第42話 残秋を胸に
「遠宮の次の試合って十一月四日だったよな?」
田中からそう聞かれ肯定する。
「そうなると文化祭と被っちまうな。せっかく最後なのに出れないのかよ。」
頭から抜け落ちていたがもうすぐ文化祭の時期が来る為、そろそろ出し物も決めなければならない。
しかし出られないものは仕方が無い、せめて準備ではクラスの力になる事としよう。
一番残念なのは過去二回殆ど回れていないので、最後くらいは誰かと回りたかったという事か。
男同士というのも楽しいかもしれないが、やはり意中の女性と回れたなら最高だ。
「参加出来ないのは残念だけど頑張ってね。昨日の番組でも遠宮君の事やってたし、もう二週間に一度くらいは顔を見てる気がするよ。」
阿部君の言っているのは地元のスポーツ選手を紹介するコーナーでの一幕。
頻繁に流れるとは言っても二十分もの時間を割いたのは初回だけで、今は度々来る取材の内容などを小分けにして流している様だ。
とは言え、局が俺に注目する理由の大半は会長あっての事だろう。
しかし、結果を出し続けていけばそれも変わっていくと信じている。
テレビで流されるのがプレッシャーにならないと言えば嘘になるが、お陰で応援してくれる人が増えた事も事実だ。
後援会などその最たるもので、会長の尽力が大きいのは分かるがそれだけで成り立たせるのは難しかっただろう。
数日後、文化祭の出し物を決める為クラス会が開かれた。
今年は皆が部活動を引退している為、俺がいなくても問題無い筈だ。
勿論、就職や進学の準備で忙しい者が殆どだと思うが、何事も根を詰めすぎるのは良くないので良い息抜きになるのではないだろうか。
「案のある人は出していってください。」
纏め役の前沢君がいつも通り仕切っていくと、それなりに案が出そろっていく。
例年通りの粉物に喫茶店等が挙がっていく中、
「はいはいはい、演劇が良いと思います。」
そう声を上げたのは、いつも賑やかな田辺さんと言う女生徒だ。
本校には演劇部もあるはずだが、本職を差し置いてまでやる必要性が分からない。
「主役を遠宮君にすれば、注目されること間違い無しだよ。ね?」
田辺さんは俺の方に視線を送りウインクを投げかけてくる。
すると、それに対して隣の田中から反論の声が飛んだ。
「田辺、昨日のテレビで言ってただろ。文化祭の日が試合なんだよ。当日はこいつ居ねえの。」
田辺さんは、ああそうだったという表情を浮かべがっくりと肩を落としていた。
そこまでガッカリされると何だかとても申し訳無いと思ってしまうが、どうしようもない事なので納得してもらうしかない。
それに演劇の主役など冗談ではない。
学芸会とかでも名前のある役すらやった事が無いというのに。
結果何がクラスの出し物に決定したかと言えば、鉄板焼きだ。
模擬店でクレープなどのデザートを出したいという女子生徒と、お好み焼きや焼きそば更に肉を焼いて出したいという男子生徒。
議論は平行線だったが『じゃあ、どっちもやります!』という前沢君の一言で、鉄板をレンタルして別々にやるという結論になった。
楽しそうにしている皆の姿を見ると当日居られない事が少し寂しく感じられたが、帰ってきたら田中あたりが嬉々としてその様子を話してくれるだろう。
それに対して俺も良い報告が出来るよう気を引き締めねばなるまい。
試合まで二週間を切ると、朝のロードワークでも疲労感を感じる事が多くなった。
間隔が短い事もあり、完全に体力を回復する時間的猶予が無いのが大きい。
いつものコースを走りすれ違う人達の声に返事を返しながら、神社の石段を中段まで駆け上がる。
本来ならこれくらいで息が上がったりはしないのだが、登り切った所で一旦足を止めてしまった。
膝に手を着き、少し息を整えてから再スタートを切る。
その日の夜、何か良い方法はないかと思い叔父に相談してみると、
「まあ、あるにはあるがな。分かった。明日持ってきてやる。」
そして次の日もってきたのは小瓶が入った箱で、受け取ると、では早速飲もうと口元へ。
「ば、馬鹿っ!原液で飲むやつがあるか!食後少し経ってから少量を水かぬるま湯で薄めて飲むんだよ。ちゃんと説明文にも書いてあるだろうが。弱ってる所に原液で飲んだら逆に毒だぞ。」
漢方系の結構濃いものらしく、叔父は慌てて止めていた。
それの効果があったかは分からないが、何となく体の調子が良くなった様な気がする。
病は気からとも言うので、結局心持ちが大事なのかもしれない。
それでも苦しい事には変わりなかったが、計量三日前くらいまでそれを続けた。
そして計量二日前、弱った体に鞭打つように文化祭の準備を手伝う。
クラスメイト達には任せてくれて良いと言われたが、何となく参加した気分を味わいたかったのだ。
その日の夜、いつも通り神社にお参りへと向かった。
昨日のロードワーク中に明日未さんと出会いこのくらいの時間にお参りに行くと伝えていた為、俺を待っている姿が視界に入ると思わず頬が緩む。
「ふふっ、今晩は。あっ無理して返さなくて良いよ。」
この時期になると口を開くのが結構億劫になる。
それを気遣ってか、彼女は頷いたり首を振ったりするだけで会話が成り立つようにしてくれている。
どんなに億劫でも彼女となら話すのが苦痛にならないが、その心遣いを無為にするのも悪いと思い、俺もそれに従った。
「遠宮君の顔もう頻繁にテレビで見る様になったね。ジムにも人が集まりそうだけど、どう?」
俺もそう思っていたのだが、明君が来て以来誰も来ていない。
否定の意で首を振りながら、何故かは分からないと肩を竦めて見せる。
「そっか。でも、遠宮君が結果を出していけばそれも変わるかもしれないね。」
そうかもしれないと思いながら頷く。
会長に憧れた人達はもう四十を超えていても不思議では無い為、これからボクシングを始めようとする人達を集めるには世代的に少し厳しいものがある。
例え親が子に凄さを伝えたとしても、その感情まで伝えられるものではないのだから。
だが、俺が結果を出し続ければトレーナーとしての名声も上がり、自然と人も集まって来る筈だ。
「私もね、最近は少し勉強してみたんだよ?ボクシング。全日本新人王っていうのになったら、一番下のランクが手に入るって事は分かったんだけど、階級っていうのが一杯あって難しいね。」
それは分かる気がする。
俺もガキの頃は同じ事を思っていて、父に何故こんなに沢山あるのか聞いたりした。
それに対する父の答えは『その方が儲かるからじゃねえか?』という夢のない言葉で、落胆した事も覚えている。
いつもは夢見がちなのに、変な所で現実的な父だった。
それにしても彼女が俺を理解する為に時間を割いてくれたと考えるだけで、減量の疲れさえ取れる様なほど嬉しさが込み上げる。
しかし同時に、そんな彼女とも後半年も経てば会えなくなるのだという事実を思い出してしまった。
「明日未さんはさ、どこに行くんだっけ?やっぱ遠いよね。」
気が付いたら、そんな女々しい言葉が口を突いて出てしまった。
「…そうだね。最初は帝都の短大に行こうかと思ってたんだけど、親とも相談したりしてね、
胆振とは本州北部の海峡を挟んだ先、北にある県の一つだ。
短大なら二年で済む所を、四年は長いなと酷くショックを受けてしまう。
四年もあれば当然彼女の様な人を放っておかない異性も現れるはずだ。
そう考えると絶望的な気持ちになってくる。
恐らく、彼女にも目に見えて俺が落ち込んだのが分かったのだろう。
「遠宮君とは違って、まだまだ両親の脛を齧る事になりそうだよ。へへっ。」
そう言って、彼女が冗談っぽく笑うので俺も笑い返した。
(落ち込んでどうする。最初から分かっていた事だ。切り替えろ、今はそれ所じゃないだろ。)
際限なく落ちていきそうになる気持ちにブレーキを掛け、無理やり己を奮い立たせる。
「はは、俺だって叔父さんにおんぶに抱っこなのは変わらないよ。向こうに行っても頑張ってね。」
心も体もつらいのを堪えながら、精一杯の強がりで笑顔を作る。
「ふふ、まだ半年も先の話だよ。それに受かるかどうかも分からないし。」
強がりが功を奏し、何とか暗い雰囲気にはならずに済んだらしい。
その後、彼女と別れ帰宅してからお参りをしていなかった事に気付きもう一度向かった。
計量前日、今回は明君抜きの三人だ。
彼の学校でも当たり前だが行事はある為、それを休ませるのは流石に忍びない。
という訳でいつものメンバーで集合した後、牛山さんが運転する車に乗り込んだ。
「坊主、後ろのバッグ開けてみろ。良いもんが入ってるぞ。」
言われたままに開けると、中に入っていたのは入場などの時に着る為のガウン。
黒を基調とした落ち着いた雰囲気で、シューズの色とも合っていて良い感じだ。
背には雄々しい鳥が羽ばたく姿が描かれている。
この鳥はロードワーク中に何度か見かけた事があるが、名称までは分からない。
「そりゃな、オジロワシってんだ。森平川で偶に見るだろ?」
見かける度にその大きな翼に目を引かれていたが、こうなると余計に愛着も沸く。
今度からはもっと注意深く観察してみる事にしよう。
「後援会の皆さんで作ってくれたんだよ?それを背負ったら負けられないね。」
頷き、大事そうにガウンを抱えながら静かに到着を待った。
五十八,七㎏で計量をパスし、安堵の溜息をつく。
そしていつもの様に会長からドリンクを受け取り、足早に会場を後にした。
お楽しみの食事は財布にも優しいチェーン店のレストランに向かう。
今回はチキンを中心に頼み、うどんにパスタ、デザートを三皿食べた。
これでも満腹にならなかったが、腹八分目にしておくべきだろう。
その後はホテルに戻って明日に備える事にした。
少し横になった後、行きたい所があったので少し外に足を向ける。
目当ての場所に着くと入場料を支払い、ベンチに座り景色を眺める。
来たかったのは武蔵植物公園というホールの隣にある施設だ。
来園の目的はこの時期なら紅葉が見れると思ったからなのだが、どうやらまだ時期が早かったらしい。
今度来る頃には見頃も終わっているだろうし少し残念だ。
それでも地元とは違いこちらの気温は心地良いくらいで、こうして座っているだけでも安らぐ。
充分にリラックス出来た所でおもむろにスマホを開きメールを打つ。
相変わらずSNS等はアカウントを作っただけで使った事はないが、そんなに何度も送り合うほどネタがないので、今のままで十分だ。
『拝啓相沢様。肌寒くなってきた今日この頃いかにお過ごしでしょうか。私事ではございますが、明日の試合に備え情緒ある景色を眺めながら体を休めている所で御座います。昨今取り沙汰される若者の性の乱れについて相沢様はいかにお考えでしょうか。私としましては……』
只の儀式みたいなものなので、これでいいだろう。
まったりとした時間を過ごしていると、返信が届いたようだ。
『ツッコミはしねえ。来月の大会終わったらプロに転向する。以上!』
来月は社会人の大きな大会があるので、それの事を言っているのだろう。
相沢君が転向した場合俺とはスタートラインが違う為、追いつかれる所か簡単に追い抜かれかねない。
(でも、あっちもそこまで大きなジムじゃないし、マッチメイク苦労するだろうなぁ。そういえば請け負ってくれる企業があるって会長も言ってたから大丈夫か。)
仕方ない事とは言え、どうしてもそこは心配になってしまう。
それこそ王拳ジムの様な大手ならば驚く程の速さで駆け上がっていけそうだ。
そんな事を考えているといつの間にか良い時間になっており、ホテルに帰って休む事にした。
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