1.問題児、魔術学院に留学する

第1話 エルリザの問題児

 アクルクア大陸の西にスイール群島がある。


 その最東端に位置するテネフ島の東半分がスイール王国の都エルリザである。


 群島の中でも一際大きな島の半分を占め、更に大陸から来る船の玄関となることもあって、ほとんどの者がこの街に住んでいる。



 そのエルリザの中心地、キグス宮殿の隣に貴族専用のギムナジウムがある。アクルクア全体の教育機関の中でもトップ10には入る組織と言われている。


 スイールに住む24家の貴族階級の子弟はここで学問を学び、貴族としてふさわしい教養や作法を身につけていく。




「申っ……し訳、ありませんでした!」


 今、そのギムナジウムの会議室で一人の少年が頭を下げていた。


 明るい茶色の髪に、白に金地の入った品の良い服を着る少年……セシエル・ティシェッティである。


 スイール最大の名門ティシェッティ家の三男だ。


「今後はこのようなことがないよう、よく言い聞かせますので停学だけは勘弁してください」


 そう言って、セシエルは正面の眼鏡をかけた再度女教師に頭を下げ、次いで隣にいる従姉に視線を向けた。


「ほら、エディスも頭を下げてよ」

「嫌よ。私は間違っていないもの」


 黒い鮮やかな長髪に好対照な白と水色地のドレスを着たエディス・ミアーノはフンとそっぽを向く。


 女教師の眼鏡の端が輝いた。


「……ミアーノ侯女は反省が足りないようですわね」

「そ、そんなことはありませんよ! ほらこの通り! もう2度と男子生徒を吹っ飛ばしたり、殴ったりはしませんので!」


 セシエルは無理やり従姉の頭を押さえて、前に下げさせようとするが、エディスは完全に横を向いている。


 それでも体は何故か前に傾いた。恐るべき柔軟さである。長髪も相まってぱっと見では、きちんと頭を下げているように見える。


「……よろしい。反省しているようですし、今回は見逃すこととしましょう」


 女教師の言葉に、セシエルは「ふぅ~」と溜息をついて、「ありがとうございました!」と頭を下げ、不服そうなエディスの背中を押して退室した。



 セシエル・ティシェッティの母とハフィール・ミアーノの妻マーシャは姉妹である。


 そのため、系譜の上ではエディスとセシエルは従姉弟同士であった。半年ほどエディスの方が年上である。


 もちろん、二人はお互いが本当に従姉弟同士であると信じている。



「……一応、御礼は言っておくわ」


 中庭を歩きがてら、エディスがセシエルに話しかける。


「それはどうも。でも、もうちょっと大人になろうよ。腹が立つのは分かるけど、相手は王子の一派なんだからどうしてもこっちが不利だって」

「……」


 エディスの返事はない。考えているのだろうと受け止め、セシエルも何も言わずについていく。



 少しだけ安心していたが、それは本当に一瞬であった。


 校舎を出て、外に出たところで厄介ごとが向こうからやってくる。


「よー、エディス。またお説教受けたらしいじゃないか」


 聞きなれた甲高い声に、エディスがキッと険しい視線を向ける。


 その先にいるのは赤毛の長髪に、青い高価な服を着た少年。


 セシエルは「あ~」と崩れ落ちそうになりつつ、向かい合い。


「サスティ殿下ぁ、今日はもういいじゃないですか」


 スイール王国王子サスティ・ミューリに呼びかける。



 サスティ・ミューリは二人より二つ年上で17歳。


 特別出来が良いというわけではないが、逆に悲観するような出来でもない。


 ただ、良くも悪くもお調子者で、しかも相手のことを慮るところがない。数年前までは、スイールに黒髪の者がいないこともあって「真っ黒、真っ黒、真っ黒エディス。髪も心も真っ黒だ」とからかっていて、周囲と共にイジメまくっていたのである。


 今はそうしたイジメはない。


 というより、ここ2年ほどでエディスがびっくりするくらい容貌が良くなって、誰が呼んだか「三大陸一の美少女」と称されるまでになった。


 こうなると、男達も手のひらを返して、関心を引こうとなる。


 特にサスティは数年前の態度をすっかり忘れてしまったようで、今では宮廷でもエディスが将来の王妃だと言いふらしているらしい。



 それは非常に虫の良い、自分勝手な話だ。セシエルはそう思う。


 ただし、エディスも必要以上に根に持ちすぎている嫌いもある。


 孤高の狼であるかのごとく、近づくだけで罵声を飛ばし、触れようとでもしたならば蹴りが飛んでくる。細身でパワーがあるようには見えないが、スイールでもっとも武芸に秀でたハフィールから教わったことと、勘所が良いのだろう。大きな男でも吹っ飛ばしてしまう。




 今回もまた、そうなってしまうのか。


 対策はしてきたらしい。


「エディス・ミアーノよ」


 重々しい声がした。


 サスティの後ろにいる中年の男を見て、セシエルは思わず「げっ」とうめき声をあげる。


「き、騎士団長……」


 セシエルの狼狽をよそに、騎士団長はエディスに近づく。


「エディス・ミアーノよ、話は聞いた。そなたにも思うところがあるかもしれないが、仮にも王子に対して罵声を浴びせたり、突き飛ばしたりというのはいかがなものか? 一度、きちんと話し合いをしてはどうか?」


 どうやら、仲介役として騎士団長を呼んできたらしい。



 エディスはじっと睨むような顔をしながら、その場に止まっていた。


(これはやばい……)


 付き合いが長いのでセシエルには分かる。


 エディスの雰囲気は、獰猛な蛇が相手を迎え撃つ時のそれだ。警戒音を出しながら(エディスは出さないが)待ち受け、相手が限界距離より接近したら一気に襲い掛かるというものだ。


 騎士団長の接近に安心したのか、サスティも近づいてくる。黙っているので、エディスが大人しくなったと勘違いしているのだろう。騎士団長が。「さあ、殿下と一度握手して……」と言い、サスティも手を差し出した。


 遂に限界距離よりも近づいた!


「気安く私に近づかないでよ、馬鹿王子!」


 エディスはすっと沈み込むと、サスティの襟を掴んで溜めていた力を爆発させる。


「うわー!」


 サスティは情けない悲鳴をあげて、そのままくるっと一回転、背中から地面に叩きつけられた。



 予想外の俊敏さに、騎士団長は何もできない。


「な、な、何ということを!」


 怒りと動揺で声を震せるだけだ。



 セシエルはがっくりと肩を落とした。


「あぁ、今度こそ停学だ……」

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