二人の子・3

 翌日、ネイサンは港に出て、双眼鏡を通して西を見ていた。


 2時間ほど眺めていると、西の水平線近くに一隻の船が見えてきた。


 その船の甲板にいる長身の男を見て、ネイサンは笑みを浮かべた。



 船が到着したのは昼過ぎだった。


 桟橋に繋がれるとすぐに先程の男が降りてくる。


 30前後の屈強な体格、船旅ということもあってか白地のシャツ以外の服は着ていない。表情は沈んでいるが足取りはしっかりしている。


「久しぶりだな、ハフィール」


 声をかけると、ハフィール・ミアーノは力のない笑みを浮かべた。「あぁ」と頷いて、桟橋まで降り立つ。


 ネイサンは数歩進み右手を差し出した。握手した後、背中を二回ポンポンと叩く。


「話は聞いた。何と言っていいのかは分からないが、とにかくお悔やみを申し上げる」

「あぁ……」

「夫人は?」


 妻にはハフィール夫妻に招待をさせていた。


 だが、どうやら夫人は船に乗っていないらしい。


「……精神的に優れぬということで、残してきた」

「そうか……」


 それ以上、問いただすことはしない。



 待たせていた馬車ですぐに移動しようとしたところで、ハフィールが海を眺めていることに気づいた。風景を見て、深い溜息をつく。


 不思議なことだった。


 彼がここに来るのは初めてのことではない。三桁とは言わないまでも、数十回は眺めている景色のはずである。


 今更、何を思ったのか、思わず問いかける。


「どうした?」

「いや、たいしたことじゃない」


 ハフィールは天を仰ぐ。


「看病の最中は必死で何も考える余裕がなかったが、今になると、あの子が屋敷の部屋の天井しか知らずに死んでいったことが悔やまれてな。3日しか持たないと最初から分かっていれば、スイールの景色や、海の景色だって見せて、少しでもこの世界のことを見せてあげたのだが……」


 呟くように言い、再度重い溜息をつく。


 ネイサンも深い息を吐く。


「ハフィール、そんな悲嘆にくれている最中に申し訳ないんだが、一つ聞いてもらいたい話があるのだ。良いかな?」

「構わんよ。こういう時だ、何か話でもされた方が気が落ち着く」

「そう言ってくれると有難い。芸がないのだが、屋敷まで来てくれ」


 改めて待たせていた馬車を呼び、ともに屋敷へと向かった。



 馬車の中で、ネイサンは近況を説明する。


「直前までオルセナ王都セシリームに行っていた」

「……聞いているよ。何か収穫はあったのか?」

「それを見てもらいたいと思っている」

「ほう……、何か芸術品でも仕入れたのか?」

「今のオルセナにそんな高価なものがあると思うか?」

「……ないだろうな。では、何なのだ?」

「まあまあ、そう急がないでくれ」


 関心を向けたハフィールを宥めながら、ネイサンは馬車を急がせる。



 馬車で移動すれば、港から屋敷までは10分程度だ。


 話の花が大きくなる前に屋敷の壁が見えてくる。


「おや?」


 ハフィールが首を傾げた。


 屋敷の正面玄関ではなく、離れの建物に向かったからだ。


 ネイサンは無言のまま離れの前まで馬車を移動させ、着いたらすぐに下に降りる。


「この中だ」


 異論をはさませない口調で、ハフィールを中に案内した。



 離れの中に入ると、ネイサンは手をパンパンと叩いた。


 反応して、近くの部屋にいた乳母が乳児を抱えて現れた。


「うん? この赤子は一体……?」


 ハフィールは目を丸くした。


 予想通りの反応に微笑を浮かべて、ネイサンは彼女を紹介する。


「セシリームでもらい受けてきたオルセナの王女だ」

「オルセナの王女!?」



 驚くハフィールに、オルセナ王女を取り巻いていた状況と預ける理由について説明をした。


「……ということで、レルーヴの大公子にやりたくないという理由で預けられてきたというわけだ。さらってきたわけではない証拠として、オルセナでは王女エフィーリアは死んだという発表をしている」

「証拠というか、さすがにおまえが人さらいをしたとは思わんよ」


 ハフィールは苦笑して乳児を眺めた。


「とはいえ、オルセナがそこまで窮していたとは思わなかった。生まれたばかりで気の毒なことだ……」


 気遣うような声に反応して乳児もハフィールの方を向いた。しばらく不思議そうな目で見つめていたが、すぐに笑いだして、関心を引こうとしている。


「可愛いな……」


 ハフィールも目を細めて、乳児に手を伸ばす。


 言うなら今しかない。ネイサンは落ち着いた口ぶりで話しかける。


「なあ、ハフィール。これはひょっとしたら、運命ではないだろうか?」

「運命?」


 けげんな視線がネイサンに向けられた。


「君の娘が悲しい早逝をしたタイミングで、私が生まれたばかりの王女を預かってきた」


 そこまで話せば、大抵のものはピンとくる。


 ハフィールも例外ではない。


「……オルセナ王女を、あの子の代わりとして育てろということか?」

「嫌か?」


 ネイサンの問いかけに、ハフィールは硬い表情となった。


「嫌と言うわけではないが、いきなりすぎる話だ……。すぐには……」


 迷うような口ぶりで答えると、ハフィールは乳児を見た。乳児もまた、ハフィールをじっと見つめている。


 にんまりと溶けるような笑顔を向けた。


 そのあまりに無邪気な笑みに、ハフィールも知らず笑みをこぼした。


「……妻に聞いてみる」



 一か月後、ネイサンが預かった娘は、スイールの都エルリザでエディス・ミアーノとして洗礼を受けた。


 それから五か月後、デボラ・マイヤースもまた娘を産み、ネミリーと名付けられた。



 エディス・ミアーノとネミリー・ルーティス。


 二人の少女の先にある未来の広がりを、父親達もまだ知らない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る