第九話 王者として

「…はっ…はっ…はっ…会長の言う通り、爪先の向きが違いました。」


第四ラウンドに向けてのインターバル、次のラウンドで勝負を決めるべく会長へ一応の確認を取る。


俺の言葉を聞いた会長は、足や腕をマッサージしながら軽く微笑み頷いた。


信じるから好きにやってこい、という意味だろう。


俺も頷き返すと、対角線に座る相手を見据えた。


先のラウンドで速射砲を打ち続けた事もあってか、スタミナの消費はこちらの方が激しい様だ。


いや、これは減量失敗が響いているのかもしれない。


心なしか、足も重く感じる。


「…はぁ~~っ…ふぅ~~っ…」


それでも深呼吸を繰り返すと、徐々に息が整ってきた。


そしてセコンドアウトのコールが響く。


立ち上がり感触を確認。


少し体が重く感じるが想定内だ。


次で決着をつけるのだから問題ない。


カァ~~ンッ!


ゴングが響く。


歩を進めながら、勝負の一瞬に備え集中力を研ぎ澄ましていき、


「…シッ!」


先ずは誘いの左。


ここまでの流れで分かるが、相手は打ち終わりを狙ってくる。


(減量失敗は向こうも知ってるからな…それを踏まえてってとこか。)


こちらに手を出させ、スタミナを消耗させようという算段だろう。


有効な作戦だ、終盤まで試合が続いていればだが。


(残念だけど…このラウンドで終わらせるよ。)


心にいま一度覚悟を刻み込む。


そして速射砲の弾幕。


「…シッシッシッシッシッシッ…!」


違和感を捉えるべく相手の全体像を俯瞰しながらも、意識は一点に向けられていた。


向こうはこちらの左を嫌がったか、反時計回りで回り込もうとしている。


俺もすかさず右足を軸にして素早く体の向きを変えると、敵を正面に見据えた。


今この時だという予感があった。


恐らくここで来るだろうと。


その予想通り、相手はワンツーの体勢。


そして二発目の右ストレートを放つ瞬間、僅かに蹴り足の爪先が外を向く。


(…ここっ!!)


合わせ右を伸ばし、内側から相手の右腕を外へ向け払いのける。


同時、僅かに弧を描く形で前に出ていた己の左足を下げると共に、滑らかな動きでサウスポースタイルへ。


体は半身、右腕を前に押し出しながら体をよじり、左拳を引く。


「…シュゥッ!!」


伸ばした右を引き戻す勢いそのままに、左を勢いよく押し出す。


腰の捻り、肩を内側へ、支える左足でマットを蹴り、標的を捉える直前、握り込むと同時に手首を返し思い切り標的を抉る。


相手は強打から逃れるべく重心を引き仰け反るが……もう遅い。


ズパァ~~ンッ!!


肌を打つ快音がアリーナにこだまする。


そして標的は弾かれ、マットに背中を打ち付けた。













ワッと沸く泉岡アリーナ。


俺はコーナーを背に、電光掲示板を見上げていた。


残りはまだ二分近くある。


「……スリーッ………ファイブッ…」


カウントが止まり視線をリング上へ戻すと、両腕を広げまだまだやれるとアピールする男の姿。


だがその足取りはいかにも危うい。


加え、左目の下辺りがぼっこりと腫れ上がってきている。


そしてレフェリーは数秒の確認作業をした後、


「……ボックスッ!」


試合再開のコールを告げた。


(残り時間は充分だ…しっかり落ち着いて……仕留めるっ!)


王者らしいフィナーレを飾りたいが、相手の目はまだギラギラとした輝きを宿している。


(向こうは死に体。恐らくクリンチで凌ごうとする筈だ。そこを下から突き上げるっ!)


構え、慌てる事無くゆっくりと、ゆっくりと歩み寄る。


「……シッ!」


そして左を伸ばした瞬間、案の定体勢を低くして腰にしがみつこうとしてくる。


「…フッ!」


そこを狙い澄ましたアッパーでかちあげた。


相手の顔面が上方へ弾かれ腰ががくっと落ちるが、それでも意地を見せ腰にしがみつかれてしまった。


(力を感じない…無理矢理引き剥がしてフィニッシュっ!)


そう思いしがみ付く体に両腕を伸ばそうとした時、意外にも向こうからクリンチを解いてきた。



「…っ!!?」



瞬間、衝撃と共に景色がぐにゃりと歪んだ。


下から突き上げてくるパンチは見えていたし想定もしていた。


だが、アッパーを捌いた直後、同時に持ち上げてきた頭が当たってしまった。


見る角度によっては、綺麗にアッパーをもらったようにも見えるだろう。


(……この……野郎っ!!)


頭に血が上る。


もう一度腰にしがみついてくる相手を強引に振り回し解くと、ロープに押し付け力任せに撃ち付ける。


ふらりと体幹が揺れた。


どうやら先のバッティングが効いてしまっているらしい。


「…シッシィッ!!」


それでも構わず撃ち付ける。


ふくらはぎの辺りに違和感を感じた。


これは攣る直前の感覚。


「…フッ!シュッ!ヂィッ!」


だが構わない、撃ち付ける。


返しをもらい認識する鉄さびの匂い。


「…シッシッシッシッシッシィッ!!」


だからどうしたというのだ、構わない、撃ち付ける。


体が重い、まるで何か重い荷物を引き摺っているかのようだ。


相手は腰が砕け、ロープにしがみつく体勢。


ビキビキと右足の違和感は更に酷くなる一方。


「…っ……くっ……っ!?」


どうやら、ふくらはぎが今まさに攣ろうとしているようだ。


「…シィッ!…シィッ!……シィッ!!」


それでも右足を引き摺りながら、最早完全無防備な相手を横殴りに力一杯叩く。


「…ストップッ!!……ストップだっ!!……手を止めなさいっ!!」


気が付かなかったが、どうやら試合を止めるべくしがみ付いたレフェリーを引き摺ってしまっていたらしい。







「はぁっ…はぁっ……はぁっ…はぁっ……。」


両陣営が選手を分け少し落ち着きを取り戻すと、電光掲示板を見やる。


ラウンド残り、十七秒だった。

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