第二十二話 夢の舞台へ
八月十五日県営アリーナ 十五時試合開始予定
第一試合ライトフライ級四回戦
第二試合スーパーフェザー級四回戦
第三試合スーパーライト級四回戦
第四試合バンタム級四回戦
第五試合ミドル級四回戦
第六試合フライ級八回戦
セミファイナル
第七試合スーパーバンタム級八回戦
日本スーパーバンタム級五位
メインイベント
第八試合WBA世界ライト級タイトルマッチ十二回戦
WBA世界ライト級チャンピオン エルヴィン・コーク(アメリカ)対 挑戦者WBA同級三位WBC同級四位IBF同級七位
控室は俺に合わせ同門全員が青コーナー。
あともう少しで第一試合が始まるという頃合い。
当然今の段階では空席も目立つが、メインイベントに合わせてやってくるお客さんも多いので問題ないだろう。
バンテージを巻く際は互いの陣営が人をやりチェックしあうのだが、思ったほど厳しい感じでは無かったのが意外。
只、向こうからの要請で当日のドーピング検査だけは入念にと言われ、試合前に尿を取られたのは初めての経験だった。
そして今、俺の控室は少々賑やかな状況になっている。
入れ替わり後援会の人たちなどがやってきて、加え友人たちも訪れたので結構な人口密度だ。
「チケット送ってくれてサンキューな。」
「うん。僕も。ありがとね。」
阿部君と田中、この二人にはかなり良い席のチケットを送っておいた。
代金は俺持ちでいいと言ったのだが、どうしても払うと言って聞かないので二割引きでの販売である。
一室には亜香里と咲、加え春奈ちゃんも来てくれて中々和やかな雰囲気。
そうしていると叔父もやってきて若者に混ざり、笑い声が響く中さらなる来客が訪れる。
「随分にぎやかだな。ま、緊張に心が追い付かなくて動けねえよりは万倍ましか。」
全員の視線が向けられたその先には、スーパーバンタム級の世界王者でもある相沢君の姿。
田中と阿部君は驚きの声を上げた後、握手してもらっていた。
「しかし、まさか本当に漕ぎ着けるとはな、お前んとこの会長さんって結構やり手だよな。」
「まあね。それより世界王者から何かアドバイスは無いの?」
「ん~そうだな…踏み込んでアッパーとか当たりそうじゃね?まあ、タイミング間違うと手痛い反撃食うだろうけどな。」
これは会長からも言われている事、エルヴィン選手はベルトラインぎりぎりまで頭を下げ覗き込む仕草を頻繁に見せる事が多い。
「でもま、皆やろうとして出来てねえから、そう上手くは行かねえんだろうけどな。」
モニターから第一試合の始まりを告げるアナウンスが聞こえると、皆は続々と控室を後にしていく。
そして残ったのは俺と相沢君だけ、俺が寝台に、彼が向き合う形で椅子に座った。
「盛り上がる試合にしようとか、余計な事は考えねえ方が良いぞ。」
「分かってはいるんだけどね。思考と感情が重ならないって言うか。」
「…気持ちは分かるけどな…正直相手が悪い。」
先の試合の印象が強く、お客さんが期待する展開は激しいものの筈だ。
しかしあの王者がそれに応えてくれることは無いだろう。
「…臨機応変にやれ。一つの事に拘ると色んなものが崩れてくぞ。」
相沢君はそう言い残した後、会場へ戻っていった。
俺は寝台に寝そべり、只々天井を見上げる。
ウォームアップするにも早すぎる、同門を気に掛ける程の余裕もない。
目を閉じ静かに深呼吸を繰り返しては、ゆっくり目を開ける。
静かな空間が欲しいと思いモニターを消してから、少しずつ動きを確認しながらシャドー。
いつの間にか及川さんが横にいて、俺の動きに目を光らせている。
視線が重なるも互いに特に何も言う事は無く、俺は静かなシャドーを繰り返すだけ。
変な気分だ、いつもならミット打ちで体を温める頃なのだが、今はとにかく静かに集中したい。
そんな俺の気分を察したのか、及川さんは何も告げずに一室を後にした。
広い控室に僅かな呼吸音だけが響く。
どれだけの時間そうしていたのか分からないが、一つ息を吐き寝台に腰掛けた頃、及川さんが戻ってきて告げる。
「佐藤君の試合が始まったから、そろそろ。」
その手にはピカピカの青いグローブ、手を差し出すと静かに準備を進めてくれる。
そして互いに物言わぬまま準備を終えると、軽めのミット打ち。
いつも試合前にはもっと激しく動いて体を温めたいと思うのだが、何となく今日はそれをしたくない。
パシンパシンと乾いた音が響きじんわりと体に汗が浮き上がる頃、どうやら試合が終わったらしい。
首にタオルを掛けた牛山さんが一室に足を踏み入れると同時、会場の熱気も入り込んでくる。
続いて会長もやって来るが、二人供が何も語らない。
今の俺はそこまで重い空気を漂わせているのだろうか。
扉の向こうからは係員の行きかう足音が聞こえ、もうすぐ始まるんだなと否応なく実感させた。
「おしっ!坊主っ行くぞっ!」
活きの良い声が響き、俺もそれに応え声を上げると、扉の前には同門が並び立つ。
その向こうには後援会、地方の星と書かれたのぼりを掲げ威勢のいい掛け声で送り出してくれた。
そしてテーマ曲飛翔が流れる中、スポットライトを浴び花道を進んでいたその時、両脇を囲むお客さんの中にとある女性の姿を見かける。
彼女は嬉しそうに笑いながら、胸の前で手を叩いていた。
俺がその姿を、その人を見間違えるはずなどない。
一瞬だけ視線が合うと、ニコッと互いに微笑み合う。
そしてリング下にたどり着き、一度気を落ち着ける為視線を巡らせた。
すると咲や亜香里の姿も目に付き何度か頷き合ってから、タンタンタン、勢いよく駆け上がる。
対角線上で待つ世界王者に視線を向けると、特に気負いはないいつも通りの王者の姿。
その後一度喧騒が止み、リングアナがゆっくりと前に進み出た。
それから両国の国旗を見上げる様にして観客も一度立ち上がると、順番に国歌が流れる。
独特の空気が支配する中リングアナが再度口を開き、レフェリー等の紹介も済みいよいよ試合開始を宣言したのだ。
「只今より本日のメインイベント…WBA世界ライト級タイトルマッチ十二回戦を行います。」
会場からは、パチパチと少し気の早いまばらな拍手。
「赤コーナ~百三十五パウンドォ~アメリカぁ~これまで二十七戦二十七勝無敗の最強王者ぁ~………エルヴィン~~コォ~~クゥ~~っ!!」
待ってましたと言わんばかりの歓声が上がり、王者は一瞬だけ少々驚き気味の表情を見せた。
「続きまして青コーナ~百三十五パウンドぉ~森平ボクシングジム所属ぅ~ここまで二十二戦ニ十勝十二KО一敗一分け…アンファン・市ヶ谷との死闘を越え辿り着いた大舞台…地方の小さなジムが生んだ奇跡…今宵歴史を塗り替えるか…地方の星ぃ~っ!とおみやぁ~とう~いちろう~~っ!」
大歓声に応え、軽く左右一発ずつ伸ばしてから手を挙げる。
すると緊張もしていないし冷静だと思っていたが、幾分か体がふわふわしていると感じてしまった。
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