第二話 見据えるは

五月初旬、この日の仕事はまるで手に付かなかった。


来月に俺の防衛戦が控えているから…ではなく、遠い異国で俺のライバルが大きな挑戦をしているから。


場所はメキシコ、時差があるので試合自体は午前中に終わってはいるのだが、誰かの口から結果を聞くのが嫌だった。


友人である前に一人のボクシングファンとして、試合を見て結果を知りたかったのである。


だがそれは叶わず、仕事終わりにスマホを開くと、ニュース速報として流れた情報が目に入ってしまった。


WBCの王座決定戦、正規王者がベルトを返上し空位となった座を争う試合。


スーパーバンタム級世界一位フェルナンド・ディアス 対 同級二位相沢光一


端的な文字の羅列が右から左へ流れていく。


【相沢光一選手、世界タイトル奪取成る!十一ラウンドTKО勝利】


目に入ってしまったものはしょうがないと、指先でポチッとひと押し。


そこには見出しと共に、顔の到る所に痣の出来た相沢君の姿が載っていた。


ここまで殆ど無敵に近い勝ち上がり方をしてきた彼だから、もしかしたらこの試合も圧勝するのではとそんな期待を持っていたが、どうやらそんなに甘くは無かった様だ。


大きな会場で、観客動員数は一万七千人弱。


相手のディアス選手もここまで無敗の十六連勝、年も若くまだ二十歳、次代の中南米スター選手候補だ。


記事の内容を見る限り、そのまま判定に突入していたら負けもあり得たと書いてある。


だが十ラウンド中盤に放った左がカウンターで刺さり、流れが一変。


そこからは激しい打ち合いが展開された。


ディアス選手は、ロープを背負いながらも巧みなボディワークで再三強打を放ち、相沢君をぐらつかせたとある。


下にスクロールしていくと、パンチを浴び腰を落とす彼の姿。


次の写真では、体を横に倒す形でアッパーを突き上げ、相手の顔面を上方に弾いている。


これがフィニッシュブローとなったらしい。


ディアス選手はごろりとマットに体を横たえると、カウントスリーでタオル投入、試合終了と相成った。


流石の相沢君も感極まったか、コーナーポストによじ登り雄たけびを上げている。


そんな姿を見せられてしまえば、自然と俺も拳を握り締め気合を入れるのは当たり前の事。





翌日からスポーツ関連の話題は殆どこれ一色。


日本人は敵地での試合にめっぽう弱い。


恐らく勝率で言えば、一割を大きく下回るのではないか。


そんな状況下での快挙、大きなニュースにならない訳もなく、今までは大きく取り上げなかったスポーツ各紙もこぞって取り上げ、一躍時の人となっていった。


一度連絡を取ってみようかと思っていると、夜に向こうから電話が掛かって来る。


【おう、統一郎っ!……見たか?】


「ははっ、見たよ。凄いね…本当に。」


【はぁ?まだまだスタートラインに立ったばっかりだっての。正直滅茶苦茶強かったしな。】


彼は本当に凄い、東洋タイトルに続き世界タイトルまで敵地で奪取。


国内評価だけではなく、海外の評価もうなぎ上り、早くも異名の様なものまで付いている様だ。


確か『炎の男』とか、そんな意味の言葉であったはず。


効かされても一切引かずに相手をねじ伏せる姿は、まさにそのもの。


【これからの道は二通りあるよな?統一目指すのか、上の階級目指すのか。後者なら…いつか当たるかもな。】


相変わらずの自信、俺と当たるという事は四階級を制覇するという意味。


彼ならばできるかもしれないが、その時に俺は迎え撃つ、若しくは挑戦できる立場にいるだろうか。


「…そうだね。俺も…頑張んないとな。」


出来ないとは言わないし、考える事もしたくない。


それに先に述べた敵地での云々は俺にも当てはまる。


先に行われた東洋タイトルは、国内のボクシングファンからは結構評価が高い。


やはり敵地で勝つというのは、日本国内に於いて少々毛色の違う扱いを受ける様だ。


【お前もこの間の試合で向こうの世界ランク全部食っただろ?行けるんじゃね?】


そう、これが何より大きい。


東洋タイトルそのものよりも、寧ろ劉選手の持っていた世界ランクを、そのまま呑み込めたことが大きい。


今の俺は主要二団体において上位のランキングを持つ、れっきとした世界ランカー。


こうなれば会長もマッチメイクをやり易い。


ちらつかせるエサは高級であればあるほど、釣り上げる魚を選べるのだから。


まあ、逆に俺が呑み込まれる可能性も多分に含んでいるのが、怖い所だが。


「う~ん、世界戦となるとなぁ…今の状況じゃ呼ぶのは難しいんじゃないかな?」


【ああ~確かにな。ライト級の状況はちょっとお前んとこのジムじゃ厳しいよな。あ、でも…】


現在のライト級はスター揃い。


筆頭はWBAスーパー王者にしてWBO、IBF主要三団体統一王者ジェフリー・アーサー、国籍はアメリカ。


四十六戦四十四勝二敗三十一KО、年齢は三十三歳でフェザーからスーパーライトまで四階級を制覇した経歴もある。


適性階級がライト級と見定めてからは、正に王者と言うべき圧巻のパフォーマンスを見せるアメリカのスター選手。


因みにスーパー王者と言うのは、普通の王者の上に位置するという意味で、以前御子柴選手が敗れたアレックス選手もそう。


こういうのがボクシングに詳しくない人からややこしいと言われる所以、個人的には正規王者だけで良いと思う。


次はWBCの王者であるメキシコ人ボクサー、レオナルド・アルバ。


十九戦全勝全てナックアウト勝ちというパーフェクトレコード、しかもまだ二十一歳の新鋭。


ジェフリー選手との統一選がファンから望まれているが、契約しているプロモーターが違う為、交渉が纏まらないとかなんとか。


プロモーターとは試合を取り仕切る会社の様なもの、同じ会社に在籍している選手同士なら試合を組みやすいらしい。


因みにジェフリー選手がソウルオブフィスト、レオナルド選手がトゥルーランカーというプロモーターと契約している。


そしてWBAの正規王者、こちらも国籍はアメリカだが正直全く人気が無い。


エルヴィン・コーク三十三歳、二十六戦二十六勝無敗六KО。


少し前に拳を痛め休養中、現在は暫定王者がいる為、復帰後は王座統一戦となるだろう。


暫定王者とはその名の通り、正規王者が試合を出来ない間、悪く言えば穴埋めするための人員。


【試合組める可能性あるのはWBAのエルヴィンくらいだろ?あの選手の試合つまんねえからなぁ…。】


そう、この選手は強いのだが試合がつまらない為、全く人気が無くファイトマネーも安い事で有名。


直近の試合で比べると、飽くまで推測が混じる数字でジェフリー選手が日本円で三十億近く、エルヴィン選手は三千万もいかないらしい…。


【でも強ええからな。統一選も勝つだろ。多分一億もファイトマネー積めば来てくれるんじゃね?チャンスじゃん。】


簡単に言ってくれるが、何故可能性があるかを知っているだろうに。


彼は本当に強く、一切無駄のないボクシングを展開するも、一部の玄人を唸らせるにとどまる。


つまり一般客が沸く様な試合を展開できない、厳密にいえばしない。


例え試合を組んでも勝算は低い上、挑戦者側のファイトマネーは当然王者側よりさらに低い、それらの理由もあってか対戦相手も中々決まらない始末だ。


何でも五千人以下の会場すら埋められないとの事。


【暫定王者ってあれだろ?十敗以上してるベテラン、最後のチャンスって感じか?】


マルコ・ブリーツィオと言う選手が暫定王者だが、恐らく勝てないので割愛。


【後は…あっ!あの人いるじゃんっ!アンファン市ヶ谷っ!】


そう、現在のライト級には彼も加わってくるのだ。


ジェフリー選手とプロモーターが同じなので、近くぶつかるのではと向こうでも結構話題に上がる。


「ま、とにかく俺はやれることやるだけだよ…相沢君本当におめでとう。」


【おう、あんがとな。お前も頑張れ。】


とにかく頑張るしかないと通話を切り目を瞑るが、この日は中々寝付けなかった。

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