Millennium Chronicle ~ 白き希望の姫と闇より出でし神の娘

川野遥

プロローグ

オルセナ王女エフィーリア



「王女様を……私が預かる?」


 突然の申し出に、ネイサン・ルーティスは目を丸くした。


 その眼前5メートル、鈍い光沢を放つ玉座に座るオルセナ王ローレンスが虚ろな目をして、こちらを眺めていた。


「そうだ……。色々考えたが、貴公以外に娘を預けられる者はいないと思った。どうか預かってもらえないだろうか?」


 抑揚のない声でそう言い、小さく手を叩いた。


 拍手に応じて、侍女が赤ん坊を連れて現れた。


 その侍女の汚れた服装と、清潔ながら品質の良くない包み。


 ネイサンの頭に思わず過ぎる言葉があった。



 哀れな亡国の王女。



 アクルクア大陸中央に位置しているオルセナ王国は、730年前に建国された大陸最古の王国である。


 しかし、今はそのフレーズ以外に何も語るところのない国となっていた。見るべき産業も、人材もいない、廃れ果てた国、それがオルセナの現状だ。



 かつてオルセナが有していた四つの大公国のうちの三つは独立している。


 残る一つ、唯一独立していないのはレルーヴは、ここ十年、財政破綻したオルセナに対して資金援助もしている。レルーヴがいるので、オルセナはどうにか存続できていると言っても過言ではない。


 とはいえ、レルーヴは善意でそうしているわけではない。


 独立するより、見捨てるより、ある程度助けて最終的に乗っ取った方が得だ。そう考えているだけである。



「……レルーヴ大公は我々に子供が出来たと知ると、それを自分の子と結婚させるようにと圧力をかけてきたのだ」


「なるほど……」


 その話はネイサンにとっても頷けるところである。


 オルセナという国はどうしようもないところまで追いつめられている。


 とはいえ、大陸最古のオルセナ王家という地位には特別なものがある。


 その王族を自分達の一族に迎え入れるということには魅力がある。というより、今のオルセナに価値を見出すといえばそれくらいしかない、という方が正しい。


「当初はレルーヴ大公の意向に沿うつもりだった。だが、この子は我々にとって最初の娘だ。それを引き渡すのは忍びない」


「はぁ……」


 ネイサンは力ない、間の抜けた答えを返す。


「第二子ができれば、レルーヴ大公に引き渡したいと考えている。この子は普通の子として育ててもらいたいのだ」


 オルセナ王がすがるような視線を向けてくる。



 オルセナとしてみれば、長子を残すことで将来的な乗っ取りを防ぐ可能性を残したいのであろう。それは分からないでもない。



 しかし、ネイサンには全くメリットのない話である。


 ネイサン・ルーティスは他でもないレルーヴ諸侯の一人である。


 レルーヴ大公に完全従属という立場ではないが、といって対立している間柄というわけでもない。わざわざその意向に反することをしても何の得もない。


 それとは別にオルセナ王女を引き取るメリットでもあれば別だが、これまた何もない。


 オルセナに恩を売ることはできるが、これだけ廃れてしまった相手に恩を売っても、将来的に見込めるものは何もないからだ。



 だから、非常に簡単な話だ。断ればいいだけである。


 しかし、オルセナ王ではなく、抱かれている幼児の目を見ていると、その簡単な言葉が出てこない。


 物怖じしない子のようで、生後それほど時期も経っていないはずなのに手を伸ばしてくる。


「うー……」


 とささやくような言葉をあげ、乳児はネイサンをじっと見つめる。彼の服が見事な青色で、また髪が紅みの差した栗毛であり、派手なことも影響しているのかもしれない。


 その青い瞳の奥に、何かが見えた。


 そう思った時、ネイサンは意にそぐわぬ言葉を口走っていた。


「承知いたしました。身に余る大役ではございますが、王女殿下をお預かりいたします」と。




 オルセナ暦734年3月9日。


 2月に生まれていたオルセナ王ローレンス・ロークリッド・カナリスの長女エフィーリアが急死したと発表された。


 一方、ネイサン・ルーティスが引き取った新生児は、その時点ではまだ新しい名前を有していない。

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