第10話 白いハンカチ
その後二日ほど、サルキアはユーノで多くの者と会談をした。
そのほとんどが商人層、すなわちいざという時に資金を提供してくれそうな者と接触していたことになる。
それが終わると、すぐにユーノを離れてスラーンへと戻ることになった。
行きもゆっくりとした道中であったが、帰りは更にのんびりとしている。
特に、父親であるグラッフェの勢力圏を通る時には大公から頂いた旗を掲げて、『獅子殺し・サルキア』という称号を大きくアピールして通っている。
近くで見ているエディスにも、これが父親に対する示威活動であることは容易に分かる。それはやむをえない道なのだろうが、暖かい家庭に育ったエディスには「父親とそこまで争うというのは……」という思いもぬぐえない。
そうした数日を経て、一行はスラーンへと戻った。
「ふむ、戦場はあらかた片付いているようだな」
「そうね」
確かに、出発した頃はゼルピナのレルーヴ軍が戦場の死者を回収していた頃だ。そうした者達はすでにいなくなっており、戦場となっていた場所には痕跡も残っていない。兵士達の血や肉片が落ちただろう土も、雑草に覆われている。
「はい。回収した後は素直に引き下がっていきました」
「それはそうだろう」
味方の遺体を回収したいと言っておきながら、相手が油断したら襲い掛かるなどとあっては、それこそレルーヴ軍の恥さらしもいいところである。
策略家ならともかく、武芸一辺倒で変な美学すら有しているだろうゼルピナの面々にそんなことができるはずがない。
何もかもなくなった戦場に安心感を覚えながらも、一方では不安も感じる。
(ここで戦死した人達の存在がまるで全てなくなってしまったようにも見えてしまう……)
戦場に出て来るまで、全員が生きていた。しかし、ある時間を境に多くの者が死んでいった。その中には、ひょっとしたらエディスに愛を捧げようとした者もいたのかもしれない。途中からは面倒になって、まとめて開いて流し読みをしていたが、そんな彼らが死んだかもしれないと考えると胸が痛む。
「どうかしたか?」
沈黙し通しなのを気にしたのだろう、サルキアが問いかけてくる。
「うーん、まあ、ゼルピナの人達が私に愛を捧げるどうのこうのと言っていたから」
エディスは何の気なく答えたが、サルキアが「ほう」とひきつった笑みを浮かべた。
「婚約者を前に、そういうことを言うとはね……。それは大変申し訳なかった。内心ではトレディアが負けることを願っていたのに、勝ってしまって」
「えっ? そういうわけじゃないわよ! 向こうの人達が勝手にそういうノリで来たんだし」
「……」
エディスの弁明に対して、サルキアはそっぽを向いてしまった。
しばらく無言が続く。
えぇ、とエディスはげんなりとなる。
(私も多少無神経だったけど、ここまで露骨に拗ねる?)
仮にもトレディア大公を狙う立場の人物であるはずだ。求婚した、された関係であるとはいえ、ちょっとした付き合い程度でここまで拗ねられると対処のしようがない。
どうしよう、という戸惑いよりもむしろ苛立ち、立腹感が増してくる。
(もういいわ。放っておこう)
エディスも無言のまま、馬車の中で重い時間が流れる。
馬車がスラーンの中心部に着き、まずサルキアが降りる。
手を伸ばしてきたので、それを取った。
拗ねていても、求婚者に手を差し伸べるくらいの甲斐性はあるらしい。
何の気なく下りたエディスの前で、サルキアが馬車の横に固定していた旗を手にして、高らかに語る。
「我が愛しの姫よ、至純の存在よ!」
「は……?」
エディスはそうでなくても大きな目を目一杯見開いた。
サルキアはそれを無視して歌うように言う。
「私は、彼の地で戦勝と、私が得た称号と、そしてこの栄光の旗を得た。しかし、貴女の美しさの前ではそんなものは欠片の価値ももたない。それでも私は乞い願う! 私が得たものを捧げることと引き換えに、貴女からハンカチを受け取らんことを……」
「な、な……」
たじろぐエディスのそばで、コスタシュがヒューと口笛を吹いた。
フロールはもちろん、パリナですらニヤニヤと笑みを浮かべている。
(いきなりそんなことを言う!?)
ゼルピナの面々が求愛していたことに拗ねていたと思われていたサルキアだが、ここで急に「俺が一番だ」とばかりに求愛の言葉を並べはじめたのである。
「私の喜びは戦勝にあらず。私の希望は称号にあらず。私の安らぎは旗にあらず。全て、貴女の愛を得んがため。ささやかなる愛を得ることができるのなら、それに勝る喜びはない」
「うわー! もういいわよ! 分かったわよ!」
エディスは慌てて鞄に手を伸ばす。ハンカチを取り出した。白いハンカチだ。
それを目にしてサルキアは黙って跪いた。周囲も跪いて、様子を伺う。
(嫌だなぁ……)
と思いつつも、エリアーヌの即位式でこうした格式ばった緊張感も体験してしまっているので、どこか慣れている自分もいる。儀礼は儀礼、内心とは別にやるしかない、という意識になる。
大きく深呼吸をした。
「サルキア・ハーヴィーン、私、エディス・ミアーノは貴方の私に対する愛が真なるものを知りました。そのささやかなる証として、これを渡しましょう」
エディスはハンカチをサルキアに向けた。
それを取るとともに、サルキアはエディスの甲に口づけをした。
周囲が無責任に囃し立てる。
穴があったら入りたいと思いつつも、エディスはサルキアのキスをしばらく受け続けていた。
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