第十三話 いつかそんな日も

七月十日、佐藤さんは中央の興行でリングに上がり、盤石の判定勝ち。


これで九戦九勝のパーフェクトレコード。


足踏みする俺とは正反対の結果を出した。


うちのジムの中心は、自惚れる訳では無いが間違いなく俺だろう。


その選手が二戦連続で勝ち星を逃すという流れは、ジム内に良くない雰囲気を生み出す。


俺がどんなに明るく振舞おうと、それだけで消える様なものではないのだ。


だが、それがどうしたと言わんばかりに、佐藤さんがその空気を壊してくれた。


本当に強い人だ。


正直俺が審査をする側の人間ならば、間違いなくランキングに入っていてもおかしくはない選手。


しかし地方選手という事も相まって、そうなる為にはまだまだ勝ち星を上げる必要があるだろう。


会長も下位のランカー選手が所属するジムに話を持ちかけているらしいが、敬遠されているようだ。


それこそがまさに実力の証明。


もしかしたら近い将来、佐藤さんがメインを張る興行に俺が前座で出るという事だって、在りうるかもしれない。


本人は嫌がるだろうが。








試合から数日後、佐藤さんは相も変わらず飄々とした雰囲気を纏ったまま、隣でバンテージを巻いている。


そしてふと気づいたように、語り掛けてきた。


「そういえば、高橋選手凄いですね。」


語るのは、先週界隈をにぎわせたビッグニュース。


「ああ、何かアメリカのプロモーターと契約するとかっていう話ですか?」


「ええ。もしかしたらタイトル返上して、いきなり世界もあるとか何とか。」


プロモーターとは、簡単に言えば試合のセッティングをする者達の事。


日本では大体ジムがその役割を担う場合が多いが、向こうで大きな試合をするなら、必ずと言っていいほど契約が必要になるらしい。


自分の事で手一杯なあまり触れられなかったが、俺の試合と殆ど変わらない時期に高橋選手は初防衛戦を行った。


相手が中々決まらず、決まったと思えば変わるという事を繰り返し、最終的には八位の選手と試合をし一ラウンドKО勝利。


「でも国内タイトルを取ったばかりの選手と契約って…ちょっと聞いた事無いけどな…。」


この報道は何も裏付けが取れていないらしく、眉唾な話だという者も多い。


因みに噂に上がっているのは【フィスト・オブ・ザ・ソウル】という有名プロモーター。


あの総合格闘技から転向してきた、市ヶ谷選手が契約していることでも有名だ。


二人供が同時に準備が済み立ち上がると柔軟、もう慣れたもので体を解しながらも会話は続く。


佐藤さんが次に触れた話題はもう一人の注目選手。


「そういえば、高橋選手のインパクトが強すぎて忘れがちになりますけど、御子柴選手も世界戦やるんですよね?」


「うん。でも、大手のジムらしくない相手選びかなって思いません?」


「えっと、確か相手は…二十六戦全勝のスーパー王者でしたっけ?相当ファイトマネー積んだんでしょうね。」


「ええ。正規王者の方が楽っていうか勝算あると思うし、ちょっと焦り過ぎかなって。」


「ああ~確かに。国内では敵なし、天才ボクサーとか言われる選手って、実は結構出ますもんね。」


「そうなんですよ。でも世界に出ると勝ち負け繰り返したり、勝っても中々長期政権築けないじゃないですか?」


「まあ、当人の反発もあるんじゃないですかね?遠宮さんとの一戦後も、相変わらずアイドルみたいな扱い受けてますし。」


周りは色々と動いているが、どれも俺とは世界の違いを感じる話ばかり。


どうにも身近な印象を受けない。


とにもかくにも、俺は俺のやるべき事をやるだけだ。







七月下旬、俺の次の試合が早くも決まりそうだ。


「相手はね、王拳ジム所属の藤田守ふじたまもる選手。ライト級九位だね。」


俺の今のランキングは国内が六位、東洋はそこまで変わらず七位、世界は当然圏外。


「分かりました。いつですか?」


「ちょっと近いんだけど、八月三十日の興行に空きが出たんだって。あ、八回戦ね。どうする?」


「問題ないです。やります。」


「相手のデータ入れといたから、練習後そこのパソコンで確認してみて。」


意外とすんなり決まったことに驚くが、今はどんどん試合をこなしたいので寧ろ助かるくらいだ。


俺はシャドーから入り、ミット打ち、練習生を相手にガードの練習、流れでサンドバックを叩く。


そしてパンチングボールをこなし、縄跳びしながら佐藤さんと明君のスパーを眺め、筋力トレーニングからの流れで体重計へ。


「…七十,三…ですね。」


良い感じだ。


夏だしライト級であれば、以前よりも格段に楽になるのは実証済み。


食べながら落とすメニュー計算を、今からしておいた方が良いかもしれない。


それに加え、明確な試合ごとの課題を設けるのもいいだろう。


(とにかく芯に響くパンチはもらわない事だな、なるべく後に残らないようにしたい。)


誰もが思い出来ない事だろうが、挑戦するのは自由、勝手に課題とさせてもらった。








八月初旬、久々に記者の松本さんが遥々足を運んでくれた。


「やあ、調子いいみたいだね。」


「はい。減量も多少の余裕が生まれたのでそれなりには。」


「次戦はこっちで興行打たないって聞いたけど、遠宮君的にはどう?少し寂しいとかある?」


「まあ、多少はありますかね。情けない姿見せて以来ですから、でも…」


「…色々と模索している最中、かな?」


方向性は定まっているので、模索というと少し違う気もする。


「まあ、実際見てもらってから判断してくれれば。」


「へぇ、自信ありって顔だね。これは新生遠宮統一郎を見られるかな?所でさ、向こうでの試合だれか撮影してなかったの?」


俺に聞かれても分からないので、取り敢えず会長に尋ねてみる。


「向こうのテレビ局に言えば持ってると思うけど…どうかな。」


「そうですか…残念だな。疑惑の判定確認したかったんだけどなぁ…。」


ブツブツとつぶやきながらジム内を練り歩き、松本さんは隣のプレハブまで足を運ぶ。


それから少し経ち戻ってきたその後ろには、清水さんも引き連れていた。


「おっす。やっぱり活気戻ってきたな。」


相変わらずの快活さで清水さんが語る。


「結局よ、遠宮君が調子取り戻さなきゃ始まんないって事だよな。森平ボクシングジムはよ。」


そう言われると、有難いと同時に肩にかかる責任も重く感じてしまう。


「うちもまた少し練習生増えたからよ。そのうち稽古つけてもらうかもしれねえから、そん時は頼むわ。」


因みに清水さんの教え子第一号である木本さんは、華々しくは無かったものの粘り強く踏ん張り初勝利を飾っている。


実は二戦目が俺の試合の一週間後に予定してあり、同じ興行に明君も出る予定との事。


セコンドは清水さんに会長、加え牛山さんという面子。


基本俺の試合以外は、及川さんは本業であるインストラクターに専念という形だ。


練習も終わると、中年たちはどこへ飲みに行こうかと話し合っている。


(何か良いなぁ。ああいうの。)


いつか俺が現役で無くなったら、一緒に酌み交わすこともあるだろうか、そんな事を思った。

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