第10話 先客潜入者

 その日の夜。


 星明りがまばらに照らす中、エディスは川のほとりにやってきた。


 ここから、水上宮殿のある中州まではおよそ1キロ、一息に飛び越えるのは不可能な距離であるが、静かな川辺から小舟で向かえばすぐに到達できる距離である。


 さすがに王宮の近くというだけあって、小舟はほとんどないが、2キロほど上流に行けば漁に使うらしい舟がある。濁った水の中にどれだけの魚が残っているのかは分からないが。



 昼の間に確認し、夜の闇に紛れて侵入し、中庭あたりに隠れて会議などを外から聞く。


(これで完璧でしょ)


 と、エディスは考え、舟の場所にたどりつく。


「……さて、これで侵入を……っと?」


 舟に乗り、水上宮殿に向かおうとしたところでふと、誰かがいる気配を感じた。


 どこにいるのか、どうも舟の中にいるような気がする。


 しかし、見張りの者なら舟の中に忍び込んでいるということはないだろう。大声で「不審者がいる」と叫びたてて仲間を呼ぶはずだ。それをしないとなると、別の目的をもつ何者かがいる。


 どうしたものか。幾つかの選択肢が思い浮かぶ。


(怪しい舟を燃やすと、他の人にも分かってしまうし。だけど、無造作に近づくと相手の初動が早いとやられるかもしれない……)


 オルセナに入った当初、ジーナとのやりとりでセシエルに指摘された言葉は耳に残っている。「相手が君を殺す気なら、殺すことができた」と。魔力には自信があるが万能というわけではない。不用意に近づいて奇襲を受けたら、対応できないかもしれない。


 1分ほどその場で待機し、エディスは最善の行動を考える。



「よし」


 エディスは舟を動かせる程度の風を起こし、舟を岸から沖の方へと動かすことにした。


 そのまま無言で様子を伺う。


 風で動く舟の速度は大体同じだが、一隻だけ移動が遅い。舟自体の作りは変わりがない以上、遅い理由は一つしか考えられない。何者かが舟の中に潜んでいて、その重みで移動が遅いのだ。


 エディスは無言のまま舟をひっくり返した。


「うわっ!」


 叫び声がして、小さな影が川の中に落ちた。


「あれ?」


 叫び声を聞く限り、少女のようである。しかもかなり若い声であった。自分と同じか、あるいはもっと年下かもしれない。


 しかし、その影はバシャバシャと水音を響かせながら別の舟へと泳いでいく。結構運動能力は高いらしい。


「……そっちも沈めていい?」


 エディスは少し低い声で、舟に泳ぎ着いた少女に向かって問いかけた。


 一瞬の沈黙の後、苛立った声で反論が来る。


「一体何だっていうのよ? あたしが何かしたの?」


「だって、私が近づいた時にこっそり隠れていたでしょ?」


 エディスも平静なまま問い返す。


 黙って舟の中に隠れているなど、怪しい。自分も怪しいことこの上ないことは完全に棚に上げて、エディスは相手を問い詰める。


「……いきなり人が近づいてきたら警戒して当然でしょ?」


 可愛くない返答が返ってきた。


「ということは、貴方も水上宮殿に侵入しようとしていたわけ?」


 相手もエディスの言葉の意味に気づいたようだ。


「あなたも、ということはお姉ちゃんも侵入するつもりだったわけ?」


「侵入はしないわ。外側から中の様子を伺うつもりだっただけよ」


「中州に行く時点で侵入でしょ」


 何故か相手が馬鹿にしたような返事を返してきた。



「……私は貴方と言葉の意味を言い争うつもりはないの。一体、何の意図があって侵入するつもりだったの?」


 エディスは相手の意図を問うことにした。


「そんなことを話す必要はないでしょ?」


「沈めていい?」


「……お姉ちゃん、魔法使いか何かなの? さっきも突然現れたよね?」


「そうだとしたら、何なの?」


「セローフから来たの?」


「……」


 エディスは一瞬、どう回答したものかと思った。


 もちろん、エディス自身、目の前に少女を警戒している。ただ、相手もそれは同じようでお互いの話が全く進まない。


 セローフからやってきたことを警戒しているフシがあるということは、セシリームとセローフの面々を敵視しているのかもしれない。となれば、自分と同じ考えの持ち主ということになる。


 ひとまず多少折れてみることにした。


「私はハルメリカから来たわ。セローフの面々は関係ない」


「……ということは、アロエタの街のことは知らないわけ?」


「アロエタ?」


 初めて聞く街の名前である。


「全然知らないわ。その街がどうかしたの?」


「本当に知らないの?」


「知らないわよ。教えてくれないなら、話したくなるようにしてあげようか?」


 相手は引き続き警戒している。こちらが「ハルメリカから来た」と妥協したのに変わりがない。


 少し苛立って、エディスはまた舟を沈めるぞという意味を込めて文句を言った。


「……岸辺に戻して。話すことにしたから」


「了解」


 相手が折れたようなので、警戒はしつつもエディスは舟を岸の方に動かす。


 周囲の気配も探るが、さしあたり誰もいないようだ。何かあった時には全周囲に風を飛ばせる準備をしつつ、舟を岸まで戻す。


 降り立った少女を見て、エディスは「へぇ」と声をあげた。


 ポニーテール姿の愛嬌のある少女である。背は150センチあるかないか、歳は自分より二つ三つ下だろう。


「私はエディス・ミアーノ。貴方の名前は?」


 名前を名乗ると、相手はしばらく考えて名乗った。


「シルフィ・フラーナス。フンデから来た盗賊よ」


「……また盗賊なのね」


 エディスは溜息をついた。


 オルセナに来てから、関わり合いになるのは盗賊ばかりだ。

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