叩くのは芹沢さん。


入学当初より髪が伸びた為か、後ろに纏めポニーテールにしている。


「いや、そんな大した事はしてないから…」


「またまた~、聞いたよ?すっごい料理上手いって、能ある鷹は爪を隠すってやつだね。」


別に隠していた訳ではないのだが…。


彼女は相変わらずのボディタッチを繰り返しながら、俺を煽てる様に話し続ける。


そうして人気者の彼女と話していると、自然に人も集まってくる。


すると、いつの間にか人の輪が出来上がっており、その話の輪に入っていないのが、中心にいる俺だけというとても不思議な状況が完成した。


俺はそれでも構わなかったのだが、その状況を作り出した彼女はそうはいかなかったらしい。


状況を見かねてか、芹沢さんが俺を前に押し出しながら、


「今回の文化祭の立役者は間違いなく遠宮君だよね。」


そう皆に話し始めたのだ。


この状況では放っておいてほしかったのが正直な所だったのだが…。


芹沢さん効果があってか、周りのみんなも俺を今日のMVPだの何だのと煽て始めたが、こういう空気に慣れていない俺は、引き攣った笑みを浮かべるのが精一杯だった。







打ち上げも終わり、帰り支度をしていると、


「遠宮君、帰るの?途中まで一緒に行こうよ。」


またも声を掛けてきたのは芹沢さん。


いつもなら走って帰る為断る所だが、今日の気分もあり彼女に付き合う事にした。


「あっ、でも、俺と帰る方向が違ったらどうしようもないよね。」


当たり前だが、彼女がどこに住んでいるかなど知る由もない。


女子に対して、家はどこかなどと聞ける様な社交性は持ち合わせていないのだから当然だ。


だが、今日はそれを知れるという事でもある。


勿論知った所で何かする訳でもないのだが。


「うん、いつもあっちに走ってくよね?私も家あっちだから。」


そういえば、何回か走って帰る時に挨拶した覚えがあり、それを気に掛けてくれていた事が何だか妙に嬉しかった。


「もしかして今日も走って帰る?私邪魔かな?」


何故か今日は誰かと一緒にいたい気分だったので、素直にそれを伝えると、


「そうなんだ。私と一緒にいたいんだ~?」


揶揄う様に顔を覗き込んでくる。


この顔を見ていると、中学時代の俺が勘違いしたのも無理はないと納得出来る。


むしろこれで勘違いしない男がいるなら会ってみたいものだ。


他愛のない会話が続いた後、彼女は珍しく何かを言い澱む様な素振りを見せていた。


「あの…さ、さっきはごめんね。」


さっきとは何の事だろうかと、俺は首を傾げる。


「さっき打ち上げの時にさ、あんまり目立つの好きじゃなさそうなのに、無理矢理目立たせる様な事しちゃってさ…。」


確かに打ち上げの時には少し困ったが、彼女がいなければあんな風に人の輪の中に入る事等、俺には到底出来なかっただろう。


あの時の気恥ずかしくて、どこか暖かい様な、あの感情は何と例えればいいのだろうか。


そう、何というか『青春』している気がした。


だから、感謝している。


「俺は学校生活に何も求めてなかったから、 芹沢さんがいなければあんな風に関わることは出来なかったよ。本当に感謝してる。有難う。」


俺は今の正直な気持ちを、芹沢さんに向き直りそのまま伝えた。


すると照れているのか、彼女の顔はほんのり赤く染まっており、とても可愛らしかった。


「急に正面から見られるとドキッとするね。遠宮君俯いてばっかだから、いつもそうしてなよ。そうすれば結構モテるかもしれないよ?じゃ、私家こっちだから。」


笑顔でそう語った後、自宅のほうへ駆けていった。


友達を作るべきだというのは分かっているのだが、その切っ掛けが掴めない。


(来年クラス替えしてから頑張ろう。)


そんな達成出来そうにない目標を抱きながら、俺はジムへと足を向けるのだった。






「おっ、来たな坊主。今日の昼間の接客は、及第点といった所だったな。」


入るなり、牛山さんが今日の文化祭の話を持ち出してくる。


というか、店を奥さんに任せっきりで、偉そうな事を言える立場ではないと思うが。


「僕も今日はご馳走様。とても美味しかったよ。」


会長にそう言われると、少し照れくさい気分になる。


「統一郎君はもうすぐ十六歳になるよね。プロテストを受けられる年齢になるけど、受けるのはもう少し先にしよう。どうせ試合に出られるのは十七歳からだしね。」


今月の終わりには十六歳になる為、俺も意識してはいた。


当たり前の事だが、会長も考えてくれているのだと知ると何故か安心する。


その後、いつものメニューをこなしていき、ミット打ちに入る。


「そう、グイグイ前に出てくる相手には、下がりながらジャブ、動きを制する意識で。」


会長のミット打ちは、常に試合を想定して行われていた。


「動いた先を見て打つのではなく、コントロールするイメージを持とう。」


色々なタイプの選手の動きを模倣し、こちらにも状況に応じた立ち回りを求めてくるのだ。


「自分の一番の強みはどんな時でも忘れちゃ駄目。それを無くしたら、一気にペースを持っていかれるからね。」


恐らく、空いた時間で相当研究しているのだろう。


その為、只の作業になる事はなく、毎回何か新しい発見がある。


選手としても一流だが、会長はトレーナーとしても一流だと思う。


プロボクサーとして歩むまで約一年。


どんな設備よりも心強い味方がいる幸運に、深く感謝した。

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