第十九話 やるべきことを

「そういえば、チャンピオンカーニバルの出場者発表会どうする?」


一月中旬、会長からその催しについて伝えられた。


「そんなのあるんですね。いつですか?」


聞けば週末ではなく普通に平日の日取り。


流石に試合でもないのに仕事を休んでまで帝都へ赴こうとは思えない。


ちなみに成人式も練習があるという理由を付けて欠席させてもらった。


「申し訳ないんですけど、また辞退という事で…。」


新人王戦の時も似たような催しを辞退した為、少し悪い気はするが仕方がないのも事実。


「うん。分かったよ。でも残念だね。今回は統一郎君達が主役みたいなものなのに。」


正確に言えば俺ではなく王者側だが、それでも注目されている事には間違いない。


今まであまりなかった現状に少し後ろ髪を引かれながらも、やはり辞退と相成った。







一月二十四日、明君の試合前日。


早朝、ジム前で見送りのため、いつもの面々とその親御さんである菊池夫妻も集まっている。


気温は氷点下十度近くにも達し、面々の息は一様に白く吐き出されていた。


菊池夫妻は荷物を運び入れながら、しきりにセコンドに就く三人に対して、よろしくと伝えているのが聞き取れる。


やはり自分の子供がプロボクシングの世界に入ったのは心配なのだろう。


当の本人は手伝おうと思ったらしいが、休んでいろと言われて突っ立っていた。


手持ち無沙汰なのはこちらも同じな為、話しかけてみる。


「調子はどう?色艶自体は良さそうだし、結構いい感じ?」


頬はこけているが、顔色などは試合前日の自分と比べるとかなり良い。


「はい。冬なのでどうかと思いましたけど、結構順調に落ちてくれたみたいで。」


声からも力強さが感じられ、本当に調子が良さそうだ。


俺は隣で聞いていた佐藤さんと顔を見合わせ頷き合う。


そして準備が終わり、出発していく車を眺めながら健闘を祈った。


その姿も見えなくなると、菊池母が微笑みながらこちらに歩み寄ってくる。


「うちの明の為にこんなに朝早く有難う御座いました。お二人にはいつもよくして頂いて、先輩達は凄いっていつも言うんですよ。」


べた褒めされ、俺は勿論、佐藤さんも照れたように頬をポリポリと掻いている。


「そ、そんな事ないですよ。明君の頑張りに自分達も触発されてますから、本人を褒めてあげてください。」


耐えかねたように佐藤さんが口を開く。


それに同意の意思を示し、俺も頷く。


「本当に良い先輩たちに恵まれて…。明は幸運です。」


どうやら結構涙脆い質らしく、目にはうっすら涙が浮かんでいる。


だがその言い草では、まるで葬式みたいだと内心思ってしまった。


「お前、明日試合なのに何をそんな…。しっかりしろよ…。」


そして菊池父に促される様にして、二人で何度も頭を下げながら帰っていった。


「KO負けとかしたら失神しちゃうんじゃないですかね?あの人…。」


その言葉を聞き、少しだけ不安になった。











一月二十五日、今日も今日とて俺は普通に出勤だ。


今回の明君の試合に関しては、期待できる要素は多い気がする。


自分よりも格上の選手との手合わせというのは、己が思っている以上に自信を持たせてくれるものだ。


この間の相沢君とのスパーでは、初日はあれだったが、三日目の様子を見れば、かなり格上のファイターともやり合える手応えを掴んだ様子だった。


勿論押されてはいたしハンデもあるのだが、少なくとも一方的と言えるほどのものではなかったはず。


それに本人からインファイトの手解きも直に受けていた。


日頃から真面目に走り込んでおり、やりすぎなほど自分を追い込む彼だ。


報われてしかるべきだろう。


これが只の願いであることは分かっている。


それでも母親のあの姿を見てしまうと、どうしても願わずにはいられない。










仕事が終わり、ジムへ顔を出すとまだ誰も来ていない様子。


暖房をつけバンテージを巻き終わる頃、佐藤さんもやってきた。


二人だけしかいないジムというのは何だか妙な感じで、気持ちがふわふわしてしまう。


「メニュー消化したら電話してみましょうか?」


俺がそう問い掛けると、


「そうですよね、気になって仕方ないですもんね。」


やはり同じ気持ちだったらしく、同意を得ると練習を開始した。









会長に言われたメニューをこなし、ストレッチを終えた頃スマホを手に取る。


牛山さんは運転中だろうと思い会長に掛けるが、呼び出し音だけが響いて中々出ない。


「中々出ませんね。もしかして何かあったんですかね?」


色々と嫌な想像が掻き立てられる。


例えば、病院に運ばれるとか、ないとは思うが事故とか。


「あ、出た。もしもし、会長ですか。…あ、そうですか。勝ちましたか。」


ただ気付かなかっただけらしく、結果はいつもの口調で淡々と伝えてくれた。


さっきのやり取りでもう分かっていると思ったが、一応佐藤さんにも伝えておく。


「勝ちましたか。しかも二ラウンドKOですか。順調ですね、我がジムは。」


本当に怖いくらい順調だ。


まるでどこかで大きな落とし穴があると言われている様な。


それが自分の事である様な。


「結果は日々の積み重ねの先にあるもの。故にまずは今の自分。だそうですよ。」


何となく俺の不安な気持ちを汲んだのだろうか。


佐藤さんが今語ったことは会長の言葉であり、やるべきことをやった後でなければ、その先を考える意味はないということらしい。


戦術戦略、相手がどうこうの前に、まずは己を高めなければそれ以前の問題だ。


「全くその通り。お互い試合まで残り少ないですし、精々自分を高めることに邁進しましょう。」


頷き合うと、二人だけのジムにはサンドバックを軽快に叩く音が響き渡った。

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