第8話 ガフィンの処世術
エディスが険しい表情で一歩前に出た。
「どうされました?」
ガフィンは落ち着き払っている。
「こんなのは、神に対する冒涜です! とても司教のすることとは思えません!」
凛とした声が空気を切り裂く。
(あのエディスが、『神に対する冒涜』なんていう難しい言葉を!?)
セシエルは違う意味で驚き、開いた口がふさがらない。
喧嘩をしに来たわけではないので、止めなければならないとも思ったが、一瞬躊躇する。
ガフィンは「ハハハハ」と笑った。
「確かに、神に対する冒涜かもしれませんな。しかし」
黒と茶色の中間色の瞳が急に輝いたように感じられた。表情も活き活きとしている。
日頃の淡々とした軍師然とした姿ではなく、こちらがガフィンの本性なのだろうか。セシエルは思わずそう思った。
「しかし、私は何も強制しているわけではない。それでも、この地区の住民はほぼ全て賛成しておりますよ」
「そんなはずが!」
と食い下がろうとするエディスを今度は止めた。
良識に反するやり方。
それは間違いない。
しかし、先程ガフィンが言っていたように、この地域は農業に頼る者が多く、総じて貧困地域だ。余裕がないから、母親の労働力は極めて貴重だ。
しかも出産における死亡の危険性も高いとなれば、より安全な方策を選ぶのは不思議なことではないだろう。それで領民を非難するのは違う。
ただ、一つ確認したいことはあった。
「……このことを、ビアニー国王はご存じなのですか?」
「当然です。半分くらいの者からは”変人”と称されておりますが、ビアニーも高原地帯で生活が豊かではない。とりあえず試してみて、うまくいくようなら導入したいと考えていることでしょう」
「……」
それもありうる話ではある。
ビアニーがレルーヴ、ベルティに劣るのは人口だ。
もちろん、ガイツリーンの支配地を含めれば大分差は縮まるが、彼らが素直に従うという保証はない。
人口を増やしやすい方策があるとなれば、魅力を感じるだろう。
(とりあえずガフィンにやらせてみて、うまくいくようならビアニーでも導入する。行かないようならガフィンの責任にして処分すればよいくらいに考えているのだろう)
となると、ガフィンの統治はビアニー国王の胸先三寸にかかっているようにも思えるが、それでもガフィンにはやるメリットがある。
(既に、『あいつは変人だ』と思われていて、エディスみたいに反感を抱いている者もいるだろう。そうなると、わざわざここに来たがる者もいない。となると、他の研究もやりやすくなるわけだ)
樹海の中で研究をすることも知られにくいだろう。
ただし、樹海の中はあまりに不便であるし、都市でないと揃えられないものを用立てるのが大変だ。それゆえに近くに盗賊達の拠点が出来ることも認めなかったのだろう。
ここアンフィエルなら、ハルメリカやセローフ、エルリザといったアクルクア西岸の主要都市まですぐに行ける。研究のための文献や道具も揃えやすい。
ガフィンの奴は変人だから、と思わせておいて、より先鋭的な研究をする。中々狡猾なやり方だと思った。
「当然、ソアリス殿下もご存じなのですね?」
「もちろんです。そもそも、殿下の許しを得て、この地域をいただいたのですから」
それも恐らく嘘ではないのだろう。
「そうであれば、殿下が軍を離れられたのは誤算でしたね」
「誤算どころではありませんよ」
ガフィンが自嘲気味に笑う。
「本来ならばネーベル南部もいただくつもりでしたが、殿下が離れるということでウォリスがやってくることになりました。計画が大きく狂ってしまいました。もちろん、殿下の許婚の命にかかわることです。恨むつもりはありませんがね……」
「なるほど……」
内心でも「なるほど」と得心した。
ガフィンは元々樹海周辺を領土として、研究に近づかせないつもりだったのだろう。同時に、近隣の盗賊達への復讐も果たすつもりだったのかもしれない。
しかし、ソアリスが離脱してしまったことで、その目論見が頓挫した。更にウォリスが変なことをしでかしたため、セシエルが調査に行くことになってしまった。
それで「何かのきっかけで怪しまれるとまずい」と思ってセシエルについてきたし、色々とボロを出してしまったのだろう。
おおまかな流れは理解できた。
(しかし、ここまでペラペラと話すというのも不安だな……)
ソアリスにネーベル南部を貰うつもりだった、などということはどうでもいいことだ。参考にはなったが、そこまで自分達に話すというのは解せない。
ここに来るに際して保険の手を打っているが、ガフィンならそれを凌駕する手を出してくるかもしれない。
早めに帰った方が良さそうだ。
そのうえで、ビアニー軍の状況をもう一度調べるべきだろう。
「分かりました。色々勉強になりました。ありがとうございます」
セシエルは頭を下げて、ガフィンの反応を待つ。
こちらもにこやかに頭を下げた。
「とんでもございません。貴方方もいずれ、私が間違ってはいないということを理解していただけると思います」
(間違ってはいない、か)
それは少なくともガフィン本人が「自分が正しいことをしている」とは思っていないことの証左でもあった。
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