第二十八,五話 サイドビュー6
【赤コーナーサイド】
「エルヴィンっ!…お前が選んだ道なら俺は何も言わねえ…だがなっ!選んだなら臆するなっ!迷うなっ!そして絶対に勝てっ!」
マークは温厚な男だ。
いつもは決してこの様に声を荒げる事はない。
つまり、それほどまでに私が愚かしかったという事、不甲斐なかったという事。
気付けばあの青年の空気に呑まれてしまっていた。
こんなに痛い目にあったのは何時以来だろうか。
彼の左は痛い、とてもとても痛い。
だがその痛みが、今は何故か誇らしい。
会場が揺れていると錯覚するほどの大歓声。
今まで一度も経験した事の無い感覚だ。
いつもは私の試合の後、メインイベントに立つスター選手に向けられていたあの声が、今は私の時間に向けられている。
「お父さんっ!頑張ってっ!!」
「エルヴィンっ!頑張ってっ!!」
視線を向けると、息子の目はキラキラと輝いていた。
妻はその息子を見て嬉しそうに微笑み、心なしか目が潤んでいる。
本当の意味で守るとはどういう事だろうか。
少なくとも私は、息子のキラキラとした瞳を曇らせたくは無いなと思ってしまった。
(ならば俺がやるべき事は…ふふ、決まっている。)
この空気を存分に味わい尽くし、そして勝つ事だ。
【観客席東側】
「何か凄かったな…さっきの遠宮。」
田中君が呆けたように呟く。
統一郎君が倒れた瞬間、私は心臓が止まるかと思った。
会場は悲鳴に近い歓声に包まれており、私たちも声を上げたけど多分届かなかっただろう。
それでも彼は立ち上がり、勇敢に前に進み出てチャンピオンを下がらせた。
本気で頑張る人間の凄みを、まざまざと見せつけられた瞬間。
『本気』以前は私の口からもよく聞こえた言葉だが、その言葉が持つ真の意味での苦しみに行き着けた者はそれほどいないと思う。
だって私とは違い、彼は文字通り命を懸けている。
瞬間瞬間に、その命を眩く輝かせている。
多分私にはそこまでの覚悟が無かった。
本気という言葉が持つ何かに酔っていただけ…ではなかっただろうか。
「…兄さん…凄い。」
陳腐な表現、それも仕方のない事。
だって、そのくらいしか思えない。
どんなに苦しいのかも、どんな駆け引きが行われているのかも私達には分からないのだから。
でも分かる事もある。
「気のせいかもしれないけど…遠宮君、倒れた後の方が押してなかった?」
阿部君の感じた通り私もそう思った。
でもそれはいつものことかもしれない、だって彼はそういう状況でこそ最も力を発揮する人だから。
追い詰められてこそ、その牙は鋭く相手の喉元に突きつけられる。
「何かっ!何か勝てそうな感じですねっ!お兄さんっ!」
先ほどまで表情に暗雲を漂わせていた春奈ちゃんは、少々興奮気味に告げた。
恐らくこの会場の雰囲気に呑まれているのだろう。
そしてそれは私も同じ、何かしてくれそうな雰囲気があるんだ、統一郎君には。
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