第11話 エルフィリーナ・3
修道院を出た後、エディスはセシエルと別れて屋敷へと戻った。
「ただいま~」
間の抜けた声で帰宅を告げると、軽い足取りで自分の部屋へと向かおうとして、ふと足を止める。
厨房の方から香ばしい匂いが漂ってきたからだ。
「お母さん、何を作っているの?」
顔を覗かせると、マーシャがパンを焼いていた。
もちろん、パンにも千差万別ある。オルセナ旅行中に食べていた乾パンなどは仕方なく食べるものだが、今、焼いているのは誰の目にも美味しく映るものだし、事実、エディスのお腹も空腹のサインを出し始めた。
「あら、エディス。呼んだのにいなかったけど、どこに行っていたの?」
「どこに……って、姉さんと話をしに修道院に行っていたんだけど?」
「あら、そんなことを言っていたっけ?」
マーシャは呑気に答えた。忘れていたか、聞いていなかったようだ。
「ちょうどいいわ。だったら、ついでにこれも届けてくれない?」
何個かのパンを鞄に詰めて渡される。
「えっ、これも修道院に?」
「修道院じゃなくて、その下にある市場の建物に届けてほしいのよ」
「うん……?」
それでは、「ついでに」とは言わないのではないか。
エディスはそう思ったが、料理をしている母を止めるよりは、自分がひとっ走り届けた方が早いのは間違いない。もちろん、母が想定している速度は常人のものであるだろうが。
「分かった。でも、その前に一個食べていい?」
と、焼きあがったパンを一個口にする。
「こら! 淑女が食べながら走るものではありません!」
そんな発言を右から左に流し、エディスはすぐに屋敷を出て、修道院のある方向へと走り出した。
屋敷を出て、人通りの少ないところを風のように進む。
およそ3分で修道院の下までたどりつくと、母が鞄に入れたメモを頼りに目的となる建物を探す。
「ここか……」
見つけたのは石造りの建物である。エルリザの普通の人達が住んでいるような建物で、中に住んでいるのも多分平民だろう。
「一応、フードかぶっておこ」
最近、セシエルからもネミリーからも「知り合い以外の前ではフードをかぶった方が良い」と言われている。もちろん、エディスもいらない騒ぎを起こしたくはないので覚えている時はフードをかぶるようにしている。
「すみませーん」
フードをかぶって、扉をノックした。
すぐに扉が開いた。8歳くらいの少年が顔を出し、じっと睨みつけてくる。
直感的に自分の名前を出すとまずいような気がした。だから、単純に用件だけ告げる。
「ミアーノ家の者だけど、パンを届けに来たの」
「……兄ちゃんはいないよ」
「兄ちゃん?」
「兄ちゃんに届けに来たんだろ?」
と言われても、エディスは誰に届けようとしていたのか分からない。ひょっとしたら、母の説明を全て聞く前に出て来てしまったのかもしれない。
まあ、いいか。エディスは話を合わせることにした。
「兄ちゃんはいないのね。それじゃ、戻ってきた後に一緒に食べてね」
「……いつ戻るか分からない。船に乗って出かけたから」
「あら、そうなんだ。それなら戻ったらまた届けに来ると思うし、これは家にいる人で食べたら? 美味しいわよ」
エディスはそう言って、パンを渡そうとするが、少年はじっとエディスを睨みつけてくる。
「……おまえがエディス・ミアーノか?」
「お、おまえ?」
少しムッとなった。自分が褒めたたえられるような存在だとは思っていないが、といって、いきなり子供におまえ呼ばわりされる覚えもない。
「兄ちゃんのおかげで、おまえは次のミアーノ侯爵なんだろ?」
「えっ、どういうこと?」
いきなりの言葉に、エディスは目を丸くした。
少年は「何だ、知らんのか」と偉そうに説明を始めた。
それをひとしきり聞いて、エディスは「えーっ!? そうなの?」と驚いた。
「じ、じゃあ、君のお兄ちゃんと姉さんが?」
少年が言うには、姉のエルフィリーナと彼の兄は身分の差を超えて親しい関係だったという。
そのせいか、エルフィリーナは五年前にセシエルの兄フランチェスコとの縁談を断ったらしい。
「平民と一緒になるというのなら、一度修道院に行き、そのうえで修道院から出すしかないな」
そういうやりとりで家を出ることになったという。
「そうかぁ、父さんも伯父さんもセシエルとの結婚なんて絶対言わないけど、上同士のことがあったから……」
これで更にエディスとセシエルがうまくいかなければ、両家の関係も悪くなる。
だから、近い関係で、噂されているにも関わらず、当事者からはそうした話がなかったのだと理解した。
(でも、パンを持って行かせるということは)
母はエルフィリーナの相手のことを気にかけているようだ。
エディスはパンを渡して、屋敷へと戻る。
とりあえず、自分がいきなり後継者となった理由は分かった。
(姉さんが、そういう選択をしたのなら、仕方ないわよね)
とはいえ、あの無表情や無関心はどういう理由なのだろうか。
単に考えすぎなのだろうか。あるいは、今になって後悔もあるのだろうか。
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