第2話 セシエルの濡れ衣

 図書館を出た時、エディスは打ちひしがれていた。


「4歳向けの本が半分も分からないなんて……」


 ぶつぶつと呟き続けるエディスに、セシエルは苦笑する。


「まあ、今まで関心も向けなかったことを考えるようになっただけ、成長と言えるんじゃない?」


 軽く慰めながら、互いの屋敷へと戻る。



 エルリザの図書館は宮殿のすぐ隣にある。


 ということは、当然、王族の者は頻繁に使うし、使っていなくても所用などで宮殿を外出していて近くを歩いていることがある。


 それが最悪の形となった。


「おう! エディス・ミアーノではないか!?」


 赤い髪の中背の、目立つ服装の男が声をかけてきた。その姿を見て、セシエルが「あちゃあ……」と額に手をあてる。


 対するエディスは全く表情を変えない。


「あ、殿下。こんにちは」


 無表情に挨拶をしたが、それでスイール王子サスティ・ミューリは感激したようである。


「おぉぉぉ、エディス。ついに私の王妃になるのだな!?」


 この返答には露骨に嫌悪感を示す。


「は? 何で?」


「今、私に普通に挨拶したではないか!」


 呆れるしかないが、サスティの言葉はセシエルにとっても分からないではない。


 今まで、エディスは自分をイジメてきた面々にはとことんまで攻撃的であった。いきなりぶん投げる、蹴っ飛ばす、ひっかくなどを普通に実践してきた。


 それが無表情とはいえ挨拶したのだから、前進したと思うのも不思議ではない。



 エディスも「そういえばそうだ。何で攻撃しなかったんだろう」という顔をしているから、この反応は割と無意識だったようだ。


 ただ、別に好意があるとかそういうことではない。


「多分……、今までは嫌いだったけど、最近色々な人に会ったからだと思うわ」


 少し考えてエディスの言った言葉は無意識だが、かなり残酷だ。


 今までは「嫌い」だったが、色々な人と会ううちに「あんなのと関わり合いになるのも無駄」と「無関心」へと移行してしまったからだ。この変化は態度の軟化となるが、関心度としてはスケールダウン。喜べるものではない。


 更に具体的な言葉でトドメを刺す。


「殿下より遥かに凄い人を見たから、もう何とも思わないんですよね。石ころくらいな感覚でしょうか」


「な!? 私が石ころだと!?」


 サスティは当然のように怒る。



 関与しないセシエルもエディスの心境は何となく分かる気になっていた。


 スイール王子として、サスティは何不自由ない暮らしを送っている。特に苦労も何もなく我儘、どこにでもいそうな王家のボンボンだ。


 しかし、エディスはこの1年余りでトレディア大公子を目指して奮闘するサルキアを皮切りに、ジーナやエルクァーテといった必死に生きる者達を多く見てきている。彼女自身、まさかの出自かもしれないということを自覚して勉強しようとしている時に、進歩のないスイール王子は物足りなく感じるのだろう。


 ただ、その次の発言はセシエルに「おっ」と思わせるものだった。


「例えばサルキアはものすごく努力していますし、ツィアもものすごい真剣に生きていますけれど、それと比較して殿下の生き様は軽すぎるんですよね……」



(成長!? エディスが成長なんて言葉を使うなんて!)


 彼はエディスの従弟であるが、まるで自分の娘が成長したかのような感激を受けた。大げさではなく思わず目がしらが熱くなったほどだ。


 しかし、一瞬して疑問も浮かぶ。


(でも、ツィアって誰?)


 行動をほぼ共にしているから、エディスが出会った相手の名前もほぼ把握しているつもりである。だから、自分の知らない名前が彼女の口から出てきたのは驚きであった。



「いや、殿下だけじゃなくて私も軽いな~と思って、今から少しでも頑張るかと思うんですけど」


「スイール王子たる私の何が足りないと言うんだ!?」


 サスティが激怒して怒鳴るが、エディスが「え~」と引いた顔で応じる。


「全部?」


「貴様! まさか、ティシェッティ公子と出来ているというのか!?」


(そんなこと言ってないじゃん)


 本人のコメントから出たのはサルキアとツィアだけだ。もちろん、身内ということで近くにいるが、セシエルにとっては酷い濡れ衣である。


「私、セシエルのことは言ってないですけど? そりゃまあ、殿下と比べたらセシエルの方がいいですけど?」


「おのれぇ!」


 まずいと感じた。


 男のプライドを傷つけられた王子の矛先が自分に向かった。セシエルはそれを痛感せざるをえない。


「セシエル・ティシェッティ! 私にここまで恥をかかせて、タダで済むと思うな!」


 どうしてそうなるのか。


 恥をかかせたのはエディスでしょ。


 名前も出てない自分が何で身代りに攻撃されなければいけないのか。


 文句は山ほど浮かんだが、言葉を選んで言い返そうとした時には既にサスティは走り去っていた。


「殿下、よく分からないけど何だか怒ったみたいね」


「……人に全責任をなすりつけて、他人事みたいに言わないでくれる?」


 セシエルは更にうんざりと肩を落とした。

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