1.スイール正使セシエル
第1話 ビアニー行きの要請
3月に入ったある日、セシエルは父でありティシェッティ公ジャンルカからの呼び出しを受けた。
「遂に来たか……」
セシエルはげんなりとした様子で聞き届けた。
少し前に、エルリザ市内で問題が起きているという話は聞いている。ネーベル海軍に修道院の船その他二隻が沈められ、情報告知不徹底を理由に修道院が王宮を責め立てているという話だ。
セシエルはハルメリカ市長代理のネミリー・ルーティスとは仲が良い。
「何とかハルメリカに少しでも見舞金を出させてくれないか?」
そうした要求をしてくるのだろう。
「そんなの絶対に無理だって」
ネミリーはアクルクア大陸一の富豪ではあるし、友人には気前の良いところを見せるところもある。
しかし、使う必要のない金をホイホイ出すようなぬるい人間ではない。彼女に「お金を貸して」ということは、自らの尊厳を譲り渡すに等しいことであり、どのような目に遭うか知れたものでない。
セシエルは父親の部屋をノックした。入れという返事があったので、中に入る。
「おぉ、セシエル。話があるのだが」
「ハルメリカとの交渉ならお断りします」
言われる前に、セシエルはさっさと断ることにした。
「……む?」
ジャンルカは目を丸くした。
「いや、何のことかは知らんが、ハルメリカに行ってもらいたいわけではない」
「あれ?」
今度はセシエルが疑問を呈する番だ。
「では、何のために呼んだのですか?」
他に呼ばれる理由は全く思い当たらない。
首を傾げながら、セシエルは尋ねる。
その時点でようやくジャンルカは「あ、修道院の件か」と気づいたらしい。しかし、改めて「それではないのだ」と断りを入れた。
「修道院の件はどうでも良い。おまえに任せたいのはビアニーの件だ。本日朝、ビアニー王国からの書状が王宮に届けられた」
「ビアニー?」
「うむ。いよいよガイツリーン完全制覇を目指してステレアへと進軍するらしい」
「あぁ、そういう話は聞いています」
セシエルはネミリーとも仲が良いが、ビアニー軍総司令官代理ジオリス・ミゼールフェンやピレント女王エリアーヌ・ピレンティとも親しい。
ビアニーはピレントを降伏させ、ネーベルを支配し、レインホートとソラーナも支配した。
あと、残るのはステレアだけである。正確には秘境とも言えるホヴァルト地方もあるが、この地方に軍を進める意味はほぼないだろう。
ステレアを支配すれば、ベルティは英傑カルロア4世が亡くなって内紛を起こしている。ビアニーを食い止めることはできないだろう。そのままオルセナ、フンデと支配すれば大陸をほぼ統一することになる。
スイールとしては、正確にはティシェッティ家として今のうちにビアニーと誼を通じておきたいということなのだろう。
「おまえは一年くらい前にも、ピレントに行っていただろう?」
「そうですね」
「ビアニー王女との婚姻を勧められたらしいな?」
「さすがに一年経ったので立ち消えになったと思いますけどね」
おまけにそれを勧めた張本人である当時の総司令官ソアリス・フェルナータは、今やツィア・フェレナーデを名乗って大陸の南を放浪している。
無責任だなぁとも思うが、考えてみれば三男の自分が今の状態だ。ソアリスは四男だから、内心では自分以上に「上が何とかしてくれよ」と思っているのかもしれない。
いずれにしても、ソアリスがいない以上、自分のビアニー王族入りはない。
「僕がビアニー王族に入るのは期待しない方が良いと思いますよ」
「まあ、そこまで私が介在することではない。ただ、スイールとしてもビアニーとの関係は強めたいし、そこで頼りになるのはおまえしかいない」
「……一応、エディスもジオリスやエリアーヌとは親しいですけど、ね」
「そんな恐ろしいことができるか」
父親の反射的な発言に、セシエルは思わず吹き出しそうになった。
確かに、エディスを国の正式な使いとして派遣するのは恐怖そのものであるだろう。
「分かりました。引き受けますよ」
セシエルはすぐに引き受けることにした。
「僕もビアニーがどうなっているか、気になるところもあります」
そう答えたが、恐らく父親達が関心を向けるところとは違うだろう、とも思った。
セシエルがもっとも関心をもっているのは、ビアニーがどれだけ支配地を増やすかではなく、ソアリスがいない間に、ガフィン・クルティードレとメイティア・ソーンが何を研究するかということである。
(正直、ビアニーが全部支配した後、あの2人がひっくり返す危険性もある)
証拠はないが、そんな予感もある。
ソアリスは大陸南部を歩いているし、下手をすると許婚の薬を求めて他の大陸まで行くかもしれない。そうなったら、ガフィンを止められる人間はいない。
いや、エディスやホヴァルトのジュニスなら止められるかもしれないが、2人を動かすだけの確証が必要となる。
そうした調査をするためには、ビアニーに行くしかない。
スイールの正使ということであれば、ガフィンの本拠地アンフィエルでの行動もできるだろう。
もちろん、その絶対的な安全を保証するわけではないが。
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